[CML 030632] 清書版:山くじらとクジラについての雑感 ―ー前田朗氏の「国際司法裁判所の捕鯨中止命令に思う」の弁に共感する

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 4月 3日 (木) 23:00:25 JST


今日の朝日新聞の「天声人語」は次のような「クジラ讃歌」でした。

「雪のしんしんと降る街景色の中に、大きく「山くじら」と書いた看板がある。歌川広重が描いた名所江戸百景の「びくにはし雪中」は、この看板の文字がまず目に飛びこむ。ついでに疑問もわく。「山くじら」とは一体何だろう。/山に鯨がいるはずもなく、猪(いのしし)などの肉をそう呼んだ。獣肉食がタブー視された時代の隠語である。忌みつつも滋味が豊かなことはよく知られ、とりわけ寒中に「薬食(くすりぐ)い」と称して食べていた。本物の鯨が美味で、滋養に富んでいればこその異称であったろう。/時は流れて、南極海での日本の調査捕鯨に、国際司法裁判所が中止を命じた。思っていた以上に世界の目は厳しい。上訴はできず、報じる記事には「完敗」と太字の見出しがつけられた。/提訴したのは、反捕鯨国のオーストラリアである。〈来世ではクジラがいいとカンガルー〉と、きのうの川柳欄にあった。かの国ではカンガルーを食する。鯨をめぐる論争はしばしば文化の衝突の様相を見せ、摩擦の黒煙を上げてきた。/つまるところ、人間は動物への「残酷」なしには生きられない。そして往々に、自分たちの残酷は是とし、他者のそれは野蛮と見る。調査捕鯨は見直すとしても、古く「勇魚(いさな)取り」と呼ばれた沿岸捕鯨による地域の文化は守りたいものだ。/〈をのをのの喰過(くいすぎ)がほや鯨汁〉。江戸期の俳人高井几董(きとう)が満腹顔を詠んだのは「山くじら」ではなく、本物の鯨のこと。鯨汁は冬の季語である。「食」の灯は外に言われて消すものではない。
http://www.asahi.com/paper/column.html

「人間は動物への『残酷』なしには生きられない。」「古く『勇魚(いさな)取り』と呼ばれた沿岸捕鯨による地域の文化は守りたいものだ。」「『食』の灯は外に言われて消すものではない。」

まったくそのとおりだと私も思います。

この国際司法裁判所の「捕鯨中止命令」について前田朗さん(東京造形大学教授)が次のような感想を述べています。

「3月31日、国際司法裁判所(ICJ)が、日本による調査捕鯨には科学的目的が認められないとして、南極海における捕鯨を中止する命令を下した。日本の調査捕鯨は国際法違反としてオーストラリアが訴えて、日本がこれに応訴した訴訟だ。

クジラ大好き人間の私としては大変残念だ。せせり・さえずり、さらしクジラ、百尋、刺身ステーキ、本皮、鹿の子、ベーコン、コロ・・・。食べられなくなってしまう。尾の身の刺身はとうの昔になかなか食べられなくなった。ICJに行ったのが間違いだ。100%負けるとわかっていたのだから。

元グリーンピース・ジャパン事務局長の星川淳さんの本『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』を読んで、捕鯨反対の理屈に全面反論できなかったのを覚えている。現在の国際法と、環境保護思想と、日本の捕鯨の実態を前提とすると、残念ながら「くじら、おいしいのに」という反論しか残らなかった。

と思っていたら、朝日新聞4月1日2面に驚愕の見出しを発見。

「日本捕鯨まさかの完敗」。
                                                                                                                         何、これ?という感じだ。出るところに出れば100%負けると決まってい 
たのに、「まさかの完敗」などと書いている。これは外務官僚の感想だと言う。朝日によると、「日本政府内では、日本に有利な判決が出るとの見方が強かった」、「首相周辺は『売るほどは捕るな、と言いつつ、調査捕鯨自体は認める形に落ち着くのではないか』と楽観的な見通しをかたっていた。ある外務省関係者は『日本が勝ちすぎると、欧米などの反捕鯨感情を刺激するのではないか』と余裕を示していたほどだ。」という。
                                                                                                                                                 開いた口がふさがらない。首相周辺と外務官僚は 
底抜けのおバカさん。何もわかっていない。私のような素人でもわかることだ。第1に、捕鯨をめぐる国際世論・国際感情が国際捕鯨取締条約制定時よりも厳しくなっている。捕鯨だけではなく、他の環境保護、自然保護とつながって、現代思想の一翼にさえなっている。第2に、科学目的の調査捕鯨と称して大量に殺害し、その大半を海に捨ててきたことが発覚している。証拠写真までそろえられている。一方で、おいしい部分だけ日本に持ち帰り、闇で横流しして市場に出してきた。こんなことが発覚していては勝てるはずがない。第3に、2008年のグリーンピース事件だ。闇の横流し不正を告発するために現場を押さえて公表したグリーンピースメンバーを、なんと処罰してしまった(2011年最高裁で確定)。不正を告発した人間を捕まえて犯罪者に仕立てて処罰し、不正を隠蔽したのだ。日本政府が意図的に不正の「共犯者」になった。この件は国内でも大きく報道されたが、国際社会でも知られている。ICJの審理に直接取り上げられてはいないかもしれないが、背景事情としては極め付きに大きい。完全にアウトだ。この件によって、日本の捕鯨の実態が世界に知られてしまったからだ。こんな状況でICJに行くこと自体間違っている。応訴せずに、ひたすら逃げ回るべきだった。その間に、調査捕鯨の枠を徐々に狭めて、なんとか国際世論の容認する範囲にとどめて行けば、なんとかなったかもしれない。
                                                                                                                                               何一つ根拠もなしに「勝てる」などと妄想を膨らま 
せ、国際法も国際情勢も読めない無能な外務官僚のせいで、クジラが食べられなくなる。情けない。(「国際司法裁判所の捕鯨中止命令に思う」 March 31, 2014)
http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/03/blog-post_31.html

上記の前田さんの論に共感したので前田さんに返信を書きました。
http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-April/030646.html

まったく同じ思いです。「情けない」。

しかし、「鯨食」の是非の勝ち負けは要するにクジラが好きか、そう好きでもないかにかかっているような気もします。

私の小さい頃は近所にスーパーでもコンビニでもない正真正銘の市場があって、市場の中には八百屋さん、魚屋さん、乾物店などなどがそれぞれ四畳半程度の狭い店を出して独立して商いをしていました。その中にベーコン(鯨)屋さんがありました。私はこの店の小さな常連客で(親のお使い)いつもまけてもらっていました(余分目にベーコンをくれる)。私がこれが大好物でした。私のクジラ好きはそういうところからきていますが、おそらく幼い思い出とかさなっているのでしょうね。

ところが、北海道在住の猪野亨弁護士はこんなことを言っています。
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1030.html

「2014年3月31日、国際司法裁判所が日本に対し、日本が現在行っている南極海での調査捕鯨の中止の判決を下しました。日本はこの判決に従うということですが、妥当というべきでしょう。どうみても流通、食のための捕鯨であって、「調査」はこじつけ以外何者でもありません。」

納得できませんね。なにゆえに猪野弁護士はこんな私にとって理不尽としか思えない感想を述べているのか?

ブログ記事を読んでいくと猪野弁護士は次のようなことも言っています。

「思えば小学生の頃、鯨の肉が給食に出ていた頃が懐かしく思い出されます。おいしかったかと言われれば、あまりはっきりとした記憶はありませんが、ボソボソしていた食感であり、味付けがされていましたから、鯨の肉そのものの味は私はわかりませんし、特別、おいしかったという記憶はありません。」

要するに猪野弁護士はクジラがそう好きではないからひとごとのように「妥当というべきでしょう」などとのたまうのでしょう。

「せせり・さえずり、さらしクジラ、百尋、刺身ステーキ、本皮、鹿の子、ベーコン、コロ、尾の身の刺身・・・」

たまりませんね。クジラ好きには決して猪野弁護士のような言は吐けない。

思うに猪野弁護士には日本の調査捕鯨について若干の誤解もあるのではないか?

以下、多少の資料を添付しておきます。

日本捕鯨協会Q&A
http://www.whaling.jp/qa.html

Q. クジラは絶滅に瀕しているのでは。世界中にどのくらいいるのでしょう?
http://www.whaling.jp/qa.html#03_02
A. クジラの資源量はそれぞれの種類によって異なります。生息環境の悪化で個体数が減少しているカワイルカなど、少数の種類を除けば、本当に絶滅に瀕しているクジラはいません。かつて資源管理が行われないまま乱獲の対象となった大型のシロナガスクジラ、セミクジラなどの資源量は極めて低い水準にまで落ち込みましたが、現在では完全に保護されており、絶滅の危機にはありません。また、ミンククジラやニタリクジラ、マッコウクジラのように、資源状態のよいクジラもいます。国際捕鯨委員会(IWC)科学委員会が推定した鯨類の資源量は次のとおりです。

Q. 捕獲が必要だとしても、必要以上の数の鯨を捕っているのではないですか?
http://www.whaling.jp/qa.html#05_03
A. 採集標本は意味のある結果を得るための最低限の頭数です。捕獲する鯨の頭数は、統計学的に意味のある調査結果を得るための最低限の水準に設定されています。ところで1年間の捕獲頭数は、1987/88年の調査開始当初は300頭と計画されていました。1995/96年からは400頭(±10%)、第2期調査 2005/06年から現在まではミンク:850頭(±10%)、ザトウ:50
頭、ナガス:50頭(ただし、2年間は予備調査にとどめ、ナガス10頭、ザトウは0頭)で調査が行われています。当初は商業捕鯨時代からの系群仮説が前提とされましたが、調査進展に伴い調査結果がその仮説と合致しないことが明らかになりました。そこでこの系群構造の問題を解明するために、調査海域を東西にそれぞれ拡大し、拡大された海域からそれぞれ毎年100頭(±10%)を捕獲する必要性が生じたのです。ちなみにこの現在の捕獲頭数は、南極海に生育するクロミンク鯨の0.1%に過ぎず、この値は純加入率よりも小さいので、資源に悪影響を与えることはありません。

参考:日本の調査捕鯨における捕獲頭数と資源量との比較
http://www.whaling.jp/shigen.html

Q. 日本の捕獲調査については、擬似商業捕鯨という指摘がありますが・・・。
http://www.whaling.jp/qa.html#04_03
A. 日本の捕獲調査は、(財)日本鯨類研究所が日本政府からの特別許可を受けて、1987年から実施しています。科学調査とその目的のためのクジラの捕獲は、国際捕鯨取締条約第8条の規定により、各国政府の固有の権利として認められています。

  日本の鯨類捕獲調査が開始されたきっかけは、1982年にモラトリアムが採択された時にさかのぼります。当時、モラトリアム導入に際し反捕鯨国側が最大の根拠とした理由が、「現在使われている科学的データには不確実性がある」ということでした。つまり、クジラの生息数、年齢や性別構成、自然死亡率などについての知見があいまいであり、そのために安全な資源管理ができないと主張したのです。このような疑問に直接応対するために、日本の捕獲調査は始められました。今日ではIWC科学委員会の多くのメンバーは、日本の捕獲調査の結果を高く評価しています。

  しかし、IWC本会議では、調査はクジラを殺さない方法に限るべきであるとして、捕獲調査の自粛決議を繰り返しています(2004年のIWCでの自粛決議は撤回されました)。また、「捕獲調査は商業捕鯨の隠れみの」という人がいますが、これは調査捕鯨の実態を知らない人の無責任な指摘です。クジラの調査は、専門の学者があらかじめ作成した調査計画に基づいて船を運航させて、若干の捕獲を行い、耳垢栓や卵巣などの標本を採取します。調査した後の鯨体は、完全に利用することが条約で定められていますので、捕獲調査の副産物として持ち帰り、市場に出しています。これらの副産物の販売で得られた代金は、調査経費の一部に充当されています。


東本高志@大分
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http://mizukith.blog91.fc2.com/ 



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