[CML 033443] IK改憲重要情報(59)

河内 謙策 kenkawauchi at nifty.com
2014年 8月 26日 (火) 20:11:32 JST


IK改憲重要情報(59)[2014年8月26日]

 私たちは、内外の改憲をめぐる動きと9条改憲反対運動についての情報を発信します。(この情報を重複して受け取られた方は失礼をお許しください。転載・転送は自由です。)
   
弁護士 市川守弘、弁護士 河内謙策

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(以下は、河内の個人的見解です。御了解ください。)

中国の軍事力 嫌戦感情 日本の民衆運動の在り方

 集団的自衛権反対運動の「後半戦」に向けていくつかの問題提起をさせていただきたいと思います。

 やや古い話で恐縮ですが、『SAPIO』2014年7月号が「東シナ海海戦日本に勝算はあるか」という特集を組みました。その特集のモチーフは「集団的自衛権の机上の空論では国防は語れない」というのでした。この編集の立場は、集団的自衛権に賛成の上に立って、保守派の集団的自衛権論議が、やや「机上の空論」になっていることを批判することにありました。
 このように、保守派の立場に立って、従来の集団的自衛権論議の不十分性を批判する議論が散見されます。これは、集団的自衛権推進派の矛盾と喜んでいい事態ではありません。なぜなら、そのようにいう論者は、集団的自衛権が予想している中心的テーマは対中国戦争であること、日本の国民には軍事費の増大をはじめとした巨大な負担がのしかかるであろうことを、保守派が黙っているのは良くない、国民にもっと率直に言うべきである、という点で共通しているからです。
 岡崎久彦という著名な日本外交のドンがいます。彼が『文藝春秋』2014年7月号に「中国航空戦力が日米を上回る日」を書いています。そこで彼は「中国の軍備拡張の増勢をみると、[日本と在日米軍、第7艦隊の]すべてを足しても[中国空軍より]明らかな劣勢となる時期は、指を数えて待つばかりとなっている」と述べています。そろそろ、日本国民に真実を知らせておかなければまずいと判断したのでしょう[岡崎の議論に対して中国の軍事力の過大評価だという議論が保守派の中にありますが、今回は触れません。その一方の雄は、田母神俊雄です。彼の『田母神 戦争大学』産経新聞出版を参照)。
 私が、日本の民衆運動に提起したいのは、
このような情勢であるからこそ、日本の集団的自衛権反対運動のなかにある、集団的自衛権は憲法9条違反だ、といって終わりにする傾向(私のいう法学的批判偏重主義)を克服し、アジア情勢を直視して、軍事的側面からの批判や、国際政治からの批判や、日本の将来からの批判など、豊かな集団的自衛権批判の論理をつくりあげるべきではないか、ということです。

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 集団的自衛権反対運動のビラで、「戦争になる」ということを強調するビラを、よく見かけることがあります。
 私は「戦争になる」ということを過度に(!)強調するのは問題があるのではないか、と思っています。
 戦争になる可能性があるのは事実であるし、嫌戦感情は、戦争の悲惨さ醜さをみれば、よく理解できます。しかし、戦争を防止するには、戦争が嫌だという感情を表明するだけでは不十分です。戦争がなぜおこるか、どうやったら防止できるか、そのために、国民一人一人が何をすべきか、を訴えることが必要だと思います。嫌戦感情を過度に(!)訴えると、訴える人間の思考の単純化と思考能力の低下も起こります。この観点から見ると、日本の民衆運動が日本の民衆に対し「アジアの民衆と連帯してアジアの平和を創造しよう」と呼びかける点で弱点があることは残念です。ベトナムの民衆も、フィリピンの民衆も、台湾の民衆も、日本の民衆に連帯を呼び掛けているのに、なぜか日本の民衆運動は、これを無視しているのです。

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 集団的自衛権反対運動の「後半戦」の展望は、けっして暗いものではないと思います。
 安倍内閣は、最近のアベノミクスの「失敗」、
福島、沖縄県知事選、原発の再稼働、日米ガイドラインなど集団的自衛権具体化立法、消費税の増税、来年の一斉地方選など、その基盤を揺るがす多くの問題を抱えています。だから、安倍内閣はけっして“安泰”ではないのです。したがって、日本のバラバラな民衆運動が、バラバラな状態を克服できるかどうかが、決定的なカギをにぎる局面に立ち至っているのです。政党や文化人の力を借りないで、どうやって民衆自身が民衆運動の統一を実現できるのか、それを見つけ出すのは民衆だとしか私には言えません。
 日本の民衆運動の統一の問題と共に、日本の民衆運動が「突出した」闘いを強いられている人々とどう連帯するかも真剣に考えなければならなくなっていると思います。私が「突出した」闘いというのは、沖縄の辺野古・普天間のたたかい、川内原発をはじめとした全国の原発再稼働反対の闘いです。
 沖縄について言うと、1995年の時は、労働組合などが沖縄現地に沖縄駐在員のような人々を派遣し、沖縄と本土の結びつきを
つくる工夫をしました。今回も何か新しい試みが必要な感じがします。
 それから、やや唐突かもしれませんが、私は、労働組合にたいし、来年の集団的自衛権の「決戦」にむけてゼネストで闘うべきかどうかを議論してほしいと思います。集団的自衛権の道に日本が踏み込むことは、日本の歴史の決定的な転換点です。私は、先輩から、日本の歴史の決定的転換点では、労働者階級が必ず立ち上がる、と教わってきました。ここで労働者が決起しないようであれば、日本の労働者はどこへ行ったのかということになるのではないでしょうか。
 日本の労働組合の実情を知らないで勝手なことをいうな、という批判が私になされることは、覚悟の上の問題提起です。

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                以上










 







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