[CML 033501] ブラック企業と左翼教条主義

林田力 info at hayariki.net
2014年 8月 29日 (金) 21:54:56 JST


労働問題について様々な用語が存在する中で、ブラック企業やブラック士業という新しい言葉が話題になった要因は、既存の用語よりもリアリティが感じられるためである。ブラック企業の実態は「生の声を丹念に集めなければ見えてこない」と指摘される(河合薫「「残業は無能の証拠?」 部下を奴隷化するブラック上司」日経ビジネスオンライン2013年8月20日)。

ゼンショーホールディングスの問題も以下のように指摘される「悲鳴を上げている現場の実態を、小川賢太郎会長兼社長以下の経営陣が十分に把握できなかったことが対策を遅らせ、事態を悪化させた」(西雄大「ガバナンスも「ワンオペ」だったゼンショー」日経ビジネスオンライン2014年8月26日)。

 故にブラック企業を自分達のイデオロギーのフィルターを通して言い換えることは本末転倒になる。既存の左翼教条主義的な労働者搾取論にリアリティが感じられないから、ブラック企業という言葉で表現する。左翼教条主義者が自らの偏狭なイデオロギーの枠組みで「過酷企業」や「搾取企業」と言い換えても、ブラック企業の生の実態は理解できない。

 当然のことながらブラック企業という言葉を使うだけで若年層の苦しみが理解できる訳ではない。左翼を気取りながらも高度経済成長にどっぷり浸かり、世代間不公平を押し付けていることに無自覚ならば、ブラック企業という言葉を受け入れた程度で若年層の苦しみが理解できるはずもない。しかし、ブラック企業という言葉が生まれた背景を全く理解しようとしない左翼教条主義者に、ブラック企業という言葉を端緒として現実を理解しようとする努力を否定する資格はない。

 左翼にも「皆で頑張る」的な特殊日本的集団主義を是とする風潮があり、左翼教条主義のままではブラック企業を批判しきれない。日本の左翼が反体制を気取りながらも、特殊日本的集団主義から抜け出せないならば、個人の自由を重視する新自由主義の方が思想的には進歩的となる。新自由主義が改革派で、左翼は保守と同じく既得権擁護の守旧派という構図に説得力を与える。

 左翼教条主義者からは「若者に媚びるな」「若者を甘えさせるな」との反感も予想される。それはブラック企業を正当化するブラック上司と同じメンタリティである。左翼教条主義が「弱者のため」と言いながら、若年層に自分達の歴史とイデオロギーを刷り込むことしか考えていなければ、若年層が右傾化し、左翼を攻撃するようになることは当然である。

 自分達のイデオロギーに合わないために見捨てられたブラック企業被害者の面影が脳内に残っている限り、左翼教条主義者を許すことなど到底できなくなる。ブラック企業やブラック士業という言葉が黒人差別になると糾弾する左翼教条主義は白人至上主義のレイシズムに通じるものがある。自身の道徳的優等性意識の強さから、人と人との対話という基本的な作業を疎かにしている。市民運動家の仕事の何割かはコミュニケーションである。優秀な運動家は他人の気持ちを理解できなければならない。

ブラック企業という言葉が今ほど浸透していなかった時代に若年層右傾化の心理を説明した論文に赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」論座2007年1月号がある。この論文は左翼知識人から猛反発を受けた。「自分の頬でも叩けばいい」との感情的な反発もあった。

この論文に批判できる点があることは否定しない。私も批判的に論じたことはある。しかし、そこで書いた通り、「社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会」を無視して上から目線で批判するならば、全く問題意識に応えていないことになる(林田力「【オムニバス】「天皇をひっぱたきたい」と言えないネット右翼の限界」JANJAN 2010年3月25日)。

 実際、批判に対する再反論のタイトルは「けっきょく、「自己責任」ですか」であった(赤木智弘「けっきょく、「自己責任」ですか 続「『丸山眞男』をひっぱたきたい」「応答」を読んで」論座2007年6月号)。自己責任を押し付ける勢力との対決。この観点から新自由主義勢力を批判する左翼は少なくない。ところが、若年層から見れば世代間不公平に無自覚なシニア世代の左翼こそが自己責任を押し付ける勢力になっている。

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林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
http://www.hayariki.net/poli/black.html


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