[CML 029496] 浪費型経済批判の可能性

林田力 info at hayariki.net
2014年 2月 7日 (金) 22:44:08 JST


日本共産党第26回大会が2014年1月15日から18日まで静岡県熱海市の伊豆学習会館で開催された。党大会では「資本主義の浪費型経済」というキーワードが登場した。これは画期的なキーワードである。

 資本主義が浪費型経済であることはイデオロギーに関わらず、理解できるものである。資本主義経済では企業は利潤を追求し続けなければならない。そのために、ある製品が全ての消費者に行き渡ったとしても、絶えず新製品を売り込んで消費者に買わせなければならない。社会経済的には無意味な新製品が次々と登場する。消費者が僅か10年で住み替え、僅か30年で建て替えてしまう日本の住宅が典型である。まさにリソースの浪費である。

 日本共産党の浪費型経済批判では、この浪費をなくすことで、現在の日本が到達している生産力の水準でも、万人に健康で文化的な生活を保障する条件が十分に備わっているとして、社会主義社会への展望を述べる。社会主義を目指すことを支持するか否かは別として、日本共産党が浪費型経済をなくすという観点で資本主義からの脱却を志向する点は注目に値する。

 従来型の共産主義イデオロギーは、資本主義時代に発展した生産力の高度な発展を土台にした上で、資本家の搾取をなくすことで、万人が豊かな社会にすることを志向していた。ここでは資本主義社会の進歩や発展自体は肯定している。そのためにアベノミクスの成長戦略への根本的な批判にならない。せいぜい資本家のための成長戦略か労働者のための成長戦略かという相違になる。

 共産主義者は共産主義こそ資本主義の反論になると主張するが、オルタナティブな立場からは資本主義の延長線上にあると批判される。たとえば福島第一原発事故以前からの反原発運動には、再稼働阻止という当面の政策課題では一致しても日本共産党を必ずしも脱原発政党と認めたがらない傾向がある。それは原子力発電のような巨大科学秘術の進歩や発展自体を是とするか非とするかという根本的なところにギャップがあるためである。

 私も東急不動産だまし売り裁判を原点とした開発反対の立場から、「中小企業や労働者のための成長戦略」的な発想には違和感を覚えている。それではゼネコンやデベロッパーばかりが儲かる大型開発は批判できても、大型開発への根本的な批判にはならない。大型開発に際して庶民の利便施設を併設することを成果とするような活動に陥りがちである。景気が回復しても、人生が豊かになる訳ではない。日本社会は成熟の段階である。成長や「中国に負けるな」には無理がある。

それ故に民主党が「コンクリートから人へ」を掲げたことは土建政治そのものへの批判という点で画期的であった。思想的には「大企業のコンクリートから中小企業や労働者のコンクリートへ」にとどまる革新政党の先を行っていた。民主党が革新政党を埋没させる形で躍進したことも必然であった。このように民主党の「コンクリートから人へ」の思想的意義は高く評価するが、内実は伴わなかった。管見は「コンクリートから人へ」の復活を期待する立場であるが、現実認識としては非常に困難である。

 民主党の「コンクリートから人へ」が看板倒れになったために、進歩や発展そのものに疑問を呈するオルタナティブな政治思想の重要性は益々高まっている。一方でオルタナティブ思想には放射能不安からの福島差別・東日本差別やドラッグ容認など到底受け入れられない主張がセットで付いてくる傾向がある。これらは個人の信条として受け入れられない上に、市民から拒絶反応を引き起こすものである。スナフキン的な市民運動家は別として、地域で地に足付いた生活を送る住民運動家の拒否反応は大きい。

また、オルタナティブな政治勢力の将来性にも不安がある。市民派勢力が共産主義・社会主義・社会民主主義とマルクス嫡流やマルクス亜流で占められるよりも、オルタナティブな政治勢力が一角を占めた方が好ましい。しかし、それは容易ではない。オルタナティブに近い立場から、川田龍平氏や山本太郎氏など知名度のある人物を一人当選させることが精一杯で、政党・党派としては失敗したと総括がなされた。そのような話を聞くと将来性に期待が持てなくなる。

また、東京都知事選挙での細川護煕出馬に対する混乱を見ても、容易に取り込まれる脆さを感じる。個人レベルで細川護煕氏に乗っかることについては既に批判がなされている。ここで指摘したいこととして、集団レベルでの混乱・迷走から、政治勢力として今後成長できるかという疑問と不安を抱いている。

もともと革新政党も脱原発を打ち出す中で、オルタナティブな政治勢力の意義は表面的に脱原発を唱えるだけでなく、巨大科学技術そのものへの批判など思想的な深さにあった。それが「脱原発さえ達成できればいい」「原発以外の政策は知らない」というムーブメントに動揺するならば存在意義が問われる。

この状況で日本共産党が浪費型経済批判を打ち出したことは、従来型の共産主義思想に限界を感じ、オルタナティブを志向していた層も惹きつける。オルタナティブの立場からは共産党の浪費型経済批判には新味がなく、脱原発と同じく横取りではないかとの辛辣な批判も予想される。しかし、オルタナティブな政治勢力が覚束ない中で、日本共産党が進歩・発展・成長よりも成熟を前提としたマルクス解釈を打ち出したことは社会的に意味がある。

 日本共産党は東京都議会議員選挙や参議院議員選挙で躍進したが、それは外環道など大型開発による税金の無駄遣い批判やブラック企業批判に共鳴したためである。必ずしも教条的なマルクス解釈に共鳴した訳ではない。浪費型経済批判はブラック企業批判や候補者の若返りなど外面的な部分だけでなく、内面的な部分でも日本共産党への印象を新たにする。
http://hayariki.net/poli/rouhi.html
-- 
林田力Hayashida Riki
http://www.hayariki.net/
http://hayariki.zero-yen.com/


CML メーリングリストの案内