[CML 029506] 澤藤問題

林田力 info at hayariki.net
2014年 2月 8日 (土) 19:30:27 JST


以下では澤藤問題について論じる。澤藤問題は澤藤統一郎氏の息子の澤藤大河氏の随行員更迭を発端とするイザコザである。「問題行動を起こした随行員を更迭した」は単なる報告事項である。しかし、その事実に何故、澤藤氏が激怒しているかを説明するためにはプライバシーに踏み込まなければならない。
政治思想的に位置付けるならば革新統一という狭いイデオロギーの立場からの宇都宮批判である。古い左翼的なイメージを脱却し、市民の立場から政策を深める立場とは真逆である。「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」という上から目線の文言に古い左翼の傲慢と独善性が現れている。宇都宮選挙が市民選挙となるためには、むしろ澤藤氏が宇都宮選対から外れることは歓迎できる。
確かに澤藤批判は勝手連メンバーに多少の動揺を与えることに成功したが、それは澤藤批判の正しさを意味しない。もともと勝手連メンバーの少なからずが2012年の宇都宮選対が真の意味で市民選対と言えないのではないかという不満と疑念を抱いていたことが原因である。「人にやさしい東京をつくる会」と選対、選対運営委員と事務局、選対と勝手連の間に壁が感じられた。まるでレーニン流のエリート前衛党員と、それに指導される大衆運動という類の二重構造であった。このような左翼的な古さを感じさせる組織体質は宇都宮陣営の克服すべき課題である。
この二重構造を言うならば澤藤氏は明らかにエリート前衛党員の側である。澤藤批判に自分や自分の息子が小さな権力に蔑ろにされた怒りはあっても、市民勝手連への理解は乏しい。反対に特定政党との関係強化を唱え、個々の運動に革新統一という狭いイデオロギーへの結集を要求する。市民の立場とは正反対である。
本当は澤藤氏の怒りは重要な問題である。私も東急不動産だまし売り裁判というメインストリームの市民運動からは意識されにくい分野で闘ってきた。個々の虐げられた人々の問題を軽視する傲慢な左翼に社会的な存在意義はない。若年層が右傾化し、市民運動や労働運動に敵意を抱く要因も、若年層の問題に目を向けようとせず、戦後の価値を守ることしか考えていないと映るためでめである。それでも「おやめなさい」の澤藤氏と比べれば、宇都宮氏の方が虐げられた人々に寄り添える存在に見える。
勝手連メンバーが2102年宇都宮選対に不満を抱き、選対改革を唱えることには理由があった。しかし、そのために澤藤批判を援用することは誤りである。むしろ、たとえ宇都宮選対が理想の市民選対とは程遠くても、澤藤批判に対しては市民選対を守るために宇都宮選対と結束しなければならなかった。このために澤藤批判には市民の立場からの選対批判を議論しにくくなるという負の影響が生じた。一方で選対と勝手連メンバーが危機感を共有することで2012年に比べたら相互理解・相互協力が進んだという正の影響も生じた。

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林田力Hayashida Riki
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