[CML 030651] <テント日誌4月3日(木) 経産省前テントひろば936日目、商業用原発停止200日目>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2014年 4月 5日 (土) 10:08:31 JST


(転送します)

テント日誌 4月3日(木)

経産省前テントひろば936日目 商業用原発停止200日

【テント外伝…6】……山村貴輝
「虚礼廃止」を行うぞ

今日は朝から近くの総合病院で定期健診に行く。糖尿病と前立腺炎症であるが、この前立腺炎症が糖尿病と合併症の可能性がある。服用する薬を山ほど購入して先ほど帰宅した。

糖尿病にせよ前立腺炎症にせよ服用している薬が効いているのか、様々な検査の結果数値的には特に問題はない。が、やはり問題はあって、とにかく「体重を落とす」ことだと主治医から言われた。そのような問題は分っているのだが、なかなか体重を落とすことはできない。

運動などを試みたが長続きしない。その原因は様々であるが基本的に私は「健康バカ」になりきれないのだ。長生きをしようとか、健康のために何か目的を持って頑張ろうとか、こういう気持ちが湧かない。要は独り暮らしでストレス満載の生活をしていると、どこか投げやりになってしまうのだ。

それと、問題は医療費である。今日は約16,000円の出費である。これは痛い。2か月に1回とは言え、この医療費では生活を直撃する。したがって以前から少しずつ行っているのだが、この際極めて親しい人以外に冠婚葬祭は控えることにした。その結果人間関係が狭くなっても構わない。俗に虚礼廃止と言うが、それは分ってもなかなかその実行に踏み切れなかった。その理由は、人間的な付き合いとは、あるいは共同体的紐帯とは、所謂儀礼とか儀式とかで構成されている。その、人間的な付き合いを維持することを、社会の様相として容認してきたのだ。

だがしかしその、本来の儀礼とか儀式が今日的には「商業主義=資本主義」の商品的価値が大きく付与されている。冠婚葬祭と言う今日における個人や近代資本主義に冒された擬制的共同体での位置づけが、本来的な儀礼とか儀式とかと言うものとは乖離しておりさらに、敢えてその問題に触れるなら、福島の原発事故で初めて本来の「共同体的紐帯」とは何か、と言う人間社会の根源的な問題に私は気づいたのだ。それは未だ模索段階であるが、この救いようがない人災と多くの犠牲を払い、その過程で流動化する擬制的共同体の崩壊と、マスコミと相乗りした押し付けがましいボランティア騒ぎが収まる現在、あるいは統治形態としての行政の機能が不全状態になっている中で、この極めて皮相な現実と向き合うことで初めて本来の人間的共同体の在り方の視座を形成するということでもあるのだ。 


4月23日(水)テント裁判第6回口頭弁論(14時〜15時)13時東京地裁前結集を。16時〜報告集会(参院会館講堂・村山智・人見やよい・河合弘之他) 



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