[CML 033346] 川辺川ダム問題を追いかけ続けたジャーナリスト、高橋ユリカさんの死を悼む
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 8月 23日 (土) 17:01:30 JST
川辺川ダム問題を追いかけ続けた環境ジャーナリストの高橋ユリカさんが一昨日の8月21日に死去、という報に接しました。享年
58歳(1956年生)。若すぎる死です。ユリカさんは長い間がんという病と闘っていたということですが(高橋さんの死後知ったことで
す)、その長年の病魔との闘いにとうとう弓折れ矢尽きてしまったということでしょうか。
高橋ユリカさんには三つの顔があったようです。ひとつは「下北沢再開発問題の闘士」という市民運動ジャーナリストとしての顔。も
うひとつは「熊本・川辺川ダムの問題を追いかけ続けた」環境ジャーナリストとしての顔。さらにもうひとつは「ホスピスや緩和ケア問
題にとりくんできた」医療ジャーナリストとしての顔。ユリカさんの代表作のひとつといってよい『川辺川ダムはいらない~宝を守る公
共事業へ』という本が出版される前に書かれたプロフィールだと思いますが、同プロフィールにはユリカさんの経歴について次のよ
うな紹介があります。
「たかはし・ゆりか、1956年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。婦人誌などの編集を経てフリーライターに。主な著
書に「病院からはなれて自由になる」(新潮社)「誰のための公共事業か」(岩波ブックレット)「医療はよみがえるか~ホスピ
スと緩和ケア病棟」(岩波書店)など。また雑誌「世界」「読売ウィークリー」「AERA」などに記事を多数執筆している。スウェ
ーデン、イギリス、ブラジルなど海外取材も重ね、“暮らし”に根ざした取材ルポを続けてきた。在住の東京・下北沢の街づ
くり問題にも関わり現在は「下北沢フォーラム」世話人。11年前から川辺川ダム問題取材のため人吉球磨を頻発に訪問、
地元関係者との交流を深めている。」
そのうち私が直接知っている高橋ユリカさんの顔は「川辺川ダムの問題を追いかけ続けた」環境ジャーナリストとしての顔です。ユリ
カさんが活躍の場のひとつとされていた川辺川メーリングリストに私は以下のようなささやかともいえないほどのちっぽけなさらにち
っぽけな記事を書きました。
それを高橋ユリカさんへの私の追悼の言葉とさせていただこうと思います。人は「それぞれにひっそりと小さな個人の死を死ぬ」(池
澤夏樹「夏のかたみに 10」朝日新聞 1993.8.18)ほかない死をユリカさんもひっそりと死んだ、ということなのですね。川辺川から見え
る五家庄一帯の名もない山の谷間に沈む落日のように・・・
高橋ユリカさんのご逝去について劇作家の坂手洋二さんが本日の23日づけでご自身のブログに追悼の言葉を書かれてい
ます。
高橋さんはがんで亡くなられたのですね。
同ブログには昨年の6月に撮影したという高橋ユリカさんの近影も掲載されています(左側が高橋さんで右側がおそらく坂手
さん)。
■ありがとう 高橋ユリカさん(Blog of SAKATE 2014-08-23)
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/bbc02d96ab6e8d960c42c3fde2b4f65c
私は蒲島郁夫さん(当時、東大教授)が潮谷義子前熊本県知事の引退をうけて同県知事選に出馬した当時、高橋ユリカさ
んとは蒲島さんの評価についてずいぶんと議論を戦わせました。しかし、ユリカさんの川辺川への愛情はほんものであるこ
とは理解していました。
高橋ユリカさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
東本高志@大分
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