[CML 033406] ブラック企業:賃金:トルコ風呂は廃語になりました、言葉狩りではありません
石垣敏夫
motoei at jcom.home.ne.jp
2014年 8月 25日 (月) 18:23:19 JST
前田朗さん
お世話様
コメントありがとうございます。
ブラック企業のブラックを「黒人」と解釈せず、使用しいることは
百も承知です。
しかし、この言葉を「聞いた、知り得た」アフリカ系住民はどう思うかと、
という問題です。
釈迦に説法ですが、
差別とは被害者がどう思うか、ということだと私は解釈しています。
差別者は知らずに足を踏んでいる方ですから、被害者から苦情がでなかれば直しません。
トルコ風呂も、トルコ人のことではない、と言っていましたが、
トルコ人からクレームがきました。
これも話題になって1年ぐらいでしたか、この用語は廃語となりました。
前田さんもご存じの通り、慰安婦・従軍慰安婦の問題で
当事者から「慰安婦」「従軍」とは何だ、と抗議があり、
今は日本軍「慰安婦」に落ち着いたと思います。
「『ブラック企業』は黒人のことではない」だから使い続ける
という方はいると思います。
彦坂さんの文章に(下記転載:ご本人のご了承を得ています)
「ガザのこどもたちわかものたちがいまどのように生きているかを知ってもらうことが
なによりも有効ではないかとわたしはおもいます」
とあります。ホワイト・イエロー・レッド・ブラックというカラーの
問題、争いの問題は日本人として「自分は自分の解釈で使用している」では済まないと
考えます。私は「言葉狩り」とは考えていません。
「ブラック企業」の表現を
「劣悪企業」「過酷・苛酷・酷薄企業」等に変えることはできることだと
思いますし、また、そうすべきと考えています。
さいたま市 石垣敏夫
以下転載
石垣さん、
この林田さんの言い分は、「若者」「若年層」の状況をわたしはよくよく知っていますよ、
あなたがた左翼教条主義者にはそこがわかってないのですね、という「非当事者」の
わけしり意見ですね。
「ブラック企業」がほんとうに「若者言葉」なのかどうか、あやしいとはおもいますが、
(わかものに媚びるマスコミの造語じゃなのかな?)、かりにそうだとして、
そういう「ことば」でしか状況を把握できなくなっているのだとすれば、そのわかものたち
にこそ、その「あさましさ」を自覚させる方法を考えるべきです。
生きていさえすれば、だれにだった「考える」「感じる」ことはできます。
しかし、「ブラック企業」というたぐいの「ブラック」のつかいかたに関しては、
どうしても、「ネグリチュード」の運動(アメリカでは公民権運動)の実態(歴史に
なっちゃってるんだよねえ、いまは)を最低限知る必要があります。
それを知ったうえで、自分自身で「ネグロ(ニグロ)」とよばれ、
「クロ」はこの席に坐るな、黒人オフリミットといった現実のなかで
黒人たちがどう感じていたのかを知ったうえで、なお、「クロ」と「シロ」とのつかいかた
について反省的意識がもてないようなら、もっと根源的に、そのわかものの
生きかたそのものを問いなおさなければならないでしょう。
わたしの身近なところに黒人の友人知人はいなかったし、いまもいません。
そのわたしが、黒人の問題を自分のこととして感じるようになったのは、
ちょうど、ファノンの著作に接したころ、このわたしが社会の最下層に転落し、
うらぶれてひがみっぽい下層亜人間の心性に溺れていたからです。
アメリカの黒人たちがはじめて街頭lに出て訴えはじめたころにうたわれた
「We shall overcome」を、どれほど深い感動をもって吸いとったか。
ひどく虐げられた者ほどよく虐げる。
不満や不安が、その原因をつくっている抑圧者にむけられることはまずなく、
自分よりよわい者を虐げるという方向へしかむかわない。
わかものたちに媚びてはならない。
かれらのほんとうの生の状況は、「ブラック企業という若者言葉」を「理解」し
たぐらいでは、所詮、わかるものじゃない。当事者でないかぎり。
、運動側がブラック企業という問題意識を持つことによって初めて若年層に意味のある存在になった。
> もし労働運動がブラック企業という言葉を使わず、
> 左翼教条主義的なアジテートを繰り返すだけでは若年層にそっぽを向かれたままだろう。
これなど、もののみごとに「運動側」に身をおくひとの意識です。
「若年層にそっぽを向かれ」ないようにするために?
「おためごかし」が見え見えじゃないの。
「左翼教条主義的なアジテートを繰り返すだけ」といった言いまわし
それ自体が「左翼」であれなんであれ「教条主義的」であることに
このひとは気づいていないらしい。
「そっぽを向かれないように」いくら猫なで声をふりまいたところで、
自分たちのなかまかどうかは、すぐにかぎわけられます。
きもちわりい。
ガザのこどもたちわかものたちがいまどのように生きているかを知ってもらうことが
なによりも有効ではないかとわたしはおもいます。
空気がない! 水がない! 閉塞状況だ!
いまの日本のわかものたちよりはるかに酷薄な状況のもとで生きさせられている
こどもたちわかものたちがいることをぜひ知らせたい。
知れば、あらわれかたはちがっても閉塞状況下に生きているということでは
自分たちと共通するところがあることに気づくでしょうから。
彦坂 諦
ブラック企業: 賃金とは何か
前田 朗です。
8月24日
石垣さん
ご苦労様です。
ブラック企業という言葉を巡るやり取りは、ずっと以前にこのML上で行われまし
た。私の見解はその時に示したことで十分であり、繰り返すつもりはありません
でした。
しかし、石垣さんが下記の投稿をしているので、再度、最低限必要なことを一言
書いておきます。
ある言葉が差別になるかどうかは、その言葉が使われる文脈に依存します。
例えば、日本社会では、「朝鮮(チョーセン)」という言葉を、ある文脈で使う
と極めて差別的侮蔑的になります。しかし、朝鮮半島の北半分に行けば、それは
文字通り、朝、鮮やかな素晴らしい国を指します。そのことにシンパシーを持っ
ている人もいます。私は、後者の文脈で頻繁に朝鮮という言葉を使います。「朝
鮮」という言葉が差別的なのではなく、その言葉が使われる文脈、とりわけ使う
人間の主観、使う状況、その言葉が向けられる相手との関係によって差別的にな
るのです。差別は実体ではなく、関係です。
ブラックという言葉が差別的になるかどうかも同じです。ブラック企業という言
葉は、日本の労働現場で被害を受けている者と加害を行っている企業との間で、
特定の文脈で使われている言葉です。日本社会に暮らす黒人に向けられているの
でもなければ、国外の黒人に向けられているのでもありません。
ブラックは色やそのイメージを指す表現です。ある文脈では黒人を指す場合もあ
る言葉ですが、黒人を指していない場合にもかかわらず無理やり黒人を指してい
ることに変えて批判しても無意味です。以前にも何度も紹介されたように、ブラ
ックはいい意味でも、悪い意味でも使われる、普通の言葉です。赤も白も黄色も
同じです。
文脈を無視して何でも差別だと言い募ることを、PC(Political Correctness)と
言います。PCは日本的に言えば差別語狩りです。相手に対する差別が行われてい
る場合ではなくても、言葉が気に入らないといって非難することであり、不毛な
議論の原因となります。「**が聞いたらどう感じるか」と、勝手に文脈を変え
ることは止めましょう。文脈と意味を読み変えて非難するのは、悪質な恫喝とな
ります。
差別についてさまざまな理解があり、議論がることでしょう。上記の見解に対し
て、石垣さんからも反論があることでしょう。しかし、それに対して私からの反
論はしません。
私は40年間差別問題に取り組んできた私なりの経験と理解で物事を考え、取組
み続けます。そして、人種差別撤廃委員会での議論をもとに、真に解決するべき
差別を取り上げて、その解決を目指します。この社会には真に解決しなければな
らない多数の差別があります。ヘイト・スピーチや朝鮮学校無償化除外や「慰安
婦」問題がその典型です。力及ばず、なかなか解決できませんが。
おかげで多忙なので、これ以上、言葉狩りの議論に加わる暇がありません。
ではまた。
----- Original Message -----
> 皆さん・林田さん
> お世話様
>
> >たとえば労働問題においてもブラック企業という若者言葉で認識しなければ
捉えられない状況が起きている。
>
> 分かり易い言葉として『ブラック企業』という造語、
> をあなたを含めマスコミは使用しています。
> レッテルを貼る、これは敵に対して有効です、
> しかし、そのレッテルの内容で新たな敵をあなたは作っているのです、
> いわゆる『ブラック・黒』黒人といわれるアフリカ系住民をです。
> 『自分が足を踏まれているから』「踏んだ人間をボロクソに罵倒する」それは
許されるでしょう。
> しかし、その発した言葉が敵だけでなく、それを聞いている『他者・弱者』の
心を傷つけていたら、
> どうなるのでしょうか。
>
> >左翼教条主義的なアジテートを繰り返すだけでは若年層にそっぽを向かれた
ままだろう。
>
> ブラック企業を「過酷(苛酷)・または酷薄」企業と呼び変えたらそれは教条
的なアジテートになるのでしょうか。
> そのことによって若者がそっぽを向くのでしょうか。
> 今の労働組合はご用組合か、分裂して政党の下請けになっているのが多く、
> 若者が賃金とは『働いているから得るのではなく」
> 「労働力商品という労働力を売って賃金を得る」という基本的なことを
> 理解していないだけです。
> 賃金は労働者の需要と供給で多少上下はしますが。
> 労働者が如何に自分たちの労働力を経営者・資本家に賃金として高く売るかで
決まります。
> 非正規雇用、長時間低賃金労働者は組合を結成し、団結して経営者と
> 団体交渉を行い、主張が全て通らなければストライキをやるのです。
> これは労働基本権です。
> 働く人々が団結して経営者と対等になる、これは同じ人間として
> 当然の権利です。
> 差別されている、非正規労働者が団結してストに立ち上がれば
> 経営は麻痺しますし、経営者は譲歩してきます。
> 経営者にお願いして賃金を上げ、労働時間を短くしてもらおう
> などのゴマスリは新たな、差別を産みます。
> 若者はダラカン組合幹部を当てにせず、仲間を作って闘うしかありません。
> 「ブラック企業」というレッテルを貼っても闘う若者が成長しなければ、
> 労働条件は改善されません、
> また『ブラック」という差別性、哲学を認識できない人は
> 闘い切れないでしょう。
> 労使の関係が共同労働で、賃金・労働時間をみんなで
> 話しあって決めるという企業はこのケースと異なります、
> そのような企業は『過酷企業』などとはいわれないでしょう、
> 石垣敏夫
>
>
> ブラック企業
>
> 現代の若年層を取り巻く状況が「若者も含めた」という一般的な施策で救済さ
れるほど生易しいものかという疑問である。
> たとえば労働問題においてもブラック企業という若者言葉で認識しなければ捉
えられない状況が起きている。
> 従来型の労働運動はブラック企業の問題意識が抜け落ちており、運動側がブラ
ック企業という問題意識を持つことによって
> 初めて若年層に意味のある存在になった。もし労働運動がブラック企業という
言葉を使わず、
> 左翼教条主義的なアジテートを繰り返すだけでは若年層にそっぽを向かれたま
まだろう。
>
> --
> 林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
> http://www.hayariki.net/
> http://hayariki.zero-yen.com/
>
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