[CML 032925] 今日の言葉~抜録~ 辺見庸「日録28」(2014/07/30~2014/08/01)――ガザについて
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 8月 1日 (金) 20:22:24 JST
ガザ虐殺の死者が1200人をうわまわり、負傷者は7000人をこえた。もしレヴィナスがいま生きていたら、どう言っただろうか。
「砕かれた世界〉あるいは〈覆された世界〉といった表現はありふれ、凡庸なものになってしまったにせよ、それでもなお、あ
るまがいものではない感情をいいあらわしている。できごとと合理的秩序との不一致、物質のように不透明になった精神の
あいだで相互に交流するのが不可能になったこと、そして論理の多様化がたがいに不条理をきたし、私はもはやあなたとは
むすびあえないようになったこと…たしかに、ひとつの世界のたそがれにあって、世界のおわりという古い強迫観念がよみが
える」と、グズグズと書かれたのは、いまから67年もまえのことなのだ。アーレントが生きていたら、アドルノが生きていたら、
なんと言ったか。パレスチナの少年にガソリンを飲ませ、焼き殺した所業について。パレスチナ国際義勇軍の編成が呼びか
けられたかもしれない。元気だったらわたしもパレスチナ入りをめざしたかもしれない。サルトルも国際義勇軍に賛成しただ
ろう。オーウェルはそれに参加しただろう。ヴァルター・ベンディクス・シェーンフリース・ベンヤミンは国際義勇軍結成にかん
する知的なメッセージを送ったかもしれない。ソール・ベローはノーコメント。堀田善衛は国際義勇軍に心情的に賛成しつつ、
みずからは参加できない苦渋を、キザで無害なエッセイにして、スペインあたりから朝日新聞夕刊文化面に寄稿しただろう。
それでも暴力の連鎖には反対だとか。吉本隆明は「ナンセンス!スターリニストども!」と罵ったろう。カネッティは『目の戯れ』
の続編を書いたろう。ツェランはまたも自殺したかもしれない。世界はまだ砕かれず、覆されてもいない。世界は凡庸でもない。
また再びのユダヤ人迫害への環境ができつつある (2014/07/30)
ガザの死者が1300人をこえた。いま、手をこまねいてそう言うことにどんな意味があるのだろうか。他者が理不尽に殺される
ことについて、それを放置するかぎり、わたしは有罪でありうるのか。切実にそうおもうことができるか。「他者の死はわたしの
ことがらである」のか。とまらない虐殺に、口とはうらはらに、退屈なまなざしをむける現存在とはなんだろうか。(2014/07/31)
ガザの虐殺。死者は1400人をこえた。おなじことをイスラエルがやられたら、報復として100倍以上の人間を殺すだろう。ばあ
いによったら、核兵器をつかうのもためらわないかもしれない。イスラエルとは何か。かれらの「出自」をきびしく問うべきであ
ろうか。かれらを産んだ子宮の闇を知らなければならないのか。出自のみに、現在の原因があるのだろうか。そうだろうか。
虐殺をつづけるイスラエルの「自衛権」を公然と支持し、武器、弾薬を補給する米国。もっぱら米国の意を受けて集団的自衛
権行使を急ぐニッポン。「ニッポンのイスラエル化」の声が米欧にでてきている。むべなるかな。ルールはない。なにもなくなっ
た。言葉は魂を失った。けふ、こんなメッセージを受けとった。この漂白されつくしたプラスチックの欠片のような記号の羅列
こそ、ガザのひとびとにむかうべき心をこわしている。透明なクラスター爆弾。「辺見庸様 管理者があなたにアプリケーション
の割り当ての許可を求めています。割り当てられたアプリケーションはあなたの購入履歴に表示され、それとともに、ご使用
のデバイスにインストールすることが可能になります。あなたが割り当てを許可するためには、以下のURLにアクセスしてくだ
さい」。(引用者注:左記はいうまでもなく「言葉は魂を失った」隠喩の一例ということでしょう)(2014.08.01)
東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
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