[CML 032933] 「革命家一代、僕の駐車場日記」エピローグ。 投稿

塩見孝也 rsr80930 at nifty.com
2014年 8月 2日 (土) 08:08:32 JST


以下は、9月中旬頃、発刊される僕の新著、「革命家一代、僕の駐車場日記」のエピローグです。僕の70年安保大会戦から、400数年間の総括と展望を語ったものです。何かの参考にしていただければ幸甚です。塩見
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●この本は、ドキュメンタリー風なものです。というよりはルポルタ-ジュといっても良い。出来るだけ、リアリズムに徹して書いて来ました。この意味では、このルポ、ドキュメントは現在進行形といえます。又、著者は、外から事態を観察してゆくのではなく、内にあって労働のプロセスを著者自身が創って行くような場に身を置いていますから、著者固有の歴史に則って、観察者の目だけでなく、実験者の目を介在させざるを得ないことになります。ですから、この意味では、この本は、著者の半自伝的性質も帯びています。しかし、僕の目的、観点、方法は、あくまでも、「たかが駐車場、されど駐車場」という観点、「≪駐車場労働の窓≫からでも、≪働く人々の普遍的な労働の状態≫が見える」ということを確信し、こã‚!
 Œã‚’貫くということです。それ故に、この叙述が「≪働く人々≫への、一労働者からの≪メッセージ≫となっている」風に、読者の方々が認識してくださるなら、幸甚の極みです。 とはいえ、このメッセージをだれでもが書けると思うなら、事態の真実の姿を、理解していない。実際、今年二月から、「(会社の)秘密を暴くな!」「利益を損なうな!」「名誉を損じるな!」「これを、破壊するなら、除名処置をとる」「就業停止を行う」とえげつない表現の自由への抑圧が行われ、これを跳ね返し、自主規制の罠にはまることなく、表現の自由を守り抜く、力と勇気、知恵が必要なのです。
 この仕事を引き受け、大体、長くて六ヶ月前後で書き切れると思っていたわけですが、そうも行きませんでした。結局、一年半余となりました。その間に、妻の発病の問題、僕自身の心臓病の再発などもありました。他方で、昨年中は、「9条改憲阻止の会」街頭宣伝分遣隊、反原発「テント村」分遣隊としてとして、現代の辻説法を週一回、仲間達と行って来ました。前者の問題は、家族の試練であったわけですが、それを、ナントカ思想的に解決してきました。後者の方は、問題点も出て来、参加を取り辞めることとしましたが、随分と宣伝と煽動の技術を磨くものとなり、楽しかったです。
 労働をしつつ、書いてゆくことを通じ、シルバーの人々への想いは強まり、そのことを通じ、底辺の「水商売」業に従事する女性達の精神的、肉体的苦悩、シングル・マザー、シングル・ファーザーの苦しみ、待機児童ら保育所問題、障害者の問題、あるいは、被差別外国人労働者の問題なども、より深く、目配りしてゆくようになりました。出所、仮出所後の「懲役」の苦しみもずっと視界にあり続けました。職場のシルバー労働者は、日本資本主義の高度成長を支えて来た、概して括ればサラリーマンと言われる「企業戦士」で、会社、生産過程,労働過程,価値増殖過程の基層部を担う人々と言えます。山谷や釜が崎らいわゆる、「奇せ場」の「底辺労働者」とも違います。その階層的独自性から「高齢者に対する<同情>と他!
 方での<利用主義>」が、いろんな屈折した意識を生み出しており、内部と外部の階級同胞との団結を阻んでいるところがあります。又、全労働者階級の我が国における産業業種とそこにおける階層分化の状態、こことの関係における地位、役割、要求や生活感情の違い、あるいは全国のこの層の置かれている状態、その意識状態もさらに調査、研究されるべきです。これは、日本資本主義の普遍性と特殊性を総合した対象としての資本主義の調査、研究でもあるわけですが、それは、労働の側からの「労働過程と価値増殖過程を統一した」のものでなければなりません。僕は、あらゆる労働過程について、調査・研究してゆく慾求を募らせてゆきました。そして、地域での<生活>と<福祉>との結びつきの方向領域においても関å!
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 ▼そして、とうとう、自分の思想、世界観の赴くところに従って、26年度案に反対する「クレア駐車場労働者総会」を開催するところまで、漕ぎ着けたわけです。このプロセス、その節目、節目の修羅場とも言える事態は、駐車場日記、≪闘争記≫に明らかです。
 しかし、「総会」を経て、清流が噴出し、生ぬるさや飴のような粘っこい流れが一掃された、とするわけには行かないこと。生鮮さと沼地性の一進一退が続いている。このかったるさ、様々な中途半端さを、すがすがしい清流に改造してゆくことは、並大抵のことではありません。それは、アベノミックスの必至である至近の将来における破綻が、どういう契機、過程で進行するかにも、かかっている。消費税、年金の目減り化、その他の社会保障の切捨てが、引き金となる。橋本龍太郎政権が消費税で倒れたことを想起して欲しい。
â–¼ こういった事態の中で、高度成長の時代のように、国民全体で産み出したパイはどんどん少なくなり、他面で、かってと違って、そのパイの分け前は、労働者らには回ってこない事態はますます深まってゆきます。それでも、その少なくなったパイの分け前が公平であれば、文句は出ません。ところが、その分け前が、富んでいる連中にぶん盗られ、貧しい人々には、ますます貧しくなっている事態が問題なのです。国民、労資がそのパイの分け前を、労働時間に応じて、公平に受けとって行くことがなされるなら文句は出ないでしょう。ところが、逆の事態が深まっているのです。そうであれば「先ず<公平(平等)>」、しこうして、「自由を!」となります。<公平>が、<自由>よりも優先されなければなりません。資本å!
 ®¶çµŒå–¶è€…は、勝手な限りを尽くすが、シルバーセンターは、その立脚点からし、経営者とまったく一体には対応しえず、常に二面主義をやります。  
â–¼ こういう、状態で、自分自身の闘魂を萎えさせず、持久戦で力をつけてゆくには、しっかりとした確かな僕自身が築き上げてきた僕流の世界観、思想、哲学、総じて自分自身が持つプリンシプル、≪綱領≫に還りつつ、長期的な洞察力に立脚する持久戦の戦略配置を実行し、忍耐に忍耐を重ねてゆく以外に、選択肢はありません。 我慢の底の底にいれば、その底にある道理、ロゴスが見えて来ます。その獲得した道理、ロゴスを踏みしめつつ、ネオ・リベラリズムのグローバりズム金融資本主義が、どのように衰亡、破綻を遂げてゆくか、世界過剰生産恐慌は、どのように継続し、深化して行くか、の洞察と一体に持久戦を展望してゆくこと。70年安保大会戦の敗北からぼく(ら)は、何を学んだ教訓を如何に活かして行くかã!
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●しかし、僕には一つの夢がずっとありました。その夢が、最近の僕には、徐々に輪郭を帯びはじめて来たのでした。それは、「経済闘争」を、1960年代の後半、僕が命名したものですが“社会政治闘争”として闘うことでした。このことを語ることをこの著作のエピローグとすべきと思います。
 さて、それにしても、このことを語る前には、70年安保大会戦のあれから40数年立った現在を僕がどう捉えて来たか、この40数年、僕ら世代は、どんな教訓を確認して来たか、このことが前提的に語られることが必要とされます。そうしてから、このことについて述べることとします。
 ▼原理的資本主義批判の必要不可欠性と資本主義の第三段階としてのグローバリズム金融独占資本主義の破綻。
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商品として交換され、この社会で生きる人々は、「使用価値が単なる価値、交換価値の素材的担い手」としてしか働かないがゆえに、拝金主義、商品と貨幣の物神崇拝の奴隷となること。この所有、生産関係の下では、剰余価値は搾取され、この搾取は資本として蓄積され、拡大再生産され、世界戦争や世界恐慌を招来させざるを得ないこと。ここの所は7・27日記「資本主義批判、マルクス主義経済学を労働者階級が労働し、生き抜くためのバックボーンとしよう。」をお読みを。  2、 資本主義はいまや、その第三段階ともいえる 
ネオ・リベラリズムのグローバリズム金融資本主義の段階にいたっていること。マルクスの時代の産業資本主義の自由競争と重商主義時代の殺戮・征服略奪が尾を曳いていた初期の植民地主義の時代、レーニンとその経済学がいまだ決定的に作用していた、20世紀から第二次世界大戦終結までの時代。 これが、資本主義発展の第二段階です。この段階では、資本主義は、自己が系統的に創りだした育成的な植民地から搾取・収奪して得られた超過利潤をその経済的生命力として、資本の独占化、金融資本の産業独占の支配、金融寡頭制が進んで行くことを特徴とする段階です。 世界恐慌の勃発から、世界の植民地の分割と再分割の経済戦争が二つの世界大戦を不可避としました。
 現代の第三段階の資本主義は、第二段階の資本主義の基底部、植民地体制が消失した時代、その代わりとして生まれた、最高度に整備された単一の世界市場、この市場を牛耳る金融独占資本主義が世界的規模、グローバルな熾烈極まる市場競争、<新自由主義>を推進するの時代です。何故「自由主義」に「新」がつくか?植民地体制無き、世界市場の上での自由競争、こうだからです。この段階では、帝国主義局地戦は永続し、それが第三次世界大戦へ発展する可能性を若干は残してはいるものの、その不可避性は著しく減少し, 可避性が増大する時代と言 
えます。なぜなら、植民地体制の消失という事態のうえで、その代わりとしての金融資本主導の下での、「工場内分業」が国際化した時代であれば、資本主義の<相互依存関係>はかつてなく増大したからです。世界戦争に行けない以上、この替わりとして、世界過剰生産恐慌が勃発し続けてゆくわけです。 この段階の資本主義は、その世界性と出自性としての一国性の矛盾を極限化させ、もがき、果てしなく苦悶し、痙攣を続ける時代と言えます。 
 これに、民衆の反戦平和の闘いが増大してゆくわけですから、世界戦争が不可避ではないなら、世界恐慌の勃発とその継続は必至といえる時代です。周期的で螺旋的な恐慌を通じた、<大崩落>こそが、資本主義の運命と言える時代です。資本主義はもはや矛盾を外部に転嫁しえず、その矛盾が、内包的に爆発してゆく時代です。「国民国家」の崩壊と内乱、内戦の時代です。 資本主義は<腐朽化>、<寄生性>を増大させ、まさに世界社会(主義)革命の前夜と言える段階です。昔流に言えば「資本主義の全般的危機」が誰にでも明らかになる時代です。資本主義にとって、この「資本主義の全般的危機」は、日常普段に己の危機を労働者ら民衆に犠牲転嫁しなければ存続し得ない時代でもあるわけです。
3、 言い換えれば、労働者階級ら人民大衆ががこの犠牲転嫁を、生き抜くために跳ね返し、
人民大衆が歴史の主人公となって、文字通り、世界を回して行く時代と言えます。この時代は、世界規模での階級関係の面でいえば、人民大衆がスターリン主義の最悪、最大の害毒を既に知悉している時代でもあります。中国に典型を見る官僚制国家資本主義は、<市場社会主義>と称して、唯生産力主義を極限まで推進し、中華帝国主義の社会帝国主義に変質しかかっている、変質しているといえます。こう見てくれば、今の時代は、ロシア10月革命以来の防御の段階、対峙の段階を経過した後の時代として、歴史の主体となって人民大衆が、スターリン主義から脱却し、能動的に攻勢を始めてゆく時代と思っています。マルクスの世界同時革命の思想が純化して蘇り、復活してゆく時代と言えます。世界同時革命といっても、ã!
 “のグローバリズム金融独占資本主義を反戦・平和、民主主義、生活危機突破、環境防衛、エネルギー転換の道を通じて、世界のプロレタリアートが連携し、資本主義を国際的規模で、しかも暫進的に構造的に改革してゆく性格を持ってのことです。この改革、革新、革命が、最終的には人民の革命的暴力によって決着付けられてゆくのは明らかであるにしても、目指すは、革命家達は別としても人民大衆にとってはエコロジカルな福祉型社会を目指しつつ、それが、社会主義となってゆく道筋を通じてです。
  ▼<社会政治闘争>の前提に据えられるべき、この40数年間の闘いの継続を通じて学んだ五つの教訓について。
 僕らは、あの60年安保大会戦、70年安保大会戦の敗北を経て、営々としてこの敗北を反省しつつ、苦難の闘いを不屈に継続してゆく中で、以下のよう重大極まる教訓を学び取ってきました。
a、人間の命の最高の尊厳性・尊貴性。そしてそれを社会的に輝かせる人間、民衆の自主性(=社会的共同性)。この二つの何物にも換えることのない最高尊貴性の承認。このことを闘いの政治上、思想上、倫理上、理論上の最高の価値規範に据えてゆくこと。
b、ここから民主主義を真の民主主義(反戦平和、国際主義精神に溢れた、民衆中心の民主主義)に改造、創造的に実現してゆくことの大切さを認識したこと。あくまでも立憲主義の原理・原則に則って、法律的知識を駆使し、合法ぎりぎりの線を守りつつ、民主主義精神を発揮し、民主主義を真の民主主義に変えて行くこと。
c、民族は、簡単には、近代革命(ブルジョア革命)が終わったとしても、ただただ反動化わけではないこと。民族は自己を向上させ、人類に接近すべく、他民族の抑圧、差別、社会排外主義をなくし、他民族、他国家らの抑圧、差別、主権侵害を許さず、良き伝統を活かし、悪しき伝統を廃止し、民族内部のブルジョア階級を無くして行こうとする。域内少数民族は分離と結合の自由を有すことを全面的に承認する。その個性、文化を人類に向けて、営々として輝かせてゆくよう、世界的規模の社会革命と合い携えつために、民族内部の資本主義の廃止、階級制度の廃止を追及し、ナショナル・アイデンティ-を止揚し続けて行かなければならないこと。僕ら、日本人、日本国民は、パトリオット(源郷主義者)として、<ネオ・ç¸!
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d、これらの教訓を基本点にして、思想の違いを暴力でもって解決するような根本的な思想上、政治上、組織上の過ちを徹底的に改め「小異を残して大同につく。」原則があることを知ったこと。従って、この原則に従って<共同闘争>、<統一戦線闘争>を作り上げてゆくことを学んで来たこと。言い換えれば、革命的暴力を、真の民主主義、人間主義に立脚し、復権してゆく時代と言えます。
e,こういう陣形を作り出してゆけば、一握りの金融独占資本主義の作り出す政治、経済、軍事、文化の路線は、彼ら以外の階級、階層にとって、敵対的性格を持ってゆくことは明らかであり、彼らは孤立し、民衆の運動は圧倒的多数者の支持するところとなる可能性が増大していること。現代の資本主義を廃止し、これを社会主義に置き換えてゆく革命は、それ故に≪多数者の革命≫となることは明らかである。 以上が、僕のこれから語る<社会政治闘争>の前提である。
 ▼ 体制を切り裂き、穴を開けてゆく<社会政治闘争>の重さ、深さについて。
 60年代後半、学園では授業料値上げ反対、学生会館設立運動、大学生協運動の革新、医学連運動その他の諸個別の運動がありました。あるいは、大学管理制度の再編に反対する運動がありました。主として授業料闘争が中心でしたが、この闘争は、慶応大学、早稲田大学、明治大学、法政大学らで負け続けました。しかし、第二次ブント再建、三派全学連の結成、10・8、10・12の二つの羽田闘争におけるベトナム反戦・反安保・沖縄連帯闘争の爆発が在って、学園の雰囲気が変わり、中央大学授業料闘争において、自治会に代わっての「全学中央闘争委員会」が、中大全学生の承認の下、結成され、中央大学全学生は官憲、右翼と闘う実力闘争を担う「組織された暴力」を中核として、闘いの隊伍を整えてゆきました。ã!
 ã—て、初めて授業料闘争に勝利しました。この勝利が、日大授業料闘争、東大医学部闘争に波及し、全国の大学に<全学学生闘争委員会>が設立されて行きました。 いわゆる、「全共闘運動」の爆発でありました。この裾野を広げる「全共闘運動」があったからこそ、反安保・ベトナム反戦の全民衆的政治闘争は、ゲバ棒で武装された街頭を持続に成長させて行きました。政治闘争と経済闘争は結合されることによって、たとえ「親のすねかじり」の性格を内包していたとはいえ、中大授業料闘争以来、大学を学生達が管理する学生権力が樹立されていったわけです。この運動は69年東大闘争まで登りつめ、それ以降も地方を中心に横ばい的ではあったものの継続されて行きました。そして、72年連合赤軍事件や内ゲバ事件が!
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¹´é–“、学生権力は継続されていったのです。経済闘争と政治闘争の結合、ここにこそ、民衆運動の盛衰を見てゆく核心があります。この結合は、日本資本主義の第二次高度成長の只中ゆえに、その後も反戦青年委員会運動や反安保・沖縄連帯の闘いの継続などがあったとはいえ、体制を鋭く突き破った全共闘運動は労働者階級全体の闘いに波及し、永続的に継続してゆくことは出来ませんでした。 しかし、日本一国では斯くなる事態が生じたとはいえ、国際人民闘争の分野では、中国が路線転換を明白にしてゆくまで、ベトナム民衆・民族の反侵略・反反革命闘争は75年の大勝利までに到り、世界の民衆・民族は総決起して行く状況でした。僕が<社会政治闘争>と言ったのは次のことです。真に経済闘争ら個別闘争に勝利してゆ!
 くには、全民衆的政治闘争と結合し、既存大学秩序を切り裂き、そこに穴を開け、民衆権力秩序を創出する必要があり、それは重く、深いもので、思想的、理論的重圧を運動推進者達に課すこと。 その際にコンミューン4原則が持ち出されたり、職場での労働者本隊との結合、地域住民とその生活防衛、福祉増大をもって、政治闘争と経済闘争は追求されて行ったこと。いうなれば、個別の経済闘争が、真に勝利してゆくためには、それを社会的全関係性、秩序を根本から変革してゆく<社会政治闘争>として闘われなければならないこと。そうでない限り、資本主義体制に穴を開け、これとは対極の異空間を作りだしてゆくことは出来ません。原理的な資本主義批判、現代帝国主義批判と上述した五つの教訓が未熟ながら、かなã!
 ‚Šãªç¨‹åº¦ã€å®¿ã•れていなければなりません。授業料é—
˜äº‰ãƒ»å…¨å…±é—˜é—˜äº‰ã¯ã€æ–‡å­—通り<社会政治闘争>として、闘われ、局部的とはいえ、反資本主義の陣地となっていったこと。そう闘われなければならず、半ばそう闘われたのである。
 ▼あれから40数年が過ぎ去った、いまの現状とは?
 全共闘運動を解体させていった第二次高度成長はとっくの昔に過ぎ去って行き、その後
の安定成長から生まれたバブルは弾けてしまい、長期構造的不況がやって来、2008年にはリーマン・ショック恐慌が勃発してゆきました。2011年には未曾有の東北大震災と福島原発災害が勃発しました。政権交代が起こり、さらにその政権が破産し、再び安倍自民党政権が復活してゆきました。安倍政権はアベノミックスによる経済再建という幻想と排外主義を煽りつつ戦後憲法を<改「正」>し、アメリカに伍する「日米集団安保」を目論見、日本国家と社会を戦争の出来る体制に根底的に再編成しようとしています。又、エネルギー獲得路線を原発再稼動に据え、エネルギー問題の根本的解決に蓋を閉じようとしています。重要なことは、これらの幻想的な、成功の根拠なき、まやかしの政治・経済路線のために、国民ãƒ!
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 資本の危機を、国民・民衆に犠牲転嫁しようとしていることです。その最たるものが4月からの消費税増税です。各種の社会保障費・福祉の削減も続いています。このために、民衆の既存権利は全面的に破壊されんとしています。
 そして、この反動のうねりは、我が愛する30人の仲間達が働く、小さな職場、清瀬駐車場「クレア」の職場にも、大合理化攻勢として、ひたひたと押し寄せてきつつあるわけです。
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 自己の運命を政治家に任せるわけには行かない。官僚、役人にゆだねるわけには行かな
い。地方の自治体首長やその官僚,役人達にゆだねるわけには行かない。自称「労働運動家」を始めとする御用社会運動家や御用有名評論家などに任せておくわけには行かないこと。  
 自分の生活は、自分の力で、この生活を破壊せんとする政治・勢力に、真っ向から言うべきことは言い、守り抜く権利は守り抜いてゆかなければなりません。そのために勤労民衆は、「大同小異」で団結してゆかなければなりません。翻って見れば、幸いなことに、この国を良くせんとする反原発勢力、反改憲・反安保・沖縄連帯の勢力はごまんといらっしゃいます。特定秘密保護法案には、半月ぐらいで心ある人々が決起して行きました。
 全民衆的課題の政治闘争、機動戦があくまで優位な課題として追及されなければならないことは至明なことです。
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 問題はどこにあるか?それはこれらの人々、勢力、活動家が、自己の職場において、自己が生活する地域において、自己の信ずるところを、労働・生活の面で実行し、職場・地域に異空間を作り出しきれていないことです。言行一致を実行しきれていないこと。街頭と職場において、行動する態度を使い分けていることです。既存体制・秩序に穴を開けきれていないことです。「穴を開けるだと?」、「言うは安く行うは難し」。誰でも街頭では「英雄」「反逆児」として振舞えても、職場・地域において「迷える、従順なる子羊」から脱却してゆくことは出来ないし、このことに挑戦して行くのに逡巡します。それほど、「穴を開ける」ことは重く、深く難しいのです。
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 Šå¢ƒã—て行くべく、再び「河を渡らなければならない」。この世代が、我が社会のいたるところにある「経済闘争」を<社会政治闘争>として闘うことにおいてリーダー・シップを発揮しなければなりません。僕らの子供、孫達に対して、最後の「聖戦」を見せ、これを遺産として残して行かなければなりません。自らの若き日の人生の落とし前もつけなければなりまん。この<社会政治闘争>の突破口が実現されてゆけば、この闘争は全国化してゆく可能性を持つ。又「70年」とは違って、十分永続化してゆく可能性を有しています。又、この闘いは、生産を目的意識性をもって労働者が管理・統制し、労働を計画的に自らでもって配置してゆく、自主管理型経営体、自主管理型のコンミューン(言い換えれば、共同体、それをマ!
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 僕は、僕の愛するささやかなる職場において、このような課題に応えて行こうと決意を固めています。



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