[CML 033089] <テント日誌8月9日(土)―8日(金) 経産省前テントひろば1064日目、商業用原発停止325日目>
Kimura-m
kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2014年 8月 10日 (日) 10:37:14 JST
(転送します)
テント日誌 8月8日(金)
経産省前テントひろば1063日 商業用原発停止324日
「汚染水」騒動には笑ってしまったが…
暦の上では立秋も近いらしい。しかし、季節を外した台風(?)に襲われて季節感も狂ってきている。暑いことはたしかで、冷房もないテントではしんどいがそこは涼風が結構あって意外としのぎやすい。最近、むかしの友人たちがテントを訪ねてくれることが多い。僕には何よりもうれしいことだが、昨夜も大学時代の友人の訪問があった。暑気払いと近所の居酒屋に出掛けたが、美味しい酒に飲まれたのかテントに帰って早々に寝てしまった。セミの声に目が覚めたのだが、外は薄らと開けて行くところだった。もうすこしすれば朝寒ということになるのだろうが、いい塩梅と散歩に出掛ける。日比谷公園の方にいくとこちらはセミの声が一層すさまじい。都心でこんなにセミの声がするところも珍しいのかもしれないと思った。
テントに戻ってテント前でいつものように座っている。来週はお盆休みに入って人通りも少なくなるのだろうかとあれこれ想像をしていたのだが、今日はいつもより向かいの外務省の警備が厳しい。北方領土の日(?)とかで右翼の街宣車が押し掛けるらしい。しばらくして眠気に襲われたのでテントに入りうとうととしていると外が騒がしい。丸の内署の警官が数人やってきて「汚染水」と書かれたペットボトルをどけろとテントのメンバーと怒鳴りあっているのだ。
テントの脇には打ち水などに使うため水道水を詰めたものがおいてあるのだが、誰かがこれに「汚染水」と張り紙をし、監視カメラ台に置いておいたのだ。通行人の誰かが100番して飛んできたらしいが、その剣幕にテントで眠気に誘われていた僕だがそれは吹っ飛んだ。何を怒鳴っているのだと返しながら、ふと気が付いた。彼らは今日、福島原発告訴団が「東電前『汚染水』打ち水抗議行動」やるのに使う水と思っているのではないかと。汚染水ということに過剰反応したのだ。(もっとも福島原発告訴団のチラシでは本物の汚染水は使用できませんと断り書きがしてある)。
福島第一原発事故で発生した放射能汚染水の処置はできておらず、その見通しもないままに深刻度を深めている。政府や東電側はその実態を隠し、情報としては隠蔽している。時たま、漏れるように伝わってくる報道でも、段々とお手上げ状態になり、最後は汚染水を海に垂れ流すしか手はなくなっているように推察しえる。「オリンピックまでに汚染水は解決できるというのは政府などの甘い願望ではないか」と言われるが、これが」真実度を増しているのではないか。
それで、汚染水問題を政府や東電側などの権力側は僕らが想像する以上にこの問題の深刻さを認識し、ピリピリしているのだと思う。丸の内署の面々が「汚染水」ということに示した反応はその一端を物語るのではないのか。その意味では福島原発告訴団の「汚染水の打ち水」ということは彼らにはこたえることであったのだ。情報を隠蔽していることで、権力の側では僕らが想像する以上に恐れていることはあるのだ。
この福島原発告訴団の集会は地検前で12時から、多くの支援者を集めてひらかれた。武藤団長から海東弁護士まで次々となされるスピーチは検察審査会が東京地検の不起訴処分を覆し3名の「起訴相当」決議を出したのは市民や地域住民の声が反映したものであり、検察に起訴を訴えるものだった。そして検察に対しては上申書を提出した。
福島第一原発事故に対して誰ひとり責任を問わないこの異常な状況に対してその事態を問い、責任を明確にすることは当たり前過ぎることだ。かつての原発推進を担った連中がもっと責任を問われるのべきだし、それには法的なことから道義的なことまであるにしても、当然のことだ。これを問わないことは同じ事故が起きることに等しいのである。
集会は午後1時からは東電前に移り、福島からバスでやってきた告訴団のメンバーも合流して行われた。「汚染水」打ち水抗議行動もなされた。政府や電力事業者や官僚たちは表向きの議論をさけ、裏で再稼働に向けた工作をやっている。かつて原発推進側が反対者に対して行った巧妙で悪辣な妨害工作は暴露されてきたが、彼らはそれ以上のことをやってきている。だが、かつて以上に彼らを取り巻いている環境も厳しく、僕らは彼らを追いいつめている側面もあるのだ。
3・11で原発をめぐる関係は変わったし、脱原発への裾野も力も増した。運動はいつの場合も徒労感や孤立感が付きまとうが、ある意味では僕らは自信を持っていい。まだまだ、持久戦的なところが続くが、彼らが裏工作しかできないことの弱さを突き続ける闘いをじっくりやり抜くしかない。(三上治)
テント日誌 8月9日(土)
経産省前テントひろば1064日 商業用原発停止325日
外務省前警備の物々しかった両日だった。
昨日も今日も外務省前の警備は物々しかった。
10時過ぎ警官がやって来て今日は街宣車が大挙してやって来るから、
11時過ぎから3時ごろまでなるべくテントの中に入っていてとのこと、
急いで椅子を片付けて中に入った。
聞くところによると北方領土の日だとか?
去年も同じような事があったと思い出した。
家に帰ってきてネットで調べたが、外務省などのサイトでは北方領土の日は2月7日と決められているらしい。
今日8月9日は1945年ソ連が当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦した日なのだ。右翼は勝手に北方領土の日と決めているのか?
彼らは外務省に対して軟弱外交はやめろ!恥を知れ!云々口汚く叫んでいたが、
やたら怒鳴るばかりでよく聞き取れなかった。
中の数人は外務省に要請行動をしたらしい。
一台の街宣車がテント脇に駐車して何人か降りてきてテントの周りをうろついて撮影などしていたが、丸の内警察の人が来ていたせいか実害はなかった。
テントの中から警察官の様子を見ていると街宣車の動きがわかって興味深かった。
右翼の訪れる前、原発をゼロにする湖西の会の方が来てくださった。
所用で上京し、テントは初めてとのこと、大津でも京都でも金曜行動が続いているそうです。Yさんと脱原発の話などをし、テントの写真を撮って帰られた。
自転車でやってきた外国の方がテントの写真を撮っていたので尋ねたら
イタリアからの旅行者だった。英文のリーフレットをお渡しすると喜んで下さった。テントのこと世界に広がるかな?台風と午後からの右翼の来襲が心配だったが、1時過ぎにテントを後にした。その後、街宣車が通っただけと後から聞いてホッとする。(I・K)
テントからのお知らせ
サマーナイト・テントシアター「ハイ・パワー 大いなる力」上映・交流会
8月17日(日)19時〜21時
経産省前テントひろば第2テント
「ハイ・パワー:大いなる力」上映(27分)、プラディープ・インドゥルカー監督との交流会
定員:約20名 、参加費:無料(カンパ歓迎)
担当:テントひろば(担当:藤原節男、木村雅英)
問合せ:fujiwara_setsuo2004 at yahoo.co.jp、090−1793−4404
約27分の短編映画は、貧困と病苦にあえぎ、原発を告発する住民の怒りで満ちている。インドゥルカー監督談:「ムンバイ(旧ボンベイ)の南方、ジャイタプールに、新たに原子力発電所が計画されている。フランス、アレバ社のEPR(加圧水型原子炉160万キロワット出力)が何基も建設される。私は、その反対運動に加わっている。しかし、ジャイタプールの住民は、原発の実態を知らず、住民の反対運動は盛り上がらない。インド国内の世論も同じ。それで、この映画を制作した。タラプールとジャイタプールは、おなじ言語を使用しているので共感を得やすい。
この映画をブラジルの映画祭に出品して、賞をもらった。それで世界各国40ヶ所以上で上映している。ジャイタプール原子力発電所建設では、三菱重工が発電用タービンの主軸を製作することが決まっている。日本の皆さんにも、インド原発反対運動に協力ほしい」
タラプール住民は、原発建設当初、インド発展のために居住地を明け渡した。インド政府からは「雇用が確保される、暮らしも良くなる」との説明があった。ところが、すべて裏切られた。癌が多発している。放射性廃棄物の垂れ流しによると推測される。雇用もなく、住環境も以前より悪くなった。映画では、タラプール住民の実態を映している。(藤原節男)
http://badseaweed.wordpress.com/
あらすじ:
ムンバイ(旧ボンベイ)の北、インド初の原発の立地地域、タラプール。貧困と病苦にあえぐ住民の怒りが今、暗闇に燃え上がる。電力を送り出す町には暗闇が広がり、その闇はそこに留まっているかにみえる。インド、マハラシュトラ州タラプール。1964年建設のタラプール原子力発電所は、当時、熱狂を持って迎えられたインド初の原発である。地元の人々はその発電所を「ハイ・パワー」(大いなる力)と呼ぶ。
しかし、原発が立地するタラプールの地は、その力が約束した夢から、はるか遠く離れている。40年の長きに渡ってタラプールに起こってきた出来事は,全世界がたどり着くべき目覚めである。手遅れになる前に。人間の欲望を満たすための行為によってもたらされた別世界を背景に、ドキュメンタリー「ハイ・パワー 大いなる力」は、知られざる世界、描かれなかった風景、失われた命に光を当てる。(以上、英文解説文より、翻訳協力:常松聡子)
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