[CML 035478] <テント日誌12月12日(金) 経産省前テントひろば1189日目、商業用原発停止449日目>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2014年 12月 14日 (日) 14:23:36 JST


(転送します)

テント日誌12月12日(金)
経産省前テントひろば1189日商業用原発停止449日

早朝散歩でのきれぎれに思い浮かぶこと

 12月3日の裁判でのだまし討ち的な結審があってテントやその周辺では緊張が強まっている。そこに参集する面々にはということだが、これはテントにとっては本来のところに戻ったということである。僕らは当初からこのテントを非暴力・不服従の闘いとして展開したが、とはいっても権力側の行動は意識し緊張をもってやってきたのである。この中でもいくらかの変化や起伏があったのだが、それが本来のところに戻ってきたということである。テントはそれが存在することで意味を持っているのだし、それを存続させること自体が意味をなしている。それが最も基本的なことでそこのところを確認すればいいのだが、それをまたあらためて問われてもいるのだと思う。

 テントは泊りと言われる面々と昼間の当番の面々をもとにし、そこに多くの人たちが加わるという形で成されているが、これは従来の運動のような組織的な参入ということでなされているのではない。自発的にそれぞれが参加し、役割を担っているということである。組織的に対応することの方がスムーズにいくこともあるのだろうと思われることもあるが、個々人の自発的な意志をもとにしてやっていくということを重んじている。運動だから、人の出入りも考えの違いによる対立もある。それは自然なことだ。ただ、その対処や解決を従来とは違う風にやろうとしているだけである。これは新しい経験であって運動(行動)の渦中ではよくわからないことなのかもしれない。これからもそんな事態に直面するのだろうと思う。首尾よくやれるか(?)

 今は忘年会がたけなわとあって夕方からのテントは幾分かさみしい。テントはにぎやかな議論があってこそ、と思えるのは夜のテントでのことだが、これは年末年始に向かって戻るだろう。テントには多くの人の訪問があるし、その対応の中にテントの中心がある。これは日誌で報告していることだ。ただ、昼も夜も年末のあわただしなかでもテントは淡々としているのが現状である。淡々と続いていくと思う。

深夜ならぬ、早朝の散歩で日比谷公園を歩いていて、遠方の友人からの「テントは選挙についてどう考えているのか発言を」というリクエストを思い出した。頭に引っかかっていたのだが、いつの間にか選挙直前になってしまった。それで少し、答えさせてもらえば、もちろん僕個人の見解だが、今回の選挙ではともかく反自民党というか、その勢力が最低でも三分の一は確保して欲しいということであり、反原発の議員が過半数を超えるところまで行ってもらいたいと思っている。基本的には民主党政権に対する反動はまだ二年くらいは続いて、自民党政権対する批判が高まってくるのは二年先ぐらいからだろう、というのが僕の判断であり認識である。その意味ではうまい時期に選挙をやられてしまったと思う。でも、自民党政権が憲法改正に踏み込む時期と民主党政権への反動が薄らいでいく時期とは重なるだろうし、その段階でまた選挙も非常に重要度を帯びると考えている。その段階でまた勝負時は来るとみている。今の安倍政権の動きの中で僕らが非常にペシミックな気持ちにさせられるのはよくわかるが、彼らもそんなに盤石ではないし、国民の動きもそうだとみている。強権的体!
制に行ききるほど権力は強くはない。ただ、秘密保護法も含めて強権体制の準備は進んでいてこれに警戒を強めていかなければならないと思う。

選挙よりも日本における政治や国家のことをあれこれ考えてしまう。銀杏の葉がパラパラと降りかかる日比谷公園の早朝の散歩の中で頭はそちらのほうに向いてしまうである。日本の歴史において国家や政治は特定の階級の支配する専制的なものだった。国民という概念が、つまりは市民や地域住民が政治や国家の主体であるという登場する契機は大正期であり、いわゆる大正デモクラシーの時期だった。だが、この思想、あるいは意識は天皇(天皇の国家)という近代官僚の思想や意識に負けてしまった。結果は戦争だったが、敗戦後もこれを革命することはできずに官僚の専制支配という国家や政治の形態は残ってきたのではないのか。天皇とアメリカをかつての天皇の権威の継続としながら、実態は官僚専制を存続させてきたのである。国民が国家の主体である(国民主権)という考えは大正デモクラシーから戦後憲法(戦後民主主義)へと進展はしてきたけれど、実質的に官僚専制を破れなかったのではないか。
原発再稼働や保存を民意と関係なく進める経産官僚や原発マフィアの動向を見ているとそう思えてならない。これには沖縄のように国民主権の概念を自己決定権として展開しているものが、専制的(強権的)なものからどのように抑圧を蒙っているかをみればよい。この問題は日本における民主主議や自由の矛盾の問題ではないか。大正デモクラシーも戦後民主主議も日本における民主主議や自由の形態であるが、それは官僚専制を内包した矛盾のなかにあったのだと思う。現在、共産党から自民党まで自由や民主主義を理念として掲げるが、官僚専制を内包する矛盾を超えていない。これを超えようとしたマルクス主義は自由や民主主議(国民の主権)の思想から自己を疎外することで敗北や解体として結果している。

僕は早朝の散歩の中でいつもことを自問している。僕なりに出てきている答えは次のようなことである。その一つは自由や民主制という思想を歴史的な発展段階にある考え(ブルジョワ思想、あるいは近代思想)とみることでその永続的。普遍的性格の認識を誤ったことがあるのではないか。これは近代の思想として出てきたし、フランス革命で世界的になる契機を与えられたものである。しかし、この思想は永続的なもので、長い時代と段階を経てそれに近づいていくものであり、段階に固定化されたものではありえない。確かにこの思想は近代で登場し、資本家階級の思想となったが、それは資本家階級に属する思想ではない。資本家階級とも矛盾し、それを超えていく永続性と普遍性をもっているのだ。社会主義や反近代を称した思想はここを見誤ったのであり、それを段階の思想に封じ込めたことに誤りがあったのだ。僕は自分の経験からそういう認識をしている。

それに自由や民主制は権力との関係について現れるものであり、権力との関係を規定する思想である。これは歴史的には専制的権力との闘いとしてあらわれたが、権力を制限し、相対化する思想であり、これが国民の主権という問題として出てくるのは国家権力との関係においてである。社会主義は歴史的には専制的権力との闘いとして現れるが、レーニンや毛沢東等の社会主義は権力を制限し、相対化する自由や民主制の考えを持ちえなかったがために自ら専制権力になっていくという矛盾に入りこんだ。戦争がもたらす権力の病のとりこになったファシズムとスターリン主義は専制権力の歴史形態になってしまったのである。これらは権力についての思想としての自由や民主制を清算し敵対したのである。自己思想のうちに持てなかった結果である。

僕は日本の権力街を散歩しながら、こんなことを思い浮かべたりしているが、自己問答をしているのは日本における権力についての歴史な思想である。近代以前の専制下において反権力の思想は伝統的な文学思想であれ、江戸の市民思想であれ、国家や社会には関わらないものだった。世捨て人の伝統も含めてこれは存在した。儒教や仏教が支配的な思想であった封建制に至りつく社会では国家や政治の外にしか反権力の思想は現れようがなかった。封建制という専制的な国家や社会に挑む近代の思想が自由や民主制として現れるのであるが、日本でのこの近代の思想も伝統的なアジア型の反権力思想を内包せざるをえなかったのではないのか。反封建社会として出てきた明治維新後の社会が儒教の国家化や社会化を支配的にしたという矛盾的形態の反映といえる。

そこでは国家や社会に触れることはタブーであり、反権力の思想も世捨て人的な思想としてあるほかなかった側面がある。専制的な国家権力が大逆事件などで全面化し、このアジア的伝統は近代の反権力思想としての自由や民主制にも色濃く残ったのではないのか。大正期に日本において自由や民主制の思想は本格的に現れてきた。大正デモクラシーである。これはそん妥協的、中間的性格が批判されるが、その背後には日本の伝統的な反権力思想の付着していたのではないのか。
反権力思想が専制的権力の形態を政治的、社会的に替えて行く形態に自己生成をするのではなく、政治や社会を軽蔑し、そこから忌避していく形態を持つのである。権力が絶対的なものとして出てくるとき、国家や社会の外部にたち傍観者的になりながら、それを軽蔑するという反権力の思想は無意味ではない。それは絶対化する国家や政治を相対化することになるからだ。だが、これは政治や国家、あるは社会を変えることにおいて自由や民主制を実現していくことにはならない。国家や社会を軽蔑し、傍観者的に生きることの意味を説き実践しても国家権力の強権性と闘い自由を得たことにはならない。

脱原発の国民的意思が圧倒的であっても、国家はそれを無視して原発再稼働―原発保存の道を進める。この専制的な政治権力(行政的権力)のありようをみながら、時折、伝統的な日本の反権力思想の誘惑の声がするのを感じる。早朝の散歩で僕が感じるのは国家権力の強権的姿というよりは、社会や政治を変えるための構想を作ることの困難性を感じるからだ。そこにある種の絶望を感じないではないしかし、そこにたじろがずに逃げないことが希望である。希望は何よりも自分の中にしかないのだし、失われるとすれば自分からだ。

まだ、人もまだらな街をあるきながら自己問答をしているのは「お前は希望を捨てないだろうな」という問いかけなのだが、これは福島第一原発事故から3年も過ぎた時間との闘いである。緊張を強めるテントでの闘いには時間との闘いが重なって存在している。(三上治)


テントからのお知らせ 年末年始のスケジュールから
12月19日(金) 抗議行動
経産省前抗議行動:15時〜16時 地裁前抗議行動:16時30分〜17時30分
12月21日(日) テント冬至祭り(13時〜)
かぼちゃ+コンサート
12月28日(日)テントを守れ川柳句会(14時〜)
12月29日(月)募集中



CML メーリングリストの案内