[CML 030986] 今日の言葉~抜録~(2014/04/07~2014/04/23)

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 4月 23日 (水) 21:21:51 JST


■今日の言葉~抜録~(2014/04/07~2014/04/23)(弊ブログ 2014年4月23日)
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・学生による占拠が3月18日から続く台湾の立法院。(略)学生たちが抗議しているのは、与党国民党が、中国との経済協定の承認を強引に進めようとしたことだ。「選挙で選ばれたら、任期中、何をやってもいいというわけじゃないと思う。こんな大事なことを審議もせずに、30秒で決めるなんて、台湾の民主主義の否定です」学生代表の一人、曽栢瑜(ツォンパイユイ)さん(22)は、立法院のなかに入ってきた私に対し、勢いよく訴えた。(略)――議会占拠も、民主主義の否定ではないですか。「通常ならば、そうですよね。でも、代議員制度は完璧じゃない。今回の彼ら(与党)の行為には人々の声が反映されてない」世論調査で、学生たちへの支持は約4割。一方で、馬英九総統が学生と対話することを望む人は8割に上る。台湾の世論は複雑だ。(略)正直言って、分からなくなってしまう。民主主義って、いったい何なのか、と。(略)選挙で選ばれた政権は何でもできるのか――。台湾の学生たちが投げかける問いは、民主主義を信じる私たちすべてに向けられている。(朝日新聞 中国総局長 2014年4月7日)

・チベット人は「天に日月あり、地にダライ・ラマとパンチェン・ラマあり」という。では日月に次いでチベット高原に明るく輝く星は誰か。それはガランランパ・プンツォク・ワンギェルである。漢語表記は「平措汪傑」、略称はプンワン。彼はこの3月30日早朝7時に北京で亡くなった。92歳だった。この日、親しい新聞記者が北京から電話で「あなたが伝記を書いたプンワンという人が亡くなりましたよ」と知らせてくれたとき、私は全身の力が抜けた。しばらくして涙がわいてきた。悲しみはその過ぎこしかたがあまりに波乱に満ち、悲劇的であったからである。(略)チベット人は25年前十世パンチェン・ラマを、今日プンワンを失った。国内で民族を代表して発言できる権威ある人物はもういなくなった。(略)現行の民族政策が続く限り、ダライ・ラマなきあとのチベット高原は抑えが利かなくなって、新疆化・パレスチナ化・アフガン化する危険がある。もしそうなったら、いったい何のためにプンワンは身をそぎ骨をけずって苦闘したのだろうか。(リベラル21 阿部治平 2014.04.07)

・「禁じ手」というものがある。(略)憲法に基づく政治でも、さまざまな「禁じ手」がある。集団的自衛権行使の違憲解釈や徴兵制違憲解釈など憲法が「やってはならない」と命じている場合は当然のこと、それまでの政権が批判的世論や憲法の精神を斟酌して、「やろうと思えばできたが、あえて 抑制してきたこと」もまた、長期にわたって形成されてき 
た「禁じ手」と言えるだろう。法律や国会決議の形をとらず、首相の国会答弁などの反復継続、その蓄積によるものも少なくない。武器輸出三原則、非核三原則などがそれであり、P・J・カッツェンスタインのいう「準憲法的な」政治的了解である(略)。そのもつ意味は決して過小評価されてはならない。だが、安倍政権は「最高責任者のおれがルールをつくるのだ」と言わんばかりに、そうした長期にわたるこの国の「禁じ手」の蓄積を 「スピード感をもって」蹴散らしている。(「禁じ手」破り――武器輸出 
三原則も撤廃」水島朝穂 2014年4月7日))

・朝日・毎日・東京・日経・読売・産経の主要各紙すべてが、みんなの党・渡辺喜美の党代表辞任を社説で取りあげている。(略)各紙とも、「政治資金や選挙資金の流れには徹底した透明性が必要」を前提として、「渡辺の代表辞任は当然」としながら、「これで幕引きとしてはならない」、「事実関係とりわけ8億円の使途に徹底して切り込め」という内容。渡辺の弁解内容や、その弁明の不自然さについての指摘も共通。(略)もの足りないのは、巨額の金を融通することで、みんなの党を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。政治を金で歪めてはならない。金をもつ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。DHCの吉田嘉明は、その許すべからざることをやったのだ。(略)自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。(澤藤統一郎 2014年4月8日)

・安倍政権の特徴の一つとして指摘できるのは、反知性主義である。「現代日本の反知性主義の…最大の特徴は、本人は高い知力を持っている権力者が大衆の反知性主義的感情を操作する、という図式が成立していないところにある。そうではなく、権力者自身が知的でなく、大衆に蔓延した反知性主義的感情と一体化し、その感情をますます活気づけ、ついには個別的な幾人かの権力者が反知性的であるのではなく、 
政治 ・経済 ・ジャーナリズム といった社会的諸領域の支配層全体が反知性主義によって満たされるという事態が生じつつある」 (白井聡「『戦後』 の墓碑銘」;水島朝穂 2014年4月7 
日)

・国民投票法改正案の共同提出者に自民、公明にくわえて民主党まで入っていたのには、先刻知ってはいたけれど、反吐がでる。(略)ファシズムの時代とはこういうものだ。改正案共同提出時に、超デカ耳の枝野幸男がいた。自衛権行使の要件を明文化した条項を憲法9条に追加し、憲法解釈の幅をできるだけ狭めることにより、野放図な軍拡に歯止めをかける――というのが持論らしいが、なんのことはない、安倍内閣の 憲法 死文化、 9条破壊作業の助っ人となっているだけだ。かんたんな言葉で言 
うと、「裏切り者」である。ファシズムの時代とは裏切りの季節なのだ。「歴史は終わり、マスメディア(ダニのシステム)の騒音が風景に充満している」。引用者つけたし:辺見の文は実は次のように続いている。「コブシが散った。ヤマブキが咲いた。(略)アパートの階段をあるいていたら、遊んでいたクソガキが仲間に大声で言った。『ロージンを通してやれ!』」。私としてはここが一番面白かった。(辺見庸「日録12」2014/04/09)

・もう二十数年前のことだ。私立大で国際法を研究していた教授の元に、一通の手紙が届いた。差出人は外務省で国際法の解釈を担当する部署の課長。教授が書いた論文の内容は我が国の立場と異なる、と記されていた。自分は国のために論文を書いたわけではない。在野の研究者が政府と違う見解を持つのは当たり前だ。それなのに、外務省の官僚が、ああしろこうしろと言ってくるのはおかしくないか。教授は反論をまとめて返事を書いた。やりとりはそれで終わったが、上から国の考えに従えと押しつけられた気がして、後味が悪かった。課長はその後、順調に出世の階段を上り、省を代表する「国際法の権威」となった。昨年夏には内閣法制局長官に抜てきされる。集団的自衛権の行使容認を目指す安倍内閣で、法制局勤務経験がないまま長官を務めている小松一郎氏のことだ。(「発信箱:課長からの手紙=木戸哲」毎日新聞 2014年04月10日)

・(A)先の戦争はグループ間の世界戦争で、「民主主義対ファシズム」というイデオロギー同士の争いでもあった。民主主義の価値を信じる限り、「日本は間違った悪い戦争をした」と認めざるを得ない。だが、たとえ間違った戦争であっても、当時これを正しいと信じ戦って死んだ同胞を哀悼したい、という気持ちは自然です。それを否定しては人間のつながりが成り立たない。「悪い戦争を戦って亡くなった自国民をどう追悼するのか」という、世界史上かつてなかった課題に私たちは直面したが、その解決策をいまだに見いだせない。(B)戦争で死んだ人を記憶するとき「この人たちの犠牲があるから今の平和や繁栄がある」という言い方をする人がいるが、これには大きな問題がある。戦争で無駄死にさせられた内外の民間人も兵士も、後世の平和や繁栄のために死んだのではない。家族の幸せも生きていく喜びも全て奪われていった人たちの無念を思うと、「あの犠牲があるから今の平和がある」なんて失礼な言い方はできないはずだ。(略)「あの犠牲があるから今の○○がある」とどうしても言いたいのなら、それは日本国憲法であり、憲法を守り戦争や戦争準備をしないことによってしか、その人たちの無念と怒りと生きたかった気持ちを生かす道はない(引用者注:(A)と(B)は少しバージョンは違いますが20年前は高橋哲哉と加藤典洋の論争としてありました。いわゆる「『敗戦後論』論争」です。私ははじめは加藤典洋の側にいました。議論を繰り返し検討してみる過程で高橋哲哉の論に与するようになりましたが、さりとて加藤の論も私にはいまだに簡単に切り捨てがたい。難しい問題です)。((A)加藤典洋 朝日新聞「耕論」 2014 
年4月11日、(B)PeacePhilosophy 2014.4.11)

・祥林嫂(シアンリンサオ)という人間の不幸の原型は、なんどもなぞるに値する。中国はこれを1950年代に映画化して高い評価をえた。そのころは、まだしも知性があったのだ。いまは魯迅の作品が中国の教科書から削除されているというから、日本だけでなく中国の国家権力も、真正の知性を排斥している。「人間のつくる共同体の奥底には、まったく意識されることのない反復的な構造がひそんでいる……累積してゆく不可逆的な技術的進歩が、政治における古く変わらないものとむすびつくと、とんでもない暴発の危険性が生じる」(R.D)。(略)中国でも日本でもオオカミは絶滅したか絶滅しかかっているとしても、21世紀の祥林嫂は続々と生まれている。新たな日中戦争の可能性は、むろん、ある。局地的衝突、暴発は、いつおきてもおかしくない。暴発の危険性は、両国の国家権力と大衆社会における知性の退行の速度と幅に比例して増している。(辺見庸「日録12」2014.4.11)

・海外での武力行使に道 安保法制懇提言、国際紛争の解釈変更:安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、海外で戦闘中の多国籍軍に対して自衛隊が兵士の輸送や医療活動などの後方支援ができるよう、憲法解釈の変更を求める。5月の連休明けにも 首相に提出する報告書に盛り込む。北岡伸一 座長代理 
が明らかにした。憲法9条1項は、国際紛争を解決する手段としての武力行使を永久に放棄すると定める。報告書では「国際紛争」の解釈を「日本が当事者である国際紛争」と変更するよう求める。変更すれば、日本が当事国にならない自衛隊の海外派兵に憲法上の制約はなくなる。結果として、日本の領土問題などが絡まない国際紛争への多国籍軍に、際限なく参加が可能になる。(朝日新聞 2014年4月12 
日)

・時はもう連続していない。あらゆる場所でいま、世界の連続性に亀裂が生じているのは、レヴィナスの予言のとおりである。だが、連続性の亀裂の溝から、じつにさいわいなことには、人間存在のひしゃげた裸形をぼんやりと浮き立たせる闇が生まれている。(略)闇もまださっぱり濃くはないのだ。それでも、闇はもくもくと増してきている。存在することじたいが悲惨であることを告げるために、闇がただよう。光ではなく闇のなかでこそ、わたしはすべて晒される。融けていく。そうなると、「目ざめているのは(わたしではなく)夜じしんである」。(辺見庸「日録12」2014/04/12)

・スラジュさん事件 検察審査会宛署名へのご協力のお願いです。電子署名:締切日4月15日。2010年3月22日、ガーナ国籍のAbubakar Awudu Surajさんが 国費送還中に死亡しました。同年12月、送還に 
付き添っていた入管職員10名が特別公務員暴行陵虐致死罪容疑で書類送検されました。事件から2年4か月経った2012年7月3日、千葉地検はこれら職員10名に対し、嫌疑なしの不起訴処分としました。(略)送還状況のビデオ撮影を入管職員自身が中止していることは、制圧の内容が記録に残せないほど過剰で残酷な行為であったことを疑わせます。国賠訴訟の地裁判決にて入管職員の制圧行為の違法性とスラジュさんの死との因果関係が認められたことを受け、これまでペンディングになっていました検察審査会への申立てをいよいよ行い、同行していた入管職員の強制起訴を求めることとなりました。皆さまの署名のご協力をよろしくお願いいたします。(「国費送還中にスラジュさんを死亡させた入管職員の起訴相当議決を求めます」2014/04/13)

・大病院初診「1万円」案も検討 医療制度改革で厚労省:貧乏人は医療を受けるなと言うのか!「消費税増税は社会保障費のため」というマスコミを使った大々的な広告が大嘘だと早くも露呈。「混雑しがちな大病院の外来についても、軽症患者の受診抑制を促す」ってまるで受診しに来る方が悪いみたいではないか。小泉改革で医療を破壊して医者不足を招き、混雑に拍車をかけておいて何を言うか。それに来院が抑制されるのは「軽症患者」ではなく「低所得者患者」だ。一見軽症に思えても深刻な病だったり総合的に連携した診療を受けねばならない場合もある。それは個人病院ではなく大病院でなければ出来ない。金持ち以外は充実した医療を受けるなという「一万円」案など到底承伏できない。だいたい、混雑を回避させようというのなら、大病院で働く医療従事者の数を増やして混雑を緩和し全ての国民の健康に貢献しようというのが普通の民主主義国の発想ではないか!(Afternoon Cafe 
 2014-04-12)

・竹内平吉さん(77)は東京五輪の1964年からタクシーを運転している。(略)話が好きなのだろう。かつて石原裕次郎を乗せたときの挿話をはじめ、小さな車内で見聞きした数々のドラマを楽しそうに語った。実はインタビューを受けて、それが本になったところだという。ノンフィクションライター山田清機さんの『東京タクシードライバー』である。13人の運転手のそれぞれの物語。(略)なまやさしい仕事ではない。威張る客がいれば酔漢もいる。同業との競争も激しい。漫然と走っても稼ぎは伸びない。(略)山田さんは、民俗学者宮本常一の『忘れられた日本人』から世間師という言葉を引く。普通はずるい人といった意味だが、宮本のは違う。共同体の外に出て長い旅をし、得られた経験や知識を持ち帰って自分の村を新しくする役割を担った人を指す。この世間師に竹内さんらは似ている。山田さんはそう書く。滋味掬すべき人生の語りを客に聞かせてくれるからだ。(朝日新聞「天声人語」2014年4月13日)

・外傷的事態は、「しばしば語りえないものをあえて語る」ために、ストーリーは、一般に、現像中の写真のように、もやもやしたものが少しずつ形をとってくることが多い。ここで、治療者があせってはよくない。好奇心が先に立つようではすべては失われる。治療者内面の正義感はしばしば禁じ得ないが、治療の場の基底音としては、むしろ、慎ましい「人性(あるは運命)への静かな悲しみ」のほうがふさわしい!だろう。外傷はすべての人に起こりうることであり、「私でなくなぜあなたが」(神谷美恵子)とともに「傷つきうる柔らかい精神」(野田正彰『戦争と罪責』)への畏敬がなくてはなるまい。(略)私は木嶋佳苗被告は、性的虐待によって引き起こされた解離性パーソナリティ障害(俗にいう多重人格)ではないか、と強く疑っています。「毒婦たち」(上野・北原・信田)は、好著だと思いますが、(略)「毒婦たち」には、被告に対する「静かな悲しみ」が不足している印象があります。(熊田一雄の日記 2014-04-13)

・なるほど、子どもの世界には法の適用が猶予されている。しかし、それは裏返せば無法地帯だということである。子どもを守ってくれる「子ども警察」も、訴え出ることのできる「子ども裁判所」もない。子どもの世界は成人の世界に比べてはるかにむきだしの、そうして出口なしの暴力社会だという一面を持っている。(略)子どもの社会のこういう面を知らずに成人した人も多いであろう。だが、その中に陥った者の「出口なし」感はほとんど強制収容所なみである。それも、出所できる思想改造収容所では決してなく、絶滅収容所であると感じられてくる。その壁は透明であるが、しかし、眼に見える鉄条網より強固である(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』1997年)。(熊田一雄の日記 2014-04-15)

・安倍内閣は11日、「エネルギー基本計画」を閣議決定しました。(略)最も遺憾なのは、故郷を奪われたまま復興も補償も進まない福島県民を置き去りにした閣議決定による「原子力ムラ」復興、世論調査では、なお原発「再稼働反対」が多数派です。しかし消費税増税を経てもなお過半数の安倍内閣支持率が、「閣議決定」の乱発を許しています。「武器輸出3原則」から「武器」を名前だけ消し、「防衛装備移転3原則」と呼び変えて輸出を可能にし、「集団的自衛権」については、政府の憲法解釈で行使を可能にしようとしています。官邸主導という名の右傾化、戦争準備が、ウクライナや朝鮮半島で国際的な緊張が高まる中で、進んでいます。(略)安倍内閣のナショナリズム昂揚策は、軍事・外交・政治の多方面で進められ、残念ながら国会内の野党はほとんど抵抗できずにいますが、市民社会にいきる私たちは、その一つ一つに、生活者の視点から、対抗していくしかありません。(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2014.4.15)

・ウクライナ情勢についての日本の報道は、東部ウクライナの反キエフ政府運動がロシア政府が糸を引く軍事集団によるものであるかの報道一色である。(略)マスメディアは問題を、欧米=善、ロシア=悪とみなし、民衆の運動もこの両者のどちらであるかの色分けをすることで極端な単純化をしようとしてきた。しかし、親西欧政権に極右が参加しているといったことが明確になると、戸惑いを見せるが、それでも、極右の参加がもつ深刻な意味をむしろ軽視しているようにみえる。言うまでもなくこうした日本のメディアの態度は、日本政府の態度とほとんど変らない。以下に訳出したイシュチェンコのエッセイは(略)メディアや東西の政府が主張する善悪の構図を認めない。東西の帝国主義もナショナリズムも認めない。この一見すると困難な立場は(略)マイダンにも反マイダンにも見出せる民衆の抵抗の根源にあるものだという確信が彼にはあるように思う。これは、この国のマスメディアが無視している重要な観点である。(小倉利丸ブログ 2014-4-16)

・(承前)他方で、日本の左翼あるいは社会運動のなかでウクライナの問題は、未だに積極的に議論しうるところにまでは至っておらず、論争にすらなっていない。(略)東欧であれ旧ソ連圏であれ、いわゆる「社会主義」を経験した諸国における根強い極右や反ユダヤ主義の存在は、今現在の資本主義や新自由主義の問題に還元して済ませられる問題ではなく、「社会主義」の時代にこうした問題、つまり、民族問題が解決されないまま、集合的な無意識の内部に抑圧されたに過ぎなかったということを示しており、これは、左翼であれば徹底した総括が必要な問題である。私が言っているのは、スターリン主義の誤謬ではなく、トロツキズムに解答があるという問題でもなく、より根源的なコミュニズムの再定義の必要を言っている。(小倉利丸ブログ 
2014-4-16)

・なにかとんでもないことが起きている。しかし、まだしっかりとは気づかれていない。途方もないことが生起しつつある。うすうすそうなのではないかとかんじていても、たがいにひとの顔色をうかがって言いだしかねている。じつは知っていた、などと何年もたってから語りだしてもおそい。「戦争状態がありうることで、人間の行為のうえにあらかじめその影が投げかけられている」。石川淳も似たようなことを書いていた(引用者注:その一文はおそらく「マルスの歌」(『焼跡のイエス・善財』所収)のなかのファシズムの不可思議な波動について述べた「この幻燈では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまう」という一節あたりのことを指しているでしょう)。(辺見庸「日録13」 2014-4-17)

・カール・マルクスは、1843年に友人のルーゲ宛の手紙に次のように書いた。「国家は、道化芝居の種にされるにしては、 重大きわまる ものだ。愚物だらけの船は、しばらく風のまにま 
に漂流させておいたらよいだろう。それでもその船は、自己の運命に向かって流れてゆく――愚物どもはそう思っていないが、いないからこそ、かえってそうなってしまう」。マルクスの言葉は、驚くほど腑に落ちる。まさに、安倍総理とそのお気に入りの取り巻きたちは、自分たちのみすぼらしい「信念」が客観的にどのようなものであるのか理解できない 「愚物」にほかならないか 
らこそ、 「自己の運命」を知らず、それによってかえって、「戦後レジームからの脱却」を彼らの「信念」に反して 客観的な意味で、 実現してしまう。道化芝居は面白い。しかし、 
マルクスが書いたように、国家はそ
の舞台になるには重大にすぎる。(『世界』「執筆者からのメッセージ(白井 
 聡)」 2014年5月号)

・「STAP細胞」の件、小保方晴子、笹井芳樹の両氏や理研に対しても多くの疑念を持つが、それ以前にマスメディアの報道や「日本の 科学教育のあり方の問題」を賢しらに口にする「専門家」 
に対する疑念が先に立つ。(略)笹井氏の会見の当日及び翌日、 「科学者から 『疑問の声』続出」とかなんとか言って、全く畑違いの学者たちが笹井氏を批判するコメントを伝える マスメディアの報道に接して、 極 
めて強い違和感を持った。だから、(略)「彼ら(テレビや新聞)はよく「学者」たちのコメントを伝えるが、受け手として肝に銘じるべきは、分子生物学とは畑違いの分野の学者のレベルは、われわれ一般の素人と何も変わらないということだ」と書いたのである(引用者注:私は「イデオロギーの分析の場合、視野の広さと知力とがいささかあり、それに健全なシニシズムがあればたくさんだ。(略)これ以上には、門外漢にわからないような特殊な知など、これっぽっちも必要ではない」(社会分析と「専門家」)というチョムスキーの言葉を思い出します)。(kojitakenの日記 
2014-04-19)

・「THE PATRIOT(愛国者)」。米誌「タイム」アジア版は19日発売の最新号で、安倍晋三首相の特集記事を掲載した。表紙を飾った顔の横には「愛国者」の文字とともに、「安倍晋三はより力強く、はっきりとした日本の夢を描いている。それがなぜ多くの人を不快にするのだろう」との問いかけが添えられた。特集記事はオバマ米大統領の訪日を前に、首相の靖国参拝や憲法改正をめざす保守的な姿勢を紹介。高い支持率と中国との緊張関係との関わりについても指摘している。(朝日新聞 2014年4月19日)

・60年近く前に起きた「砂川事件」の判決が、再び注目されている。事件は、東京都砂川町(現立川市)での米軍基地拡張をめぐる反対闘争の中で起きた。判決は、安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認の根拠として突如、浮上した。(略)「最高裁の判決をいくら読み返しても 『集団的自衛権』には触れていない。当時、われわれ法律家の間で 
は、自衛権と言えば個別的自衛権のことだった。なぜこんな議論になるのか」1959年3月、砂川事件の一審で 無罪の判決文を書いた 松本一郎・独協大名誉教授(83)は、あき 
れ顔で語った。安倍政権は、自国が攻められていなくても、密接な関係がある国が攻められたときに反撃できる集団的自衛権の行使を、閣議決定による、憲法解釈の変更で認める構えだ。(朝日新聞 2014年4月20日)

・夕方になると駅のキオスクには、中国・韓国を叩く産経系列の「あのオレンジ色のニクい奴…」と呼ばれる夕刊紙の煽情的な見出しが目に飛び込んでくる。「中国・韓国にこう言い返せ!」という連載や、「中韓黙れ! 靖国参拝は何 
も悪くない」というトーンで、いまにも日韓、日中で衝突が起きるような空気を煽っている。出版社系の4週刊誌は特に激しく中韓ネタを取り上げる。安倍政権が集団的自衛権行使容認に踏み切ろうとする背景には、こういう社会的な気分や空気があるのだろう。しかし実際の世論は存外、冷静のようである。毎日新聞社の最近の世論調査によれば、集団的自衛権の行使に反対は57%、また、集団的自衛権行使を憲法解釈の変更で行うという安倍政権の進め方に対して、64%が反対と答えている(『毎日新聞』3月31日付)。(引用者注:しかし、同じ毎日新聞の4月20日付世論調査には集団的自衛権「限定的に容認」44%、「認めるべきではない」38%とあります。世論調査を見ても、「危険標識」の赤色ランプは「超危険」の強度の「赤」を灯していると見るべきでしょう)。(水島朝穂「今週の『直言』」2014年4月21日)

・ある政治家一族に注目すると、九州の原発がなぜ再稼働第1号かが見えてきます。高祖父は大久保利通、祖父は吉田茂。華麗な政界家系に生まれた麻生太郎副総理兼財務相には、あまり知られていないもう一つの家系がある。実父が九州電力の初代会長なのだ。(略)それから63年、第9代九電会長として九州財界に君臨してきた松尾新吾・現相談役が、現在の麻生氏の後ろ盾になっている。(略)2011年の原発事故後、今度は窮地の九電に麻生一族が手をさしのべる。佐賀県にある玄海原発の運転再開を巡る「やらせメール問題」が九電を直撃し、(略)後任選びは引き受け手がおらず難航した。その座に九電出身者以外で初めて就いたのは、麻生氏の実弟である麻生泰・麻生セメント社長だった。「いざという時に九電と麻生一族は手を結ぶ。これほど固い政財界の結びつきは東京や大阪ではありえない」と麻生氏の元側近は話す。(朝日新聞 2014年4月22日 )

・自己の全体への同一化プロセスはいまがまっさかりなのである。入れ墨を彫ってはいない、巻き舌ではないだけの暴力団が、日本の政府と国会を完全に牛耳っている。自己を全体に同一化する者、他者を 全体に同一化させよう 
とする者どもが、めっそうもない、そうではないと嘯きつつ、マスメディアの全域 
を日々腐敗させ、ジャーナリズムの名をかたり、右翼暴力団と公安が仕切る政権を 
うらから支えてやっているマスメディアは権力に強引に操作されているのではなく、みずから権力に操作していただいているのだ。そして、 地獄図絵―― 朝鮮半島における新しいネガ映像を、い 
まだれが描きえているのか。 内乱はまだない。あなたはどうするか。わたしはどうするか。「きみたち、ぼくらが沈没し去る潮流から/いつかうかびあがってくるきみたち、/思え/ぼくらの弱さを言うときに/この時代の暗さをも、/きみらの逃れえた暗さをも」。(辺見庸「日録14」2014/04/23)

・安倍政権(と翼賛野党)は組織暴力団とまったく変わるところがない統帥権と警察力をもち、マスメディアを傘下にしたがえる暴力団なのである。この場合の暴力団は、アドルノやホルクハイマーの言うRacketから連想したのであって、「社会の暴力団的段階」の再来をイメージしたのだ。ファシズムという「社会の暴力団的段階」はその後、高度管理社会へと止揚されたかにみえたが、両者に本質的なちがいはない。高度管理社会は、入れ墨、巻き舌、私刑、みかじめ料のかわりに、ompliance with laws and ordinancesをかかげて、権力批判を徹 
底的に封じ、貧者・弱者からのさらなる搾取、暴力の独占、人民総去勢、監視・思想統制を合法化している。つまり、げんざいの高度管理社会は、洗練され、合法化され、より非情で、格段に暴力性を増した、やはり下品な暴力団社会にすぎない(辺見庸「日録14」2014/04/23)


東本高志@大分
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