[CML 033369] 清書「9条改憲阻止の会」夏季総会への提案の骨子の概括   塩見孝也 2014・8・24、

塩見孝也 rsr80930 at nifty.com
2014年 8月 24日 (日) 10:46:47 JST


 清書「9条改憲阻止の会」夏季総会への提案の骨子の概括   塩見孝也 2014・8・24、

1、世界資本主義の経済情勢は、長期停滞・全般的危機を更に深化させていっている。資本主義の「一国性(出自性)と世界性の矛盾」は激化し、資本主義は「苦悶」を始め、痙攣してゆく。こんな状態では、第3次世界大戦には行けず、その代わりに世界恐慌が深化してゆくこととなる。資本主義はもはや矛盾を外化できず、これを内向化させてゆかざるを得ないこと。―――「資本主義発展の第3段階」論につきましては、この10年近く、一連の諸文章を書いています。この中で、現代資本主義においては、「第3次世界大戦か、世界(過剰生産)恐慌か」については、僕にあっては結論を確立することとなりました。
世界と日本の資本主義は、グローバリズムの新自由主義がもたらす、この経済の長期停滞、不況の情勢下で、富めるものは、まさすます富み、貧しい人々は、もっともっと貧困化し、階級間の格差化を世界じゅうにもたらしてゆきます。
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2、 日本資本主義の「資本主義の第三段階的」発展は、今のところ、ネオ・リベのグローバリズム性と古典的帝国主義性(植民地の分盗り合いを基本起点とする、市場分割戦・資本主義の不均等発展)の原理のせめぎ合い、となっているが、基調ははっきりと前者である、ということが出来ること。「植民地無き、世界統一市場」という新たな、世界経済の段階で、どうしてこのような
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 世界・各国の資本主義の利潤率は「傾向的に低落」し、ますます「相対的過剰人口」は増大してゆきます。
 ここから、資本主義の矛盾は戦争に外化できず内向化してゆくこと。アベノミックスは、排外主義(<中国脅威論>と<北朝鮮の核による暴発論>)の擬制を政治路線、政治理論の「核」とする格好を取りつつも、実質、経済はネオ・リベのグローバリズムをやっていること。
 つまり、この二つの折衷論の外観を呈してはいるが、安倍政権の本質は、「戦後レジームの超克」「世界に冠たる世界一の日本」などを、幾らあがいて推進してゆこうとしても、それは不可能で、この根拠無き願望は破産し、自分達が選択した道は<新自由主義のグローバリズム>であることに気付くこととなろう。そして、この日本資本制帝国主義の中心核であるアベノミックスが早晩破綻することは必至である。 こうなればなるほど、民衆の経済・生活の破綻が、急速に深まって行くこととなろう。
 <中国脅威>論と<北朝鮮の核による暴発論>、そして「戦争勝利」のイリ-ジョンは消失してゆきます。「戦争勝利」よりは、経済・生活の方が、もっともっと民衆にとって切迫化し、深刻になってゆくであろう。
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「経済・生活危機を排外主義・戦争に持ってゆかれるのか、経済・生活を守り抜き、戦争熱を吹き飛ばし、体制変革の道を歩むか」です。
3、 僕ら「会」は、「9条改憲阻止」を基本スローガンとして、これを実践し、このメダルの表側に対する裏として、相補関係にある「安保再編強化」と「沖縄(帝国主義侵略戦争)前線基地化」に反対し、「反安保・沖縄連帯」の道を歩んで来た。
 又、更に、こうして戦争への道(戦争を準備する道)を押し留めつつ、<自然と人間の循環>の関係性を破壊する、自然を搾取・収奪する資本主義の原発推進・再稼動というネルギー確保路線を徹底的に批判し、<自然と人間の関係の循環関係>を復活・保持し、これを調和するエコロジカルなエネルギー路線を対置してきた。これは、まったく正しい。僕らは引き続き、この道を粛々として歩んで行くべきである。
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 この路線・方針の実践化の中で、逆に、上述、3の三つの路線・方針をよりバージョンアップしてゆくべきである。
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 この路線は、引き続き堅持して行くべきである、ことは自明のことである。
 しかし、これのみでは、今後の情勢では決定的に不十分である。経済・生活面での、職場・地域にある労働と生産、福祉に関わりあうこの分野での固有の諸問題に取り組んで行くべきである。
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 食えなくなれば、民衆は、そうさせている社会制度の改革・革新・革命に進んで行かざるを得ない。こういう性質を孕みつつ、民衆の生活・経済闘争は、民衆にとって一番広く、深い、かつ具体的なことという意味で、もっとも鋭い、これまでとは違った、「経済・生活闘争」の程度、枠組みを超えた、<政治闘争>となって行くこと。
 経済闘争・労働問題・地域闘争は全民衆的政治課題となり、もっとも底の深い、広大な全民衆の高度な政治闘争となって行くこと。僕はこの状態を、<経済闘争の社会政治闘争>化と捉えて来ました。つまり、全民衆にとって、経済闘争は、もはや単なる経済闘争とは言えず、全職場、全地域、全社会と国家を巻き込んだ、資本主義生産・所有関係、ブルジョア秩序に穴を開けてゆく、一番深く、広く、普遍的な政治闘争となって行くのである。
 これは、機動戦、街頭政治闘争の陣地となってゆき、これを強化してゆく。そればかりか、この陣地戦は、機動戦と結合しつつ資本主義体制を超えてゆく、民衆自身の新しい権力と新しい社会体制、すなわち、社会主義共同体に向う自主管理型の職場・工場の評議会と地域コンミューンへの道、その萌芽を生み出して行くこととなってゆくであろう。
4、 経済闘争・労働運動闘争・地域闘争と政治闘争を、「政治闘争から経済闘争へ」「経済闘争から政治闘争へ」双方向から結合させてゆく構図は、アベノミックスの破綻の時期、程度、深化の度合いに深く規定されて行くものではあるが、遅かれ、早かれ破綻は必至である以上、この構図実現は、全民衆の課題となってゆくであろう。
 70年安保大会戦の折は、ベトナム反戦、反安保・沖縄連帯闘争と授業料闘争の結合としてあり、それは、全共闘運動を生み出し、大学・学生運動分野ではあったものの、又プチブルジョア学生層に立脚したものではあったものの、それでも都内主要大学、地方の大学に学生権力を、約2~3年間とは言え、創出して行きました。第二次高度成長が始まる、日本資本主義の好況期であったにも関わらず、です。
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 僕は、「阻止の会」の労働運動・地域政治・福祉闘争分野での分遣隊として、清瀬駐車場から奮闘してゆきます。

 ※僕らは、この「政治闘争と経済闘争を結合させてゆく」道を、この70年安保大会戦以降の後退戦、迂回戦の40数年間の間で学んで来た五つの教訓を更に、更に踏みしめ、進んで行くべきである。
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 <社会政治闘争>の前提に据えられるべき、この40数年間の闘いの継続を通じて学んだ五つの教訓について、再確認してゆこう。
 僕らは、あの60年安保大会戦、70年安保大会戦の敗北を経て、営々としてこの敗北を反省しつつ、苦難の闘いを不屈に継続してゆく中で、この40数年間の間に、以下のよう重大極まる教訓を学び取ってきました。 この道を、いつ 
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a、人間の命の最高の尊厳性・尊貴性。そしてそれを社会的に輝かせる人間、民衆の自主性(=社会的共同性)。この二つの何物にも換えることのない最高尊貴性の承認。このことを闘いの政治上、思想上、倫理上、理論上の最高の価値規範に据えてゆくこと。
b、ここから民主主義を真の民主主義(反戦平和、国際主義精神に溢れた、民衆中心の民主主義)に改造、創造的に実現してゆくことの大切さを認識したこと。あくまでも立憲主義の原理・原則に則って、法律的知識を駆使し、合法ぎりぎりの線を守りつつ、民主主義精神を発揮し、民主主義を真の民主主義に変えて行くこと。
c、民族は、簡単には、近代革命(ブルジョア革命)が終わったとしても、ただただ反動化して行くわけではないこと。民族は自己を向上させ、人類に接近すべく、他民族の抑圧、差別、社会排外主義をなくし、他民族、他国家らの抑圧、差別、主権侵害を許さず、良き伝統を活かし、悪しき伝統を廃止し、民族内部のブルジョア階級を無くして行こうともする。域内少数民族は分離と結合の自由を有すことを全面的に承認する。その個性、文化を人類に向けて、営々として輝かせてゆくよう、世界的規模の社会革命と合い携えつために、民族内部の資本主義の廃止、階級制度の廃止を追及し、ナショナル・アイデンティ-を止揚し続けて行かなければならないこと。僕ら、日本人、日本国民は、パトリオット(源郷主義者)としてã€!
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d、これらの教訓を基本点にして、思想の違いを暴力でもって解決するような根本的な思想上、政治上、組織上の過ちを徹底的に改め「小異を残して大同につく。」原則があることを知ったこと。従って、この原則に従って<共同闘争>、<統一戦線闘争>を作り上げてゆくことを学んで来たこと。言い換えれば、革命的暴力を、真の民主主義、人間主義に立脚し、復権してゆく時代と言えます。
e,こういう陣形を作り出してゆけば、一握りの金融独占資本主義の作り出す政治、経済、軍事、文化の路線は、彼ら以外の階級、階層にとって、敵対的性格を持ってゆくことは明らかであり、彼らは孤立し、民衆の運動は圧倒的多数者の支持するところとなる可能性が増大していること。現代の資本主義を廃止し、これを社会主義に置き換えてゆく革命は、それ故に≪多数者の革命≫となることは明らかである。 

 以上は、僕の最近強調してきた<社会政治闘争>論、路線の前提である。

 



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