[CML 030988] イズラエル・シャミール:民族紛争の対極にある「ロシア世界」の新たな展開2

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2014年 4月 23日 (水) 23:44:58 JST


*フランス vs オキシタニア*

 ロシア-ウクライナ問題を理解したいなら、それをフランスにたとえてみれば
よい。フランスが北と 南に分かれたとしよう。北はフランスの名を残し、南は
自らを「オキシタニア」、自国民を「オキシタニア人」、自国語を「オキシタニ
ア語」と呼 ぶとする。オ キシタニア政府は国民に、プロバンス語を話すこと、
その源としてフレデリック・ミストラルの詩を学ぶことを強制し、子供たちにフ
ランス人を憎 むように教育 するだろう。フランス人たちは1220年のアルビ
ジョア十字軍の際に彼らの麗しい国土を荒廃させたのである。フランスはまさに
歯ぎしりするこ とだろう。そ してその20年後をイメージしてほしい。
「800年間のフランクの支配」を根絶させたいと熱望しヴィクトル・ユーゴと
アルベール・カミュの言 葉を話すこと を好む人々を差別しようとする空想主義
的な南部のファシストたちによって、オキシタニアの権力が暴力的に奪取され
た。必然的に、フランスは介 入とフランス 語圏の人々の防衛を、少なくとも難
民の殺到を食い止めるために、行わざるをえなくなるだろう。おそらくマルセイ
ユやトゥーロンのフランス語圏 の人々は「自 分たち自身」の政府に反対して北
を支持することだろう。彼らがノルマンジーからの移住者ではないにしても。

 プーチンはロシア語圏の人々 全員を、民族的な意味のロシア人だけではなく
ガザウズやアブカハズのようなあらゆる少数民族を、防衛する。彼はロシア世界
を、彼の保護を求め 必要とするあ らゆるロシア語圏の人々を、防衛する。この
ロシア世界は、ノヴォロシアとキエフの中で、ウクライナ住民の多く ― おそら
くは多数派、そして民族的な意味でのロシア人、ユダヤ人、少数民族と民族的な
意味でのウクライナ人を、明らかに内包している。

  実際にロシア世界は昔も今も魅力的である。ユダヤ人たちはシュテットル
(ユダヤ人集落)とイーディッシュ語を喜んで忘れた。その最高の詩人で ある
パステル ナークやブロドスキィはロシア語で書き自分自身をロシア人と見なし
ていた。それでも、一部のマイナーな詩人たちは自己表現としてイーディッ
シュ語を使っ た。ウクライナ人たちもまた長い間、家庭内では自分たちの方言
を話したが文学にはロシア語を使った。ニコライ・ゴーゴリはウクライナの起源
を 持つロシアの 偉大な作家だが、ロシア語を書き、ウクライナの地方語を使う
文学への反対者と位置付けられたまま死んだ。タラス・シェフチェンコやレ
シャ・ウ クラインカの ような、地方語を創造的芸術のために使用するロマン派
のマイナーな人々も何人かいた。

 ソルジェーニツィンは次のように書いた。「民族的 な意味でのウクライナ人
たちですらウクライナ語を使わないし知らない。その使用を推進するために、ウ
クライナの政府はロシア人の学校を廃止 し、ロシア語の TVを禁止し、自由主
義者さえもその読者とロシア語で話すことを許されない。ウクライナでのこの反
-ロシア主義の立場は、まさしく、ロシアを 弱めるために アメリカが望んでい
ることである。」

 プーチンはクリミアでの演説で、ウクライナのあらゆる場所でロシア世界を保
証したいと望んでいるこ とを強調した。ノヴォロシアではその必要性は緊急の
ものである。民衆とキエフ政権が差し向けたギャングどもとの間で毎日のように
衝突が起こっ ているからで ある。プーチンはそれでもまだ(ソルジェーニツィ
ンに反対し一般的なロシア人感情に反して)ノヴォロシアの奪取を望んでいない
のだが、クリミ アでそうだっ たように、彼はそうせざるをえなくなるかもしれ
ない。そんな巨大な変化を避ける道が一つある。ウクライナはロシア世界に再加
入しなければなら ない。その独 立を保ちながらも、ウクライナはロシア語を話
す人々に完全な平等を保障しなければならない。彼らはロシア語の学校、新聞、
TVを持つことがで きるべきであ り、どこででもロシア語を使う権利を与えら
れるべきである。反-ロシア・プロパガンダは終わらなければならない。そして
NATO加入の幻想も また終わらな ければならない。

 これは突拍子もない要求ではない。アメリカにいるラテンアメリカ人たちはス
ペイン語の使用を許されている。ヨーロッパ では言語と文化の平等が必要欠く
べからざるものだ。旧ソヴィエトの共和国内だけでこれらの権利が踏みにじられ
ている。ウクライナばかりではな くバルト海諸 国でも同様だ。20年の間ロシ
アは、バルト海諸国でロシア語を話す人々(その多数派が民族的な意味でのロシ
ア人ではない)が差別を受けたと き、弱々しい反 対を行っただけだった。それ
は変化しそうである。リトゥアニアとラトビアはすでに、ロシアとの中継ぎ貿易
の利益を失うことで、その反-ロシア 的な姿勢に対 する代価を支払っている。
ウクライナはロシアにとってはるかに重要だ。現政権が変化できないのなら(あ
りそうにもないことだが)、この非合法 な政権はウク ライナの人々によって変
化させられるだろう。そしてロシアは、権力を握る犯罪的な諸要素に対して、
「保護する責任」を使って対処するだろう。

  ウクライナ国民の多数派はたぶん、その民族性とは無関係に、プーチンに同
意するかもしれない。実際にクリミアでの住民投票では、ウクライナ人 もタ
タール人 もロシア人たちと共に一丸となって賛成票を投じたのだ。これは明る
いきざしである。アメリカの逆向きの努力にもかかわらず、ウクライナ東部に
民族間の争い など何もない。決定の時は素早くやってくる。一部の専門家たち
は5月末までにはウクライナの危機は我々から立ち去るだろうと予想している。

【訳出、ここまで】

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*【翻訳後記】*

  一つの空間の中におおよそ平等な形で、さまざまに異なった極めて多くの要
素を含んで存在する、「生態学的」と言ってもよい社会は、おそらく人 間社会
の最も 自然な在り方のはずだ。いま「おおよそ平等な形で」と言ったのは、あ
る特定な要素が他の多くの要素に向かって、圧倒的に、生殺与奪権すら握っ て
支配するよ うな、そんな在り方ではなく、という意味である。これは本来のア
ジア的な、そしてロシア的な社会の在り方なのだろう。比較の対象として、世界
の歴史で見ら れる次のような文明の在り方を考えてみればよい。

 アングロサクソンはブリテン主要部からケルト人をほぼ完全に駆逐した。スペ
インのキリ スト教徒支配者はそれまで何百年間もイベリア半島で共存していた
イスラム教徒とユダヤ教徒を追放し、残虐な異端審問で残った者たちの同化を強
制した。北米 大陸に渡った西ヨーロッパ人たちはネイティヴ・アメリカン(俗
に言う北米インディアン)たちを絶滅にも近い状態に追いやり、文化と生活を破
壊 し尽くし、そ のほとんどの土地と資源を奪った。ヨーロッパからパレスチナ
に移住したユダヤ人たちはアラブ人たちを残虐にたたきだしてその土地を略奪し
た。 そして日本人 は北海道のネイティヴ(アイヌ人)たちをその生活の場から
徹底して追い払い、見世物として以外の文化的要素を全て奪い取った。オースト
ラリア では…、い や、もう十分だろう。

 一方で、中国の各王朝は確かに敵対する周辺の国々と民族を攻撃し支配した
が、完全に滅ぼすようなことはせず朝貢を 求め権威に従わせることで満足し、
またその地の文化を破壊し奪い去るようなこともしなかった。そもそも「中国」
あるいは「漢民族」とされるも の自体が広大 な地域に散らばる多数の文化と言
語のおおらかな集合体であり、共産主義の政府が登場するまでは一つのイデオロ
ギーで塗りつぶすような試みは行 われなかった し、それも決して成功していな
い。小アジア半島を中心に東ヨーロッパから北アフリカ、中東一帯を支配したオ
スマン帝国も同様である。そもそ も、20世紀後 半にアメリカが積極的に介入
工作を行う以前には、イスラム教徒たちは他の宗教を根絶させるような発想を持
たなかったのだ。そして、イズラエ ル・シャミール がこの文章で述べているよ
うに、ロシアもまた、その東方世界の一つなのである。著者はそのようなロシア
の在り方を「ロシア世界」と呼んでい る。

  「弱肉強食」という言葉を自然法則ででもあるかのように吹聴する人々がい
るが、自然界に対するこれほどの無知と悪意は他に存在するまい。自然 界には
食物連 鎖があり生産者(光合成をおこなう生物)、第一次消費者(草食性の動
物)そしてプレディター(捕食動物)が存在する。それを人為的にピラミッ ド
型に積み上 げた、あたかもその最高の位置にあるプレディターが生物界に君臨
するかのような図解は、自然に対する重大な誤解を誘うだろう。現実にはわずか
な環境の変化 で真っ先に滅んでしまうのがその最高位にあるプレディターの方
であり、彼らこそ自然界で最もひ弱な生き物なのだ。「弱肉強食」とは、人間が
己 のあくなき貪 欲と無知蒙昧によって行う残虐行為を自己弁護するために発明
した、徹底して反自然的な認識なのだ。他者・異質なものを絶滅させようとする
先ほ ど述べたよう な文明の在り方は、この記事で著者が「ロシア世界」と呼
ぶ、そして広く東方の世界に存在する文明の在り方の、まさに対極に位置するも
のなのだ ろう。あのア メリカのユダヤ人を中心とするネオコンは「文明間戦
争」を提唱した。彼らがどちらの文明に属するのか、もはや言うまでもあるまい。

 シャ ミールのロシアとウクライナ、旧ソ連圏の共和国群に関する見方が、あ
らゆる点で正確なのかどうかまでは、私には断定する自信が無い。しかし、 現
実の政治の 動きに具体的に次々と現われてくる殺伐とした光景を、深い歴史的
な視座と豊かな文明観の中に置いてじっくりと捉えていくシャミールの視点には
いつもながら 舌を巻く。次の文章(拙訳)にも見られる通りである。
    アメリカ:あるユダヤ国家 http://bcndoujimaru.web.fc2.com
/archive/a_jewish_state.html
    パラダイス・ナウ あるいは ある秘密諜報員の告白 
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/paradise_now.html

 ところで、私はこの記事を訳しながら、いま私の住むカタルーニャの運命に
ついて考え込んでしまった。スペインからの分離独立に向かって一直線に突っ走
ろうとしている
<http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain_jouhou
/menuspainhtml.html#dokuritu>この南欧の民族地域は、このウクライナ東部
「ノヴォロシア」とは非常に 興味深い対比をなしている。

  いま、カタルーニャの分離独立を目指す政治勢力はウクライナ情勢について
沈黙しているが、明らかに、どう言うべきか戸惑っているよう に見える。スペ
イン政 府は西側世界の一員として、クリミアや東部ウクライナのキエフからの
離別を非難し、カタルーニャ独立の動きもまたこれと同様のものと 見なして
「不法であり 断じて許されるべきではない」という姿勢を保っている。では独
立派はというと、民族自決という名目と、EUの一部として西側世界にと どま
りたい意図の間で 立ち往生している様子だ。少し前にロシアはコソボを引き合
い出してアメリカとEUのダブルスタンダードをからかったのだが、カタルー
ニャ独立派もまたコソ ボを例にとって「民族自決権」を振りかざしている。し
かしこれはロシアとは逆にアメリカとEUの権威を借りるためであり、前のサパ
テ ロ左翼政権以来のスペ イン政府はいまだにコソボを正式には承認していない。

 独立派は昨年9月11日にカタルーニャを南北に貫く「人間の鎖」を演出し
たのだが、その際に、同様に「人間の鎖」でロシアとの離縁の意思を明らかにさ
せたラトビアとリトアニアの首相はEU構成国として真っ先にカタルーニャ独立
への支 持を表明
<http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-2
/human_chain_in_Catalunya.html#henka>し た。そのバルト海沿岸諸国で独立後
に起こったことは「ロシア排斥」「民族浄化」であり(この点はシャミールもこ
の文章で触れてい る)、カタルーニャが独立 すると仮定した場合には同様の事
態が発生しかねないように思う。「純粋さ」は、適度にいい加減でおおらかな共
存の仕方を拒絶し、結果 として自らを破滅させ かねないのだ。それが人間社会
の自然なあり方に反しているからである。いまバルト海諸国はルーマニアやブル
ガリアなどの東欧諸国と並 んで、膨大な借金を抱 えながら貧富の差を拡大させ
国家破産への道を歩みつつある。

 またシャミールは上の記事の中で、意図的にか無意識的にかは分からないが
「Ukrainian dialect」というように書いている。思わず、かつてのフランコ独
裁の時代にスペインでカタルーニャ語が「スペイン語(カスティーリャ語)の一
方言」 であるとみなされていたことが私の頭に浮かんだ。

  カスティーリャ語とカタルーニャ語は、同じラテン系言語でありながら明ら
かにその成立過程が異なる。前者はローマ帝国内の貴族や上級 軍人が用いた
「上ラテ ン語」の系統である。後者はフランス語やイタリア語、ポルトガル語
などと並んで、一般庶民と下級兵士が用いた「俗ラテン語」系統であ り、元々
は語彙的にも 文法的にもスペイン語(カスティーリャ語)よりフランス語やイ
タリア語との共通点が多いと言われる。また南フランスのプロバンス語と は
「姉妹言語」と言っ てもよいだろう。ただし18世紀のマドリッド・ブルボン
王朝による圧政と「言語狩り」以来、カスティーリャ語からの語彙が数多く抜き
がたく入ってきてお り、今では「イタリア語とフランス語とスペイン語を足し
て3で割った」というような言い方もされる。いずれにせよ、カタルーニャ語を
スペイン語の一方言と するのは明らかな間違いであり、こういったデマはフラ
ンコ独裁時代の独自文化圧殺政策の一部分だったのだ。

 ウクライナ語が、カタルー ニャ語がカスティーリャ語とは異なるのと同じく
らいに、ロシア語と異なっているのかどうか、私には分からない。またシャミー
ルの文章 にはロシア帝政時代の 多くの作家がウクライナ語ではなくロシア語で
作品を書いたことが述べられているが、これは事実だろう。スペインでも、フラ
ンコ政権終 了後にカタルーニャ語 の使用が公に認められた以降ですらスペイン
語で作品を作り続ける複数の著名な作家がいる。これは「政治的に保守」という
ことではなく 単純に市場の問題であ ろう。カタルーニャ人もスペイン語を何の
苦も無く読み書き話すことができるわけで、スペイン語で書いた方がはるかに多
くの読者層を確 保できるのである。歌 や映画でも同様なのだが、近年では積極
的なカタルーニャ語での製作が政治面から推し進められている。例えば外国映画
の吹き替えで、以 前ならスペイン語への 吹き替えだけで済んだのだが、今はカ
タルーニャ語への吹き替えが強制され映画配給会社と映画館は四苦八苦している。

 またカタルーニャに もスペインの他地方や中南米から移住してきた人々とそ
の子孫が数多く住んでいる。学校でカタルーニャ語を習う子供たちはともかく、
大 人たちにとってこの新 しい言語の習得は非常に難しい。バルセロナ都市圏で
はカタルーニャ語を話す人々とほぼ同数か、ひょっとすると多数派かもしれな
い。し かしいま独立派が主導 権を取るカタルーニャでは、公立学校でも私立学
校でもスペイン語で授業を受ける権利はほとんど保障されていない。公的機関が
資金を出 す半官半民の企業には カタルーニャ語をあまり理解できない中南米出
身者などが多く働いているが、社内の通達や連絡には全てカタルーニャ語の使用
が強制され ている。いくら自民族 の言語を大切にすると言っても、少々行きす
ぎではないのかという気すら起こる。

 私は長年バルセロナに住み、カタルーニャ語のTVやラジ オにむしろスペイ
ン語よりも長い時間耳を傾け(マドリッドからの放送が面白くないせいもあるの
だが)、カタルーニャの味わった歴史的 な悲劇を研究して、そ の民族としての
誇りを十分に尊重しているつもりだ。しかし、昨今の独立派の動きを見るにつ
け、(年金の支給や健康保険の適用がどうな るのかの心配以外 に、)シャミー
ルが苦々しい思いで見つめる旧ソ連圏の共和国と似たような「純化」が始まるの
ではないかと心配になってしまう。民族的 な純粋さを振りかざし て共存共栄の
思想を打ち棄てるとすれば、その発想は、シオニズムと同様に、外部の人間にも
内部の人間にとっても極めて危険なものとな るだろう。かつてスペ インがキリ
スト教への純化のためにイスラム教徒とユダヤ教徒を追い出した愚かさを、カタ
ルーニャが繰り返さないように願うばかりであ る。

2014年4月21日 バルセロナにて 童子丸開


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