[CML 030832] 「ジェンダー」問題と「政治」についての一考察 ――あるいはフェミニストであることとヒューマニストであることについて

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 4月 15日 (火) 20:24:03 JST


私は昨日の本ブログの「今日の言葉」に熊田一雄さん(宗教研究者)の以下の言葉を引用しました。

外傷的事態は、「しばしば語りえないものをあえて語る」ために、ストーリーは、一般に、現像中の写真のように、もやもやしたものが少しずつ形をとってくることが多い。ここで、治療者があせってはよくない。好奇心が先に立つようではすべては失われる。治療者内面の正義感はしばしば禁じ得ないが、治療の場の基底音としては、むしろ、慎ましい「人性(あるは運命)への静かな悲しみ」のほうがふさわしい!だろう。外傷はすべての人に起こりうることであり、「私でなくなぜあなたが」(神谷美恵子)とともに「傷つきうる柔らかい精神」(野田正彰『戦争と罪責』)への畏敬がなくてはなるまい。(略)私は木嶋佳苗被告は、性的虐待によって引き起こされた解離性パーソナリティ障害(俗にいう多重人格)ではないか、と強く疑っています。「毒婦たち」(上野・北原・信田)は、好著だと思いますが、執筆者たちが被告を、「目的」ではなく、自分の政治的主張のための「手段」として位置づけている側面がなくはないと思います。正直言って、「毒婦たち」には、被告に対する「静かな悲しみ」が不足している印象があります。(熊田一雄の日記 
 2014-04-13)
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20140413/p1

上記の熊田一雄さんの『毒婦たち』の感想を読んで、私は熊田さんに以下のようなコメントを書いて返信しました。

「熊田さんのご感想はヒューマニストとしてまっとうなご感想だと思います。私たちはフェミニストである以前に(男・女である以前に)ヒューマニスト(人間)であるはずですから。引用も勉強になりました。」

下記は、かつて(4年ほど前)あるジェンダー問題を主題とするメーリングリストにおいて「政治」と「ジェンダー」問題との関わりはどうあるべきかについて議論したときの私の意見の一部です。文中に「本ML」、あるいは「このメーリングリスト」とあるのは同メーリングリストのことを指します。熊田さんの読後感想に触発される形でかつてジェンダー問題について書いた私の文章を想い出しました。上記のジェンダー問題に対する私の思いをもう少し説明的に述べれば以下のようになるのかもしれません。

「政治」と「ジェンダー」の関わりについて少し述べます。

ジェンダー運動に携わる多くの人たちにとっては常識の部類に属するといってもよいと思うのですが、フェミニズム運動のこれまでの最大の理論的功績といってもよいものは、いわゆる近代産業革命な
るものが「女」に家事・育児労働という長時間労働にしてかつ不当な不払い労働でもある「主婦」なる職種を誕生させたこと、「男は外/女は家庭」という性別分業の倫理規範をつくりあげたこと、それ
は18世紀後半以来の「男性優位」社会の形成過程と密接にリンクしていること、を明々白々にかつ強い説得力をもって天下に知らしめたことといえるでしょう。

しかし、近代産業革命と「男性優位」社会の形成が密接にリンクしているということ自体がフェミニズム運動と政治の密接な関わりをも雄弁に示唆していますが、この「フェミニズム運動のこれまでの最大の理論的功績」はフェミニズム運動独自の理論的発案ではありません。マルクス主義理論の創始者のひとりのフリードリッヒ・エンゲルスは、盟友のマルクスの死後、そのマルクス理論のわかりやすい解説書を意図して『家族・私有財産・国家の起源』(1884年)という著書を著しましたが、同著は、人類社会が「母系制・母権制」から「父系制・父権制」へと変化してきたこととモノの社会的所有から私的所有への変化との関わりについて考察し、その私的所有の最終形態としてブルジョアジー(資本家階級)が生産手段を「私的」所有する資本主義的生産様式があること、その資本主義的生産様式が主に「男」を中心とした労働者をつくりだすとともに、その「男」の労働者の再生産活動を容易・円滑にするために労働者の日常における衣・食・住を安定供給するもっぱら「主婦」を専科とする「女」という家事労働者を必要としたこと、「男は外/女は家庭」という性別分業のメカニズムの初出を明らめました。

上記のフェミニズム運動の理論がこうしたエンゲルスなどの先駆的理論を踏襲した上で、さらにその理論を発展させていったことは明らかですが、ここにもフェミニズム運動と政治の初期からの密接な関わりが示唆されています。フェミニズム運動、あるいはジェンダー運動だけを特化させて、政治とまったく、あるいはほとんど関わりがない。ジェンダー運動と政治はリンクさせるべきではないなどという主張は根拠のない誤った主張といわなければならないのです。むろん、フェミニズム運動やジェンダー運動に限らず、それぞれの社会運動に政治とは別の次元の独自性が求められるのはそれが独自運動であろうとする限り当然のことです。しかし、だからといって、政治の問題を忌避してしまっては社会運動はきわめて偏頗かつ自己閉塞的な視野の狭い運動にならざるをえず、それぞれが目指しているはずのところの社会の変革も望めません。フェミニズム運動創始のときにどうしてフェミニズム運動は政治との密接な関わりを保ってきたのか。そのことの意味について想いを馳せていただきたいものだと思います。

さて、現実の問題として、本MLの政治問題としては東京都知事選、大阪府知事選問題があり、アベ、アソウ問題があり、ハトヤマ、カン問題、フクシマ問題、レンホウ問題、民主党評価問題などなどがありましたし、いまもあります。しかし、政治の問題の提起のしかたはそれぞれによって異なります。いたずらに民主党を評価したり、またフクシマ氏を評価したり、またハトヤマ、カン氏を評価(しようと)したりすることが本MLであれば、その評価は危険である、とジェンダー問題とはあえて断らずにたとえばフクシマ氏問題、あるいは社民党問題、民主党評価問題のみを俎上に載せることはありえます。それは見かけは政治問題だとしても、ジェンダー問題を考える上においても危険な政党、政治家評価であると警鐘を鳴らすという意味においてジェンダー問題といってよいものです。少なくとも前者がジェンダー記事として肯定できるものであれば、後者の記事は肯定できないなどという理屈は成り立ちようがありません。肯定記事も否定記事も同様の問題を記事にしているという点では同質であるいうべきだからです。しかし、そういうことに気づかない方が少なくないように思われます。残念なことです。そういう態度は少なくとも理論的態度としては公平な態度とはいえないだろう、ということを指摘しておきます。

さらに「政治」の問題に関して、「『フェミニズムの現代の女性の問題に必ずしも十分に応え得ていない』ということなら考慮すべき指摘でしょうが、基地問題や平和問題や政治家の横暴の問題に十分に応えていないということならば、お門違いの指摘でしょう」という指摘についてひとこと述べておきます。

私は「基地問題や平和問題」の課題をジェンダー(という特定ジャンルの課題を標榜するメーリングリストであったとしても)の課題から排除すべきではないと思います。「基地問題」や「平和問題」を固有の問題として特化することとジェンダーの課題の関わりの中で「基地問題」や「平和問題」を述べるということとは違います。

2年前の5月に31カ国、延べ3万5000人が参加して千葉・幕張メッセであった「9条世界会議」(共同代表:池田香代子さんら3人)で採択された「9条世界宣言」の冒頭には女性たちのたたかいにとって象徴的な次のような一節が記されていたことをご記憶されておられる方も少なくないのはないでしょうか。

「人類は、戦争のない世界に向けてたえず努力してきた。歴史の中で、土着の伝統や偉大な人物たち――とりわけ女性たちは戦争に積極的に反対してきた――は、たえず人類を平和へと導こうとしてきた。」

同宣言の世界のすべての政府に対する提言の6項目にも次のような提言が記されていました。

「平和をつくる主体として女性が果たす重要な役割を認識するとともに、国連安保理決議1325を実行して、あらゆる意思決定と政策策定の場に女性の完全かつ積極的な参加を相当数保証すること。」

上記は、ジェンダーのたたかいは戦争と平和の問題でもあるという世界の女性の認識の宣言といってもよいものです。女性たちのジェンダーのたたかいは、ジェンダー固有の問題に限らず、戦争の問題、基地の問題、さらには環境の問題などなどさまざまな分野においてその戦線が拡大、構築されているというのがいまのジェンダー戦線の現状です。そのさまざまな戦線にわたるジェンダー問題をジェンダー固有の問題だけに限るというのは、なんとも現状にそぐわないアナクロニスティックな考え方と言わなければならないでしょう。現実にこのメーリングリストにも女性の人権・戦後補償などの課題や環境問題、原発問題、ダム問題などにも関わっておられる参加者は私の知る限りでも決して少なくありません。そうした活動に携わっている女性たちにとってこのメーリングリストの場をジェンダー固有の問題だけに限定されてしまうと、なんとも発言しがたいものがあるようです。そういう声を実際に私は何人かの女性たちから直接に聞いてもいます。

もちろん、上記のような活動をしている女性たちも、このメーリングリストがジェンダー固有の問題を主に扱うことを目的にした媒体であることを十分に承知しています。だから、そのこと自体を声高に主張しようとはせず、あくまでもジェンダーとの関わりにおいて問題を投げかけている、そういう「振舞い方」をしている人がほとんどのように思われます。そうした発言までもジェンダーの問題とは関係ないだろう、ということで切り捨てようとする態度があったとして(実際に一部にあるわけですが)、そうした態度、姿勢はあまりにも木を見て森を見ないたぐいの視野狭窄の認識といわなければならず、また考え方だといわなければならないように思います。


東本高志@大分
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