[CML 031059] 注目集める80年前のヒトラー拒否「バルメン宣言」(カール・バルトほか) 独の教会採択

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp
2014年 4月 29日 (火) 13:49:30 JST


新聞記事
「バルメン宣言」
2014.4.27
朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/ASG4G7782G4GPLZU00H.html

ナチスの支配に抗し、ドイツのキリスト教会が80年前に採択した
宣言が今、国内で注目を集めている。
ヒトラーを神と同列に崇拝することを拒否した「バルメン宣言」。
日本で強まる外国人排斥の動きや民族主義に危機感を抱く人々に
よる、反ファシズム運動を再評価する動きだ。

 「ナチスが宗教的な権威を利用して統制を強めることに抵抗した
宣言でした」

 3月30日の夕方、東京都板橋区の徳丸町キリスト教会で、
牧師の朝岡勝さん(45)は日曜礼拝に集まった約20人に語りかけた。
この数年、日本を「戦争ができる国」にする動きが強まり、近隣
諸国との間に険悪さが増していると指摘。
「地域の小さな教会からでも、臆せず社会に声を上げるべきです」
と訴えた。

 バルメン宣言は1934年5月31日、ドイツ西部の街バルメンで
採択された。
前年1月にナチスが政権を掌握。
国家と民族の防衛を口実にした「緊急命令」で当時、すでにドイツ
国内で言論の自由などの基本的権利は停止され、教会でも
ユダヤ人排除や民族主義を強く打ち出す傾向が強まっていた。

 朝岡さんは2011年1月に著書「『バルメン宣言』を読む」を出版。
今年2月から、礼拝で同宣言を取り上げている。
耳を傾けていた練馬区の通訳業、大谷淳久さん(40)は「日本の
社会が少しずつきな臭くなっているなかで、歴史に学ぶことの大切さを
感じました」と語った。

 朝岡さんの祖父で牧師だった安藤仲市さん(1900~87)は
戦時中の42年6月から1年近く、治安維持法違反の容疑で身柄を
拘束された。
教派への弾圧で130人以上が逮捕され、拷問や虐待で7人の
牧師が死亡した。
朝岡さんは「当時の日本やドイツほど厳しい状況ではないが、
手遅れになる前に声を上げなければ。
社会不安に乗じてナショナリズムをあおる動きへの対処法を、
宣言から学びたい」と話す。

 大阪市北区、大阪北教会の森田幸男牧師(73)も、採択
80周年を迎え、バルメン宣言について計7回の説教を予定している。

 森田さんは、宣言の起草者の一人、神学者カール・バルト
(1886~1968)を研究している。
ボン大学教授だったバルトは34年秋、講義前に「ハイル・ヒトラー」と
叫ぶことを拒否してその後懲戒処分を受け、スイスへ去った。
「ナチスの支配は食い止められなかったが、宣言の精神は今も
全世界の教会で生きている。現代の日本社会で我々はどうあるべきか、
歴史からともに考えたい」

 「十字架とハーケンクロイツ」などの著書がある宮田光雄・東北
大学名誉教授(ヨーロッパ思想史、85)は26日、東京都内へ招かれ、
150人を超す聴衆を前に「バルメン宣言の政治学」の題で講演した。

 宮田さんは、ナチスが当時のワイマール憲法を明文改正したことは
一度もなく、特別立法の積み重ねで骨抜きにした歴史を強調。
「それに対抗し、個人の信仰や良心を守ろうとしたのがバルメン宣言
だった。
世の中の不安が増し、歴史に目を向けない反知性主義が幅を
きかせ始めた今こそ、時の権力に価値判断を委ねず、個人が世界
市民として普遍的原則を持つことが求められている」と訴えた。
(編集委員・永井靖二)

■バルメン宣言が否定した6項目(要約)

ゞ飢颪神の言葉以外の出来事や力などを承認すること

▲リストを必要としない領域があると信じること

6飢颪涼畚を、その時々に支配的な政治的確信に任せること

ざ飢颪支配権を有する特別な指導者を持つこと

ザ飢颪国家の一機関となること

人間の願望や目的のために教会を奉仕させることが可能だと
信じること

 
 〈バルメン宣言〉 ナチスが政権を掌握すると、ユダヤ人の排除や
民族主義を強く打ち出した「ドイツ的キリスト者信仰運動」が台頭。
危機感を抱いたプロテスタントの教会が「我々はキリストのみに従う」と
主張して、政治権力の介入に抵抗し採択した。
序言、6項目の条文、結語の3部で構成。
ナチスやヒトラーの名指しを避けながらも、条文では聖書を引用し
ながら、信じるべき内容、排斥すべき誤りを述べている。

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バルメン宣言
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%B3%E5%AE%A3%E8%A8%80
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参考・ドイツ福音主義教会の今日の状況に対する神学的宣言(バルメン宣言)

1934年5月29-30日、バルメン告白会議の神学的宣言

 ドイツ福音主義教会は、その1933年7月11日の憲法前文に従えぱ、
宗教改革から生まれた等しい権利をもって並存している諸告白教会の
同盟である。それらの諸教会を結合している神学的前提は1933年7月
14日に政府によって承認されたドイツ福音主義教会の憲法第一条および
第二条第一項において次のように述べられている。

 第一条ドイツ福音主義教会の侵すべからざる基礎は、聖書において
われわれ証しせられ宗教改革の信仰告白において新しく示された
イエス・キリストの福音である。教会がその使命のために必要とする
一切の権限は、その事実によって規定され、且つ制限されている。

 第二条第一項ドイツ福音主義教会は、諸教会(州教会)に分かたれる。

 ドイツ福音主義教会の告白会議に集ったわれわれルター派教会、
改革派教会、合同派教会の代表者、および独立したもろもろの
教会会議、諸大会、諸団体の代表者は、われわれがドイツの告白
諸教会の同盟としてのドイツ福音主義教会という地盤の上に、共に
立っていることを宣言する。その際われわれを結合するものは、
一にして聖なる普遍的な使徒的教会のただひとりの主に対する
信仰告白である。

 われわれは、この信仰告白の連帯性と同時にドイツ福音主義教会の
一致が、極度の危険にさらされているという事実を、ドイツにおける
全福音主義教会の前に、公に宣言する。それが脅かされているのは、
ドイツ福音主義教会成立の最初の年に次第に明らかとなってきた、
ドイツ・キリスト者という有力な教会的党派およびその党派によって
支持されている教会当局の指導方式・行動方式による。この脅威と
いうのは、ドイツ福音主義教会を統一している神学的前提が、ドイツ・
キリスト者の指導者・代表者によっても、また教会当局によっても、
たえず根本的に他のさまざまの前提によって妨害され無効なものに
されているという事実である。われわれの間で効力を持っているどの
信仰告白に従っても、もしそのような諸前提が通用するならば、
教会は教会でなくなる。従ってそのような諸前提が通用するならば、
ドイツ福音主義教会もまた、告白教会の同盟として、内的に不可能と
なるのである。

 われわれは今日、この事柄に関して、ルター派・改革派・合同派
各教会の肢々として、共同して語りうるし、また語らねばならない。
われわれがそれぞれの異なった信仰告白に対して忠実でありたいと
願い、またいつまでも忠実でありたいと願うゆえにこそ、われわれには
沈黙が許されない。それは、共通の困窮と試練の一時代の中にあって、
われわれは一つの共通の言葉を語らされると信ずるからである。
このことが告白教会相互の関係にとって、どのようなことを意味
しようとも、われわれはそれを神に委ねる。

 われわれは、教会を荒廃させ、そのことによってドイツ福音主義
教会の一致をも破壌する「ドイツ・キリスト者」および今日のドイツ教会
当局の誤謬に直面して、次の福音主義的諸真理を告白する。

第1テーゼ

「わたしは道であり、真理であり、命である。だれもわたしによらないでは、
父のみもとに行くことができない」(ヨハネによる福音書14・6)

「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に
来た人は、みな盗人であり、強盗である。わたしは門である。わたしを
通って入る者は救われる」(ヨハネによる福音書10・7、9)

 聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが
聞くべき、またわれわれが生と死において信頼し服従すべき神の唯一の
御言葉である。

 教会がその宣教の源として、神のこの唯一の御言葉のほかに、
またそれと並んで、さらに他の出来事や力、現象や真理を、神の
啓示として承認しうるとか、承認しなければならないとかいう誤った
教えを、われわれは退ける。

第2テーゼ

「キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖と
あがないとになられたのである」(コリントの信徒への手紙一1・30)

 イエス・キリストは、われわれのすべての罪の赦しについての神の慰め
であるのと同様に、またそれと同じ厳粛さをもって、彼は、われわれの
全生活にたいする神の力ある要求でもある。彼によってわれわれは、
この世の神なき束縛から脱して、彼の被造物に対する自由な感謝に
みちた奉仕へと赴く喜ばしい解放を与えられる。

 われわれがイエス・キリストのものではなく他の主のものであるような、
われわれの生の領域があるとか、われわれがイエス・キリストによる
義認と聖化を必要としないような領域があるとかいう誤った教えを、
われわれは退ける。

第3テーゼ

「愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって
成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合う
ことによってしっかり組み合わされています」(エフェソの信徒への手紙
4・15、16)

 キリスト教会は、イエス・キリストが御言葉とサクラメントにおいて、
聖霊によって、主として、今日も働きたもう兄弟たちの共同体である。
教会は、その服従によっても、またその信仰によっても、その秩序に
よっても、またその使信によっても、罪のこの世にあって、恵みを
受けた罪人の教会として、自分がただイエス・キリストの所有であり、
ただ彼の慰めと指示とによってだけ彼が現われたもうことを期待
しつつ生きているということ、生きたいと願っているということを証し
しなければならない。

 教会が、その使信やその秩序の形を、教会自身の好むところに
任せてよいとか、その時々に支配的な世界観的確信や政治的確信の
変化に任せてよいとかいうような誤った教えを、われわれは退ける。

第4テーゼ

「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を
支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの
間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、
皆に仕える者になりなさい」(マタイによる福音書20・25、26)

 教会にさまざまな職位があるということは、ある人びとが他の人びとを
支配する根拠にはならない。それは、教会全体に委ねられ命ぜられた
奉仕を行なうための根拠である。

 教会が、このような奉仕を離れて、支配権を与えられた特別の
指導者を持ったり、与えられたりすることができるとか、そのような
ことをしてもよいとかいう誤った教えを、われわれは退ける。

第5テーゼ

「神を畏れ、王を敬いなさい」(ペトロの第1の手紙2・17)

 国家は、教会もその中にあるいまだ救われないこの世にあって、
人間的な洞察と人間的な能力の量(はかり)に従って、暴力の威嚇と
行使をなしつつ、法と平和とのために配慮するという課題を、神の
定めによって与えられているということを、聖書はわれわれに語る。
教会は、このような神の定めの恩恵を、神にたいする感謝と畏敬の
中に承認する。教会は、神の国を、また神の戒めと義とを想起せしめ、
そのことによって統治者と被治者との責任を想起せしめる。教会は、
神がそれによって一切のものを支えたもう御言葉の力に信頼し、
服従する。

 国家がその特別の委託をこえて、人間生活の唯一にして全体的な
秩序となり、したがって教会の使命をも果たすべきであるとか、
そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは
退ける。

 教会がその特別の委託をこえて、国家的性格、国家的課題、国家的
価値を獲得し、そのことによってみずから国家の一機関となるべきで
あるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、
われわれは退ける。

第6テーゼ

「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
(マタイによる福音書28・20)

「しかし、神の言葉はつながれていません」(テモテへの手紙二2・9)

 その中にこそ教会の自由の基礎があるところの教会への委託は、
キリストに代わって、したがってキリスト御自身の御言葉と御業に説教と
サクラメントによって奉仕しつつ、神の自由な恵みの使信を、すべての
人に伝えるということである。

 教会が、人間的な自立性において、主の御言葉と御業を、自力に
よって選ばれた何かの願望や目的や計画に奉仕せしめることが
できるというような誤った教えを、われわれは退ける。

 ドイツ福音主義教会の告白会議は、以上のような諸真理を承認し、
以上のような諸誤謬を退けることが、諸教会の同盟としてのドイツ
福音主義教会の不可欠の神学的基礎と考えることを宣言する。
この告白会議は、その宣言に賛同しうるすべての人々に対して、
彼らが教会政治的決断を行う際に、この神学的認識を記憶する
ように要求する。またかかわりあるすべての人々が、信仰と愛と
希望の一致の中へと、帰り来るようにこいねがう。

Verbum Dei manet in aeternum(神の言葉はとこしえに保つ)

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宮田光雄氏がバルメン宣言を解説「キリストの福音に立ち返るほかない」 
新教出版社創立70周年記念講演
http://www.christiantoday.co.jp/articles/13204/20140428/shinkyo-pb-70th-lecture.htm 



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