[CML 030612] 「普通に戦争ができる国」ニッポンへと突入する「武器輸出三原則」の撤廃と「防衛装備移転三原則」なる武器輸出新三原則の制定に強く反対する

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 4月 3日 (木) 00:09:44 JST


私は、基本的には、重要性のわりには世間の(といっても、「革新」界隈の)片隅にうずくまっていてあまり注目されていない論点、注目はされているけれどもその本質がを見誤られているのではないかと思われる論点にできるだけ特化して記事を書くことを心がけています。誰しもが書くような記事を書いてもしかたがないだろうと思っているからです。しかし、ときには誰しも(この場合も「革新」界隈の)が注目し、誰しもが怒りに煮えたぎっているような記事も書きます。というよりも、私自身が怒りに煮えたぎっているわけですから書かずにおれないのです。以下は、そういう記事です。

さて、「『普通に戦争ができる国』ニッポンへと突入する『武器輸出三原則』の撤廃と『防衛装備移転三原則』なる武器輸出新三原則の制定」とはどのような事態か。まず昨日の4月1日付けの東京新聞の報道記事からです。

■武器輸出新三原則を閣議決定 平和主義理念どこへ(東京新聞 2014年4月1日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014040102000229.html

政府は一日の閣議で、武器や関連技術の海外提供を原則禁止してきた武器輸出三原則を四十七年ぶりに全面的に見直し、輸出容認に転じる新たな三原則を決定した。これまで武器の輸出は例外として認めてきたが、今後は一定の審査を通れば輸出が可能となる。武器輸出の拡大につながる抜本的な政策転換で、憲法の平和主義の理念は、ないがしろにされる。

新原則は名称を「防衛装備移転三原則」に変更し、前文で「武器輸出三原則は、わが国が平和国家としての道を歩む中で一定の役割を果たしてきたが、時代にそぐわないものとなっていた」と明記した。

その上で、新たな三原則を(1)国連安全保障理事会の決議に違反する国や、紛争当事国には輸出しない(2)輸出を認める場合を限定し、厳格審査する(3)輸出は目的外使用や第三国移転について適正管理が確保される場合に限る-と定めた。これまでの三原則で禁輸先としていた「共産圏」や紛争の「恐れのある国」は消えた。防衛省によると、国連安保理決議に基づき、禁輸対象となる国は北朝鮮やイラン、イラクなど計十二カ国あるが、紛争当事国に該当する国は現時点ではない。

輸出を認める審査基準は「平和貢献、国際協力の積極的な推進や、わが国の安全保障に資する場合に認める」などと規定。重要な案件は日本版「国家安全保障会議(NSC)」が最終判断する。何が「安全保障に資する」のかは曖昧で、政権側の裁量に委ねられる。

輸出先から他国への再輸出や目的外の使用は、日本の事前同意を義務付けるものの、国際共同開発などの場合は事前同意を必要としない例外も設ける。

このような事態になることは予想されていたことでした。2013年3月4日付けの「天声人語」(朝日新聞)は次のように書いていました。

中国の古典は「アリの穴から堤も崩れる」と教える。英語では「小さな水漏れ穴が巨船を沈める」と説くらしい。金科玉条に見えた原則も同じく、一つの例外から滅ぶ。/戦闘機のF35が武器輸出三原則の例外となった。敵レーダーが捉えにくい新鋭機は、日本企業を含む国際分業で生産され、第三国への移転は米国に任される。周辺国と緊張関係にあるイスラエルに日本製部品が渡り、戦争を支えることもあろう。/三原則を緩め、安保で近しい国との共同開発を認めたのは野田内閣だ。安倍内閣は、国際紛争を助長しないという輸出の前提を取り払った。民主と自民の骨抜きリレーに、防衛産業は喜びを隠さない。/安倍首相は憲法を変えて、自衛隊を国防軍にするという。次は集団的自衛権、ついでに非核三原則もという勢いだ。誇るべき平和国家のブランドが色あせていく。このまま「普通に戦争ができる国」まで落ちてしまうのか。/なるほど、大戦の反省から生まれた憲法は普通ではない。だが先進的な理想主義は、世界が追いつくべき「良き例外」である。「米国に押しつけられた」憲法とそれに基づく国是を、「米国と共に責任を果たすため」に改める……一人二役の米国も忙しい。/国際常識が通じない中国が台頭し、核は拡散、テロも絶えない。だからといって、日本までが兵器の競争に手を染めることはない。現実に合わせて理想を傷めては、人類の進歩はおぼつかない。がんこ一徹の平和国家が、一つぐらいあってもいい。(天声人語 2013/3/4)
http://twishort.com/wuXcc

「天声人語」が上記で言う「戦闘機のF35が武器輸出三原則の例外となった」というのは以下のような事態を指しています。

■F35部品輸出を容認 武器輸出三原則の例外に 官房長官談話(日本経済新聞2013/3/1) 


http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS01009_R00C13A3MM0000/

菅義偉官房長官は1日午前の記者会見で、航空自衛隊の次期主力戦闘機F35について、紛争当事国への移転を禁じた武器輸出三原則の例外扱いとし、日本企業の部品製造への参画を容認する官房長官談話を発表した。米国を中心に最先端の技術を結集するF35の製造への参画は「わが国の防衛生産および技術基盤の維持・育成・高度化に資する」とし、国内企業を育成する意義を強調した。

武器輸出三原則は2011年に野田政権が一部緩和した。国際共同開発への参加と人道目的の装備品供与を例外とする一方、国際紛争の助長回避の原則は維持している。今回の談話も「日本の平和国家としての基本理念は堅持する」と明記。部品製造への参画については「日米安全保障体制の効果的運用にも寄与する」とした。

F35はロッキード・マーチン社製で、米英など9カ国が共同開発する最新鋭ステルス機。日本は開発に加わっていないが、主翼などの部品製造に参加する方針。部品は米政府の一元管理の下、共同開発国同士で融通し合う仕組みになっている。談話はこうした仕組みを説明し「移転を厳しく制限する」とした。

ただ、周辺国と緊張関係にあるイスラエルがF35の導入を計画しており、日本製部品を使った機体が移転すれば、国際紛争の助長を禁じる三原則が名ばかりになるとの懸念は残る。

この自民党安倍内閣の傍若無人の「武器輸出三原則」の撤廃の問題点に関する指摘については本日付けの「しんぶん赤旗」に掲載されている共産党の山下書記局長の談話に尽きているでしょう。引用します。

「戦争する国」づくりと不可分 新「武器輸出原則」 山下書記局長が談話(しんぶん赤旗 2014年4月2日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-02/2014040201_04_1.html

日本共産党の山下芳生書記局長が1日、新「武器輸出原則」について発表した談話は次の通りです。

一、安倍政権は1日、「武器輸出三原則」を撤廃し、武器や関連技術の輸出を包括的に解禁する「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。政府は、これまで武器輸出原則の見直しを要求してきた米国や財界の意向にそって、「ミサイル防衛」の日米共同開発や第三国への輸出容認など、「例外」規定を積み重ねて「武器輸出三原則」の空洞化・形骸化を進めてきたが、今回の措置は、半世紀近くにわたって国是とされてきた原則を放棄する大転換であり、絶対に許すことができない。

一、「武器輸出三原則」は、政府自身が「憲法の平和主義の精神にのっとったもの」とくりかえし答弁してきたもので、81年衆参両院の国会決議で「日本国憲法の平和理念である平和国家としての立場」とし、国是としてきたものである。今回の新原則は、「平和国家としての基本理念及びこれまでの平和国家としての歩みを引き続き堅持」などとのべているが、武器輸出を禁止してきた原則を撤廃する決定が、憲法の平和原則とその精神を完全に踏みにじることは明らかである。

一、新原則は、「紛争当事国や国連決議に違反する場合は輸出を認めない」としているが、従来の原則で禁輸対象とされた国際紛争の「恐れのある国」が削除され、昨年、例外扱いされたF35戦闘機の国際共同生産で問題となったイスラエルなどへの輸出制限もされなくなる。さらに外国政府以外に国際機関も輸出対象に加えるほか、運用指針で海外での米軍機修理等の役務も提供するなど、国際紛争の助長につながる危険性が限りなく増大することになる。

一、「武器輸出三原則」の撤廃と武器輸出を拡大する新原則は、戦後、日本が武器を輸出してこなかったことで果たしてきた積極的な役割や国際的信頼を自ら傷つけ、掘り崩すことになる。今回の決定は、集団的自衛権行使など、安倍政権が推し進める「海外で戦争する国」づくりと不可分であり、厳しく批判しなければならない。

日本共産党は、憲法9条にもとづく日本の世界に誇るべき立場と役割を投げ捨てることになる今回の方針を厳しく糾弾し、撤回を求めるとともに、安倍政権の「海外で戦争する国づくり」にたいして国民とともにたたかう決意を表明する。

また、安倍政権は、この「武器輸出三原則」の撤廃と並行して、これまで歴代内閣が違憲と解釈してきた集団的自衛権の行使を閣議決定という手段で容認しようと画策しています。その第1弾として一昨日の3月31日に総裁直属機関として「安全保障法制整備推進本部」(本部長・石破茂幹事長)なるものを立ち上げ、その初会合の講師を務めた高村正彦副総裁は、「国の存立のための必要最小限度の自衛権を認めた昭和34年の『砂川事件』の最高裁判決」を集団的自衛権を容認しているものと牽強付会に解釈する独自の集団的自衛権合憲論をぶち上げました。

■集団的自衛権で自民が議論スタートも行使容認派は5ポイント減(産経新聞
2014.4.1)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140401/stt14040114380004-n1.htm

自民党は31日、総裁直属機関「安全保障法制整備推進本部」(本部長・石破茂幹事長)の初会合を開き、安倍晋三首相(党総裁)が意欲を示す集団的自衛権の行使容認に向けた意見集約をスタートさせた。産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では、行使容認への賛成が42・4%と反対の41・5%を上回ったが、前月比で5・3ポイント下落した。遅々として進まない政権与党の議論に、国民の熱意が冷めつつあるともいえる。(水内茂幸)

「国の存立を全うするために必要最小限のことであったとしても、『集団的自衛権』と名前がついてはダメだというのか」

初会合で講師を務めた高村正彦副総裁は党内の慎重派をいきなり牽制(けんせい)してみせた。

高村氏は、陸海空軍の不保持をうたった憲法9条がありながら自衛隊を認めた例を引き合いに「当時はコペルニクス的な大解釈改憲を行っており、それに比べれば100分の1、1000分の1程度の解釈改憲だ」と訴え、首相が目指す憲法解釈の変更に理解を求めた。

高村氏がこう語るのも、解釈変更に対する理解が党内で思うように進んでいないことが大きい。だが、それ以上に深刻なのは、党をまとめる執行部内でもこの問題で必ずしも足並みがそろっていないことだ。

たとえば、党が選挙公約に掲げた行使容認の理念を盛り込んだ「国家安全保障基本法案」の扱い。首相は自衛隊法など個別法の改正から着手し、基本法案は後回しにしたい考えだが、策定に携わった石破氏ら党内の「国防族」は反発している。

高村氏は推進本部の会合で「法案を作った石破氏はやりたいだろうが、いっぺんに(法案を)出しても国民の説得が難しい」とあえて石破氏にクギを刺し、首相への配慮を求めた。

会合には党所属国会議員156人が出席したが、質問に立ったのはわずか9人。集団的自衛権の行使を限定的に認める高村氏に真っ向から反論する議員はいなかった。

ただ会合後、記者団に「高村氏が行使容認の根拠としている『砂川事件』の最高裁判決は地動説(不変の真理)でない」(金子一義元国土交通相)と不満を漏らす議員もおり、「序盤戦」の段階では、鳴りを潜めているだけとの見方は強い。派閥単位での勉強会も活発化している。

「派閥中心の古い自民党に返りそうになると、党本部にしっかりしろといってくれるのが神奈川県連だ」

31日、党の神奈川県連大会に出席した県連所属の菅義偉(すが・よしひで)官房長官は自らを奮い立たせるようにこう語ったが、党が足並みをそろえて進んでいけるかは今の時点ではみえない。

■高村氏、集団的自衛権「悠長なこと言っていられない」 公明の慎重論に(産経新聞 

2014.4.2 11:31)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140402/stt14040211320001-n1.htm

自民党の高村正彦副総裁は2日、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更について、公明党の山口那津男代表が「慎重な検討が必要だ」と指摘したことに関し「安全保障の問題で『想定外』は許されず、あまり悠長にやっていいという話でない」と述べ、政府や自民党内の意見集約を急ぐ考えを示した。党本部で記者団に語った。

高村氏はまた、国の存立のための必要最小限度の自衛権を認めた昭和34年の「砂川事件」の最高裁判決について、山口氏が「集団的自衛権を視野に入れていないのでないか」と指摘したことに関して「国連憲章で個別的、あるいは集団的自衛権が認められる中、まったく視野に入っていなかったことは考えられない」と反論した。

上記で産経新聞が取り上げている高村氏の公明党の山口那津男代表の見解に対する反論は次のようなもののようです。

■高村正彦 最近の発言 平成26年4月2日
http://www.koumura.net/message/index-hatugenshu.html

  集団的自衛権の議論で、公明党の山口代表が、いわゆる砂川判決は集団的自衛権を視野に入れたものではないのではないかという事を言っておられるが、国連憲章の中で、個別的、あるいは、集団的自衛権が認められている中で、全く視野に入っていなかったということは考えられない。ただ、積極的に集団的自衛権を明確に意識してやったかどうかと言えば、色々な見方がありうるが、自衛権について、憲法9条2項の規定にもかかわらず、国の平和と安全を維持し、国の存立を全うするために必要な措置を取るというこの法理、法の理屈は、集団的自衛権だからといって排除されるものではない。

  後に政府見解が、集団的自衛権は行使を許されないと言っているが、これはその法理を排除したというのではなくて、現実に、集団的自衛権は必要最小限度に当たらないのではないかという事実判断に基づいて、そういう政府見解を出しているわけだ。

  私としても、この判決があるから集団的自衛権も必要最小限度に入るものがあると言っているわけではない。あるいは山口代表にしても、仮に集団的自衛権に必要最小限度に当たるものがあるとしても、この判決の法理が適用されないとまで言っているわけではないと思う。良く山口代表に聞いてみなければわからないが、私はそう思っている。

  そうだとすれば、集団的自衛権の態様の個々の事案に基づいて、これが最小限度に当たるのか当たらないのか、こういう判断が必要になってくるわけで、自由民主党の中で、集団的自衛権の個々の事案について、国の存立を全うするための必要最小限度に当たるのか当たらないのかということを意見集約して、その上で公明党の理解を得ていくという作業が必要になる。

  山口代表が言っておられる中で、個別的自衛権、あるいは、警察権の法整備も安全保障のためには必要だと言っておられるのはその通りで、そういう意見が一致することはどんどん進めればいい。集団的自衛権に関しては、今までの政府見解を変えるわけだから、慎重な検討が必要というのはその通りだが、安全保障の問題も自然災害と同じように想定外は許されないわけだから、あまり悠長にやっていい話でもない。

その高村正彦氏の牽強付会な「集団的自衛権行使限定容認論」を澤藤統一郎弁護士が理論的にバッサリと切り捨ています。長くなりましたので、この澤藤弁護士の論をご紹介して「『普通に戦争ができる国』ニッポンへと突入する『武器輸出三原則』の撤廃と『防衛装備移転三原則』なる武器輸出新三原則の制定に強く反対する」の私の弁をひとまず閉じさせていただこうと思います。

■「集団的自衛権限定行使容認論」は容認し得ない(澤藤統一郎の憲法日記  2014年4月1日)
http://article9.jp/wordpress/?p=2381

(前略)

さて、集団的自衛権行使容認の問題。

安倍政権の解釈改憲路線に自民党内の反発が強かった。その反発を吸収するために、総裁の直属機関として「安全保障法制整備推進本部」が立ち上げられ、昨日(31日)その第1回会合が開かれた。衆参156人の議員が参加したという。

この席で、高村正彦副総裁が講師を務めて、「限定的な集団的自衛権行使容認論」の線を出し、その理由づけとして「砂川事件最高裁大法廷判決(1959年)」を持ち出し、判決の論理を根拠として政府の限定的な憲法解釈変更が可能だと説明したとのこと。

この「論理」は、近々予定されている安保法制懇の答申の内容として報道されており、安倍首相も国会答弁で口にしている。おそらくは、これが着地点と予定されたところなのだろう。出席した議員からは目立った異論は出なかったという。

今後は、高村解説の「『必要最小限度の範囲』には、集団的自衛権行使の一部が入りうる」という、「集団的自衛権行使限定容認論」をめぐって議論がかわされることになる。

高村解説はいかにも苦しい説明。砂川事件最高裁判決からそこまでを読み取ることは困難だろう。同訴訟で争われたのは、旧安保条約に基づいて日本に駐留する米軍が、憲法9条2項で「保持しない」とされた戦力に当たるか否かである。原審東京地方裁判所の伊達判決はこれを肯定して違憲判断をし、跳躍上告審の最高裁はこれを逆転した。その説示部分の中心は以下のとおりである。

「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

これを素直に読めば、「9条2項の法意が自衛のための戦力の保持をも禁じたか否かについては判断しない」「外国軍隊の駐留は日本の侵略戦争の火種にはならないから禁じられた戦力に当たらない」というもの。ヘンな理屈ではあるが、集団的自衛権行使容認とは無縁である。そもそも、安保条約は集団的自衛権の行使を前提に締結されたものではない。

また、判決に、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。」との一節がある。これが、個別的自衛権の論拠とされることはあり得ても、集団的自衛権の論拠とはなしえない。

むしろ、心強いのは、世論調査での国民の意思は冷静で、最近の毎日の調査では以下のとおりである。
  憲法解釈変更 反対64% 賛成30%
  集団的自衛権行使 反対57% 容認37%

安倍政権は、実は政権自身にとっても極めて危ない橋を渡っているといわざるを得ない。 



注:なお、高村氏が持ち出している「砂川事件最高裁大法廷判決」(1959年12月16日)の全文は以下で見ることができます。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319122921884541.pdf


東本高志@大分
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