[CML 030678] 今日の言葉~抜録~(2014/03/27~2014/04/06)

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 4月 7日 (月) 01:16:50 JST


弊ブログの「今日の言葉」の2014年3月27日から同年4月6日にかけての記録です。

・ウクライナ問題といえば、東側に加わるのか西側に加わるのかという決着のあり方だけが問われる。しかし、ウクライナが生き残り、繁栄しようとするのであれば、いずれか一方にとっての他方に対する前線基地となってはならず、両者の間の橋渡し役として存在するべきだ。(略)西側は、ロシアにとってウクライナは単なる外国の一つではあり得ないことを理解しなければならない。(略)ウクライナは数世紀にわたってロシアの一部だったし、その以前にもロシアとウクライナの歴史は絡み合っていた。1709年のポルタヴァの戦いに始まる ロシアの自由に 
とってもっとも重要ないくつかの戦いはウクライナの地で戦われた。黒海艦隊は長期のリース契約に基づきクリミアのセヴァストポリに基地を置いている。ソルジェニティンの如き有名な反体制派ですら、ウクライナはロシアの歴史、というよりロシアそのものの不可欠な一部だと主張した(<ヘンリー・キッシンジャー「ウクライナ危機はどう終わるか」>浅井基文 '14.3.27)

・当時、特に旧ユーゴスラビアのクライナ地域と、ウクライナとの類似性を強調した。(略)ウクライナのNATO加入の条件は、ウクライナ領土からの外国軍基地追放だろう。これはつまり、ロシアを、ロシア黒海艦隊に必要不可欠な、その歴史的海軍基地セバストーポリから追い出すことを意味している。(略)一方、クロアチア人のチトーは、ユーゴスラビアのほとんど全アドリア海沿岸地域をクロアチアに与え、セルビア人の利益を害する行政境界を施行した。同じ原因は、同じ結果をもたらす可能性があり、ウクライナをロシア勢力圏から“解放”する、というアメリカの主張は、カトリック教徒クロアチア人を、正教徒セルビア人から“解放する”という欧米の主張と同じ結果となりかねない。結果は、戦争だ。だが、欧米と戦う手段も、意志さえもないセルビア人(略)に対する小規模戦争ではなく、ウクライナでの戦争は、ロシアとの戦争を意味するのだ。核超大国だ。アメリカ合州国が、艦隊や空軍基地を、黒海なり、バルト海なり、陸上なり、海上なり、空なり、ロシア領土の端近くに進み続ける際に、じっと腕組みをしたままでいる国ではない。 (「ウクライ 
ナとユーゴスラビア」 Diana Johnstone マスコミに載らない海外記事 2014年3月28日) 


・「故郷に帰ってきた日の夜/私の白骨がついてきて同じ部屋に寝そべった」。(略)「行こう 行こう/逐われる人のように行こう/白骨に気取られない/美しいまた別の故 
郷へ行こう」。ユン・ドンジュの詩をキム・シジョンの訳でポツリポツリとなぞる。「清怨」という言葉があるのか。シジョンさんの「解説に代えて」で知る。おどろきである。清怨。もしもそうしたはげしく清い情というものがあるとしたなら、集団でも民族でも国家でも組織でもないだろう。ひとり、だ。まったくの、掛け値なしの、ひとりであろう。清怨。恥にしたってそうだ。みんなして恥じるなんて、大嘘だ。袴田事件。恥ずべきは官憲、司法、マスメディアだけでない。わたしたち、ではない。わたし、である。(辺見庸「日録11」2014/03/27,28)

・「法務大臣が袴田事件再審開始と袴田さん解放についてコメントし、がんばって社会復帰するように、とかなんとか言ったらしい。自己と国家を同一視している者は、恥の感覚を欠く。個として詫びるということを知らない。むしろ哀れだ。袴田事件はわたしに、隠棲と隠遁、?徊趣味のナンセンスをあらためておしえている」 (辺見庸「日録11」2014/03/29)。再度、辺 
見庸の言葉を借りれば、この手合い、「世の中の裁定者面をした正真正銘の、立派な背広を着た糞バエ」(『いまここに在ることの恥』 毎日新聞社)というところか。袴田さんを48年間 
も拘禁していた責任者は、谷垣氏よ、あなたをはじめ歴代の法務大臣ではなかったのか。こういうやつらによっていまも政治は形成されている。言うべき言葉もない。(Blog「みずき」2014.03.29)

・日本のメディアに報道だけを見ていると、プーチンのロシアは国際的に孤立に追い込まれているような印象を受けることになるのですが、国際的に言えば、必ずしもそうとは言い切れないと思います。国連総会が3月27日にロシア非難決議を多数決で採択したことは事実ですが、賛成100に対して反対11+棄権58の合計69ということは、ロシアが国際的に孤立していることを表す数字とはとても解釈できません(引用者注:「加盟193カ国、賛成100、反対11、棄権58、欠席24」(ブルームバーグ)すなわち、 反対11+棄権58+欠席24の合計93という結果報告を 
紹介しておいた方がよりシビアに実情が伝わるものと思います)。(浅井基文「プーチンは大国主義・拡張主義の権化 だろうか? -その2-」2014.03.29)

・4月から消費税8%。家計負担は年6万円増。国の税収増は8兆1千億円。だが社会保障の充実に使われるのは、たった1割の5千億円。残りの9割は、すでに一般財源で施行している既存の制度を、消費税を財源に置き換えるために使われる。まず「基礎年金の国庫負担分2分の1」の費用を恒久的に捻出する安定財源として2兆9500億円、高齢化による社会保障費の自然増や赤字国債の解消として1兆4500億円、これらを消費税で賄うためなのだ。<すべて社会保障に>と、いかにも充実させるかのような、政府広報のペテンには呆れる。しかも税金12億6千万円も使って宣伝するとは何事だ。充実どころか、さらなる医療・介護制度の改悪をもくろむ。70~75歳の患者負担を1割から2割へ、入院給食の全額自己負担化、介護保険の利用者負担1割から2割へ、目白押しだ。「看護師1人に患者7人」の体制を、「看護師1人に患者13人」へ切り替える病床再編まで企てる。患者を病床から追い出し、在宅でのケアを押しつける、安上がりな医療をめざす計画だ。やらず、ぶったくり。踏んだり蹴ったりだ。もう我慢がならぬ。(Daily JCJ【今週の風考 
計】2014/3/30)

・春本番の3月の言葉から。 (略) 東京生まれのシカゴ大名誉教授ノーマ・フィールドさんが日本の平和離れを憂える。「戦後と地続きではなくなったというか、敗戦直後に日本人が真剣に議論したことがゼロになりつつあるように思います」。引用者注:以下、該当箇所。朝日新聞 2014年3月1日付けから:知人によると、日本のある小学校での講演 
で『平和』という言葉を使わないように言われたそうです。プロレタリア文学を研究していると戦前の伏せ字を扱いますが、戦前、戦中に平和は『××』とされたことが多かった。いまや、戦後と地続きではなくなったというか、敗戦直後に日本人が真剣に議論したことがゼロになりつつあるように思います。(略)マイケル・ムーア監督の 映画『シッコ』で、 トニー・ベンとい 
う英国労働党の政治家がこう語っています。人が押しつぶされそうになっている状態というのは、支配層にとって、とても都合がいい、と。『戦争ができる国』にしようとしている政治家を若い世代が支持するのは、まさに生活と生命の乖離だと思います。(朝日新聞「天声人語」 2014年3月31日)

・咲いた、咲いた、桜が咲いた。静岡地検は袴田巌さんの 再審開始をみとめた静岡地裁の決定を不服として東京高裁に 即時抗告した。 だれの目にも明らかなえん罪なのに。いま戦前? 
yes、戦前ないし戦中だ。もう敗戦後ではないのだそうだ。サクラサク。内務省は1947年末に廃止されたはずであるにもかかわらず、そのエトスはまったく途絶えず、「闇の内務省」が復活しつつある。キサマトオレトハドウキノサクラ……。(略)日本の軍事主義化と翼賛議会実現をめざして1930年に結成された超国家主義的な秘密結社。その名は「桜会」。 そんなもの、 もう なくなった 
?ほう、ほう、そうですかねえ。あんたの目に見えないだけでじゃないですか。 咲いた、咲いた。桜が咲いた。桜は馬肉の俗称にして、 露店などで、客の買い気をそそるため、客のふりをす 
るまっかなニセ者のこと。反原発のサクラ。護憲のサクラ。民主主義のサクラ。良心的ジャーナリズムのサクラ。サクラ(馬肉)詩人。同評論家。サクラ諮問委員会。サクラ協議会。ニッポンゼンコク、ツツウラウラ、サクラだらけ。世界恐慌の時代につかわれた国語 読本の 愛称も「サクラ読本」(『小学国語読本』)。冒頭は「サイタ サイ 
タ サクラ ガ サイタ」。(辺見庸「日録11」2014/04/01)

・ウクライナ・ロシア問題や朝鮮半島が緊迫する中で、国際社会での日本の孤立は、深刻です。(略)もともと世界のメディアでは、日本関係の記事が少なくなり、アジア支局も東京から北京・上海・香港などに移されて久しいのですが、そこでクオリティ・ペーパーに登場する見出しが「安倍氏の危険な歴史修正主義」(NYタイムズ)、「厄介な方向を向き始めた安倍の国家主義」(FTタイムズ)、「日本の挑発的行動」(ワシントン・ポスト)、「日本外交が孤立する危険」(ル・モンド)等々ですから、 世界の注目点は明瞭です。(略)特に、 
人権保障は、深刻です。(略)ようやく再審・釈放が認められ「証拠ねつ造の疑い」まで判定された袴田事件に、静岡地検は即時抗告して警察・検察の面子と権限を守ろうとし、飯塚事件の再審請求は、福岡地裁で却下されました。(略)「人間の尊厳」がうとんじられ、軽視される国に、未来はありません。(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2014.4.1)

・実存はしないが、知る人ぞ知る博士論文がある。「蛙の眼球(めだま)の電動作用に対する紫外光線の影響」という。にやりとした方は漱石ファンだろう。小説「吾輩は猫である」に出てくる寒月君の取り組む論文だ。そのモデルが物理学者の寺田寅彦なのは、よく知られている。味わいの深い多くの言葉を、寅彦は残した。「科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである」。(略)理化学研究所はきのう、研究に不正行為、それも捏造があったと調査報告を公表した。懲戒委をつくって、処分を検討するそうだ。ただ、核心はなお藪の中にある。(略)重要な謎を残しつつ、理研側に、この騒動を、はた迷惑な独り芝居として葬りたい思いが透けていないか。(略)寅彦こと寒月君に戻れば、論文はいつ出来ると聞かれて「まあ十年か、事によると二十年」と呑気に答える。そんな時代は遠く、科学者はいま、魂が追いつかぬ疾走を続けているようにも思う。顧みる必要はないか。(「天声人語」2014年4月2日)

・とりかえしのつかない事態になっている。だが、そのことが正直わたしとどうかかわるのかについて、うまく言うことができない。口にしたり書いたりしたとたんに、口にし、書こうとしたことや風景が、さっと遠のいてゆき、口にし書くことそれじしんが、とても愚かしくおもえてくる。そのくりかえしにだんだん疲れてくる。いまの政権のこと、世の中のことを、具体的にあげつらえばあげつらうほど、口中が爛れてくる。それではいけないと、無理をして、口にするのも汚らわしい人名や行為をいちいちあげて非難すればするほど、かえって見えない全景の術中にじぶんがはまっている気がしてくる。言えば言うほどばかになる……とかんじさせられる。うまくできているのだ。(略)脇見をする。対岸を歩いていく男の影が、ときおり樹間に見えて気になる。あれはだれか。わたしとおなじ方向に、わたしのように、足をひきずってあるいていく老人。夢のなかのように。かれはだれか。(辺見庸「日録11」2014年4月2日)

・【何でも閣議決定で1】ただの閣議決定ひとつで、戦後の平和主義の象徴であった武器輸出3原則を見直した。「武器輸出三原則は時代にそぐわないものとなっていた」と明記し、名称を「防衛装備移転三原則」に変更した。何でも閣議で決め、歯止めナシ。【何でも閣議決定で2】原発を「重要なベースロード電源」とし、核燃料サイクル政策を維持するエネルギー基本計画を来週にも閣議決定する。原発事故の収拾もできない政権が、前政権の参加型世論調査やパブコメも、原発再稼働反対の世論も無視する。【何でも閣議決定で3】つぎに来るのは、集団的自衛権の解釈改憲の閣議決定です。政府は、安保法制懇による報告書を5月上旬に先送りするが、安倍首相の私的懇談会をもとに閣議決定で憲法解釈を変える異常さ。これがナチスの手口か?国民主権はどこへ?(金子勝 Afternoon Cafe 2014/04/03)

・すでにし終えたことを、いま現在になぞるのは、想念がたえず流れている以上、どうもぐあいがよくない。過去を現在にもちこすのは苦手だ。が、しかたがない。かつて発せられたじぶんの貧相な言葉と、いらだちながら、向きあうほかない。一方でわたしは小説「カラスアゲハ」になにを、なぜ、どのように書いたかを、もう忘れかけている。「文學界」がでるころには、自作をまるで〈他者の仕業〉のように、遠いもののようにおもいなすだろう。じぶんという過去は1回いっかい他者のように死んでいく。他人事のように潰えていく。なのに、いくら老いても、仮死―脱皮―羽化―仮死……をくりかえしている。このくりかえしが、そう遠くない先に、まちがいなくとぎれるのをつよく予感している。そのとき、他者は〈わたし〉じしんになるのだろう。(辺見庸「日録12」2014/04/03)

・本来は、という限定は、起源回帰論的な含意 ではなく、 むしろ反対に、少なくとも高等生物の行動 において、(最低限、文明化された人間の個体において)この個体という 
上位のシステムの 創発的な自律化が、みずからの創造主たる遺伝子のテレオノミーに反逆し、個体の自己目的性を獲得することがありうるという事実に論議を開くためである。エゴイズムはむしろ高等な能力である。産卵死する宿命を拒否し、大海にひとり悠然と遊ぶ紅鮭はいるか。<真木悠介『自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学』 (岩波 現代文庫 
2008)>引用者注:真木悠介の説を聴いて、私はなんとはなしに漱石の講演「私の個人主義」を想い出しました。(Don't Let Me Down 2014-04-04)

・牽強付会とはこういうことをいうのだろう。(略)判決は、9条が固有の自衛権を否定したものではないとしたうえで、こう述べる。「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」これをとらえ、自民党の高村正彦副総裁は「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている。内閣法制局が『集団的自衛権は使えない』というのはだいぶ飛躍がある」と語る。(略)砂川判決が集団的自衛権を認めているならば、その後に確立されていった内閣の憲法解釈にも反映されて当然なのに、そうはなっていない。学説としてまともに取り上げられていない解釈を、あたかも最高裁の権威に裏付けられたかのように振りかざすのは、誤った判断材料を国民に与えることになりかねない。「立憲主義に反する」と批判される自民党にしてみれば、最高裁判決を錦の御旗にしたいのだろう。だが、こんなこじつけに説得力があるはずもない。(「集団的自衛権―砂川判決のご都合解釈」朝日新聞 2014年4月6日)

・東京電力福島第一原発事故後の健康被害対策などをめぐり、国連人権理事会の特別報告者アナンド・グローバー氏が日本政府に対する勧告を出してからまもなく1年がたつ。政府は反論やサボタージュを続ける一方、世界に向けては「実施済み」などと誤った情報を発信し続けている。(略)政府は勧告直後、人権理事会に政府見解を提出している。英語の原文と和訳が外務省のホームページに紹介されているが、和訳の方を見ると、健康調査で高い回答率を確保することや避難計画の周知は「実施済み」と書かれている。事実と違うのではないか。防災を担当する原子力規制庁に尋ねると、「今は国会対応が忙しく、すぐに回答できない」と突っぱねた。環境省は「『実施済み』は『着手した』 『取り組んでいる』という意 
味だ」と答えた。いかにも「霞が関文学」のにおいがする。(略)「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」共同代表の河崎健一郎弁護士はこう警告する。「(略)正しい情報を伝えないというのは非常に悪質。こんな状態を放置すればかえって日本の信用は失墜する」(東京新聞「こちら特報部:ニュースの追跡」2014年4月6日)


東本高志@大分
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