[CML 033222] 書評『忘却の声』

林田力 info at hayariki.net
2014年 8月 17日 (日) 18:38:54 JST


アリス・ラプラント著、玉木亨訳『忘却の声』上下巻(東京創元社、2014年)は認知症の高齢女性ジェニファーを主人公としたミステリー小説である。現代アメリカを舞台する。主人公の独白とノートに書き付けたメモ、介護人や子どもが記したメモから物語が進む。

 親友のアマンダが殺害された。主人公には記憶がないが、状況は怪しい。認知症患者を視点人物としているため、読者にも断片的な情報しか入らない。ミステリーの構成として巧みである。

 主人公は外科医であったが、認知症を患う現在の状況はヒヤヒヤものである。物語の前半はミステリーの真相よりも主人公が安全かつ詐欺師に騙されずに生活を送れるかという点に関心が向いた。日本では東急百貨店が認知症女性に洋服など一千万円以上も次々販売する事件が起きた。本書を読めば、それが十分に起こりうることであると理解できる。

 上巻の末尾で謎解き中心になるかと思いきや、下巻でも認知症患者の問題は続く。認知症患者に感情移入すれば福祉施設の扱いは不当である。しかし、主人公のような行動があるならば、止むを得ないとの考えも成り立つ。認知症は重たい問題である。

 話の本筋との関連性は低いが、東京電力福島第一原発事故を経験した日本人には見過ごせない記述があった。原子力発電所が近くの州立公園の湖に余熱を排出している。ピクニックに出かけた二組の夫婦は「湖の水がなまぬるいことでジョークをいい、突然変異した魚ややけに大きい水辺の鳥たちを笑いの種にする」(253頁)。

 日本では福島の農家を人殺しと罵倒し、規格外イチゴを放射能の突然変異と大騒ぎする放射脳カルトが社会から遊離している。このような記述から放射脳カルトは国際的にも遊離していることが分かる。

 同じく話の本筋との関連性は低いが、本書の描写から米国社会では薬物依存がありふれたものになっていることが分かる。これは恐ろしいことである。日本でも危険ドラッグ(脱法ハーブ)が社会問題になっている。まだ日本には薬物吸引自体を白眼視する傾向がある。その道徳観念は維持したい。

 本書の結末は意表を突いたものである。しかし、後から振り返れば本書の結末の可能性はミステリーファンならば想定可能なものだろう。それを読書中は考えさせない理由は、認知症患者を視点人物として断片的な情報しか与えない設定の巧みさにある。このようなミステリーもあるのかと唸らされる作品である。

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林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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