[CML 033507] 原発事故 国家はどう補償したのか〜チェルノブイリ法23年の軌跡〜が再放送。ぜひ日本の状況と照らし合わし

京都の菊池です。 ekmizu8791 at ezweb.ne.jp
2014年 8月 30日 (土) 00:00:55 JST


原発事故 国家はどう補償したのか〜チェルノブイリ法23年の軌跡〜が再放送。ぜひ日本の状況と照らし合わしてください。オンデマンドでも見れるとの事


京都の菊池です。


下記の記事、表題は別なものがよいと思うのですが、

法律を変えることなく
日本政府や権力者は自らは、
年間1ミリシーベルトの守られていながら、

東電原発事故による放射性物質拡散による放射能汚染地に対しては、
年間1ミリシーベルトどころでなく年間20ミリシーベルトを強いている日本政府の姿勢、日本の状況を

最近発表された

「ずさんな除染計画が露呈」と国を提訴も
甲状腺B判定の青年ら怒りの告発 "放棄"される除染 政官財の非情

(週刊朝日 2014年09月05日号配信掲載) 2014年8月27日(水)配信

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20140827-01/1.htm

の記事などに見られる
日本政府の姿勢を調べて
ぜひ、照らし合わせてみてください。


2014/08/25
【ETV特集】原発事故 国家はどう補償したのか 〜チェルノブイリ法23年の軌跡〜 (全編文字起し)
http://ojirowashi.no-blog.jp/ykminami/2014/08/etv_88b4.html

という風に、放送内容全部を書き起こしてくださった方がいて、
読むことができます。

もし、前回、番組を見逃された方がありましたら

ETV特集
原発事故 国家はどう補償したのか
〜チェルノブイリ法 23年の軌跡〜

が、

今日深夜
2014年8月30日(土)午前0時00分
※金曜日深夜 

NHK教育

で再放送されるので、


住民を被曝から守るどころか、
現在もさらなる被曝を強要していると思えてしまう(原発事故直後、放射性物質拡散情報を発表せず、住民を被曝させたうえにさらに)
日本政府の姿勢、日本の
とぜひ比べて見てみてください。

チェルノブイリ法作成にあたり、
原発事故の補償にとって何が重要なのか、真剣に議論された
と番組は伝えます。

では日本の20ミリシーベルトで支援金を打ち切るとは

真剣に論議されたのでしょうか。


番組紹介は、
[CML 033350] 8/23と29深夜 原発事故 国家はどう補償したのか〜チェルノブイリ法 23年の軌跡〜 /日本の今と
2014年 8月 23日 (土) 19:12:14 JST

http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-August/033403.html

を参照ください。


日本政府は、
住民のいのちとくらしを守るという自らの
役目を放り投げ、
(チェルノブイリの教訓に学ばず)

いかに政府が責任をとらずにすむようにするかに終始し、住民を分断したと思います。
下記をご参照ください。

2013年12月03日(火)【木野 龍逸】 
チェルノブイリ法の否定ありきか口内閣府
の現地視察報告書を公開(木野 龍逸)
http://no-border.co.jp/archives/17117/


2014年01月24日発行 1314号 
【本当のフクシマ/原発震災現場から/第
47回/支援法つぶしの黒幕は経産省だった】
http://www.mdsweb.jp/doc/1314/
1314_08t.html


2014年01月03日・10日発行 1312号 
【本当のフクシマ/原発震災現場から/第46回/避難区域再編を終えた福島の現状/住民を引き裂いた責任は政府に】
http://www.mdsweb.jp/doc/1312/1312_12t.html




放送内容を下記の全文書き起こしより抜粋して整理してのものを下記に貼り付けます。


2014/08/25
【ETV特集】原発事故 国家はどう補償したのか 〜チェルノブイリ法23年の軌跡〜 (全編文字起し)
http://ojirowashi.no-blog.jp/ykminami/2014/08/etv_88b4.html
より、


〈チェルノブイリ法と、
作成に携わった方たちから福島への思い〉


1)
ナレーション:
28年前の1986年、チェルノブイリ原発が爆発事故を起こしました。

膨大な量の放射性物質が放出され、広い地域が汚染されました。

ウクライナ政府が現在被災者と認めている人は、213万人。

被災者に対する補償は、ウクライナ政府によって続けられてきました。

ナレーション:
混乱が続く中でも、ウクライナ政府は補償を継続していくと表明しています。

チェルノブイリ原発事故補償担当者:
現在、わが国は戦争中です。多くの予算が戦費にとられています。

しかし、被災者への支払いは続けています。
・・・


ナレーション:
補償の根拠となっているのが、事故の5年後に制定されたチェルノブイリ法です。

そこには国が被災者の生活と健康を世代を超えて守り、被害の補償を続けると規定されています。

チェルノブイリ法は、事故後の長い議論を経て生まれました。
・・・



ナレーション:
原発の西110キロにあるコロステン市。

ここにはチェルノブイリ法が補償の対象とした地域があります。この町で補償はどのように行われてきたのでしょうか。
・・・

ナレーション:
年間被ばく線量が、法律を制定したときに1ミリから5ミリシーベルトのこの地域では、住民に移住の権利が与えられました。


事故が起きた時、エレーナ・パシンスカヤさんの娘は3歳になったばかりでしたが、悩んだ末、町に残ることにしました。


エレーナ・パシンスカヤさん:
両親は、もう長くないからここにいたい。あなたたちは若いから移住しなさいと言いました。

でも、私たちがいなくなったら誰が両親の面倒を見るのでしょう。だから残ることにしたのです。


ナレーション:
チェルノブイリ法は移住しなかった住民への補償を次のように定めています。


パシンスカヤさんが受け取ることになった補償です。毎月の補償金として、給料の1割分を上乗せして支給。

年金の早期受け取り、電気代やガス代、家賃の割引…、
公共交通機関の無料券などです。


健康を守る措置として、
医薬品の無料化、

そして毎年無料で検診を受けられます。

放射性物質で汚染されていない食料の配給、有給休暇の追加、サナトリウムへの旅行券なども支給されることになっています。

さらに、優遇措置として大学への優先入学制度や学校給食の無料化などがあります。



それでも、この町からの移住を選択した人は4000人に上りました。

当時教師だったビクトル・ホダキフスキーさんは法律制定後すぐに、移住を決意しました。


ビクトル・ホダキフスキーさん:

低線量の放射線は、私たち大人にとっては何ともなくとも、子供にとっては危険かもしれないと思ったのです。

新しい家、そして最も重要だった私と妻の新しい仕事も保障されるということだったので、移住を決めたのです。


ナレーション:
移住を選んだ住民に対して、国は雇用先を探し、住居も提供します。

また、引っ越しにかかる費用や移住によって失う財産の補償も行われました。


ホダキフスキーさん:
あの時、国家が私たちに補償をしてくれたのです。

国家の支援がなかったら、新たな場所へ移住して家を買うことなど、到底私たちにはできませんでした。


ナレーション:
ソビエト連邦から独立したウクライナは、1996年、新たな憲法を制定しました。


そこには、チェルノブイリの被災者を救済することは国家の責務であると明記されました。


第16条。ウクライナの環境を保全し、未曽有の災害であるチェルノブイリ事故への対策に取り組むこと、ウクライナ民族の子孫を守ること、これらは国家の義務である。

ウクライナ政府に、被災者を守り抜く決意をさせたものは何だったのでしょうか。
・・・



2)
ナレーション:
委員会発足から8か月後、チェルノブイリ法は採択されました。

その第1章第1条にはこう記されています。


「放射性物質の汚染地域とされるのは、住民に年間1ミリシーベルトを超える被ばくをもたらし、住民の放射線防護措置を必要とする地域である」
法律の冒頭に被ばく限度量を年間1ミリシーベルトとすることが明記されました。


チェルノブイリ法に基づき、ウクライナの被災地は4つの区域に分類されました。


1― 事故直後から住民を強制的に避難させた汚染レベルの高い区域。


2― 年間被ばく線量が法律制定時に5ミリシーベルトを超えるオレンジ色の区域。
ここも強制移住区域とされました。

3― 1ミリから5ミリの黄色い区域では、
住民は移住か居住かを選択でき、いずれの場合でも補償を得ることができます。

4― さらに、0.5から1ミリシーベルトの区域は、
放射線管理区域と呼ばれ、
妊婦と子供に移住の権利が与えられました。


ヤツェンコさん:
住民に選択権を与えたのは、汚染地域に閉じ込められたような心理状態にしないためです。

いま住んでいる場所で、将来が思い描けないなら出て行く権利があるということです。
・・・



3)
 ナレーション:
自らの予算でチェルノブイリ法の遂行を担うことになったウクライナ政府。

初代大統領のクラフチュクは、予算の配分に頭を痛めました。

クラフチュクさん:

私は
まず、国防予算を削減しました。

そして残りの予算をどのように配分するのか、検討しました。

教育か科学か、それともチェルノブイリ法か。
そして、チェルノブイリの被災者救済を優先させたのです。

もちろん、教育や科学が国の将来にとって重要な分野であることは、分かっています。

しかし、財源がない中で何を優先するかといえば、チェルノブイリ法だったのです。
・・・


ナレーション:
政府は今も、補償と財政のはざまで苦しみ続けています。

ソバ副局長:
財政的な限界で、被災者はチェルノブイリ法で認められたものを受け取ることができず、不満を抱えています。

しかし、支払えないからと言って被災者の権利を縮小したり、なくしたりすることはできません。
それは、憲法違反になります。
・・・




4)
ナレーション:

未曽有の事故から28年。政治や経済のはざまで、被災者の救済は揺り動かされてきました。

それでも、チェルノブイリ法という1本の法律が国家による補償をつなぎとめてきました。

その経験から私たちは、何を学ぶことができるのか。


ヤボリフスキーさん:
原発の大事故で被災した人は、何らかの補償を受ける権利があると思います。
でも、法律は考え抜かれたものでなくてはならず、国家の財源に立脚したものでなければならないと私たちは学びました。

実際、多くの資金が必要です。でも、カネがかかるからと言って、被災者を置き去りにして何事もなかったというわけにはいきません。

今になって見ると、この法律が理想的だとはいえません。でも、当時は被災者の心理的な面でも、国の政治的な面でも必要なものでした。

ウクライナの社会に安心をもたらしたのは確かです。

ナレーション:
ひとたび事故が起きれば、補償は長期に及ぶことも強調されました。


バリヤフテル博士:
このような法律を作る場合には、人々に誠実に向き合い、人の一生を補償する覚悟で作るべきなのだと思います。

さらに、実際に被災した第1世代のためだけではなく、それに続く第2、第3世代も考慮して作るべきなのです。



ナレーション:
シチェルバクさんは、ウクライナの経験を福島で生かしてほしいと考えています。

シチェルバクさん:
1にも2にも重要なのは、被災地の住民を保護することです。

法律を作る際には、はっきりとどこが被災地だという範囲と、どこまでが被災者の権利かといことを明記しなくてはいけません。

それに付け加えて重要なことは、ほかの予算とは別に、被災者の補償のための予算を確保するということです。

私たちが苦しみの末に得たこの経験を、日本のみなさんに生かしてほしいと心から願っています。



ナレーション:
事故を起こしたチェルノブイリ原発。


廃炉には100年以上の時を要します。そして、被災した人々の救済も、長く続きます。

国家はどこまで、その責任を果たせるのか。ウクライナの歩みは被災者救済と向き合う国の覚悟を問うています。



菊池
ekmizu8791アットezweb.ne.jp
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