[CML 026821] 「のりこえねっと」の立ち上げについての私の違和感~「「乗り越えなければならない(We shall overcome!)」課題はなにか?

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2013年 9月 29日 (日) 19:35:54 JST


この9月25日、東京都内で、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(辛淑玉呼びかけ責任者ら21人の共同
代表。略称「のりこえねっと」)という団体の設立記者会見が開かれ、同団体の正式な発足の表明がありました。
http://norikoenet.org/index.html

私は同「のりこえねっと」の立ち上げには基本的には同意します。

が、にもかからず、実のところ、同団体の立ち上げに少なくない違和感のようなものも持っています。その私の違和感をひとことで
言表するとすれば以下のようになるでしょうか。

「のりこえねっと」は、その設立宣言で、「日本におけるヘイトスピーチは、戦後体制が政策的に作り出してきた差別そのもの」と認
定します。それゆえに、同「ねっと」のその宣言に則して見れば、同「ねっと」のいう「乗り越えなければならない(We shall overcome
!)」(同左)課題とは、在特会などを中心に「いま、在日韓国・朝鮮人を標的とするヘイトスピーチが、各地で凄まじい勢いで拡大
している」(同左)その「ヘイトスピーチ」現象に対抗していくことはもちろん、さらにその「ヘイトスピーチ」現象の背景に蔓延の風景
をなしている日本の「戦後体制」そのものへの対抗へと向かわなければならない論理的課題を負っているということにもなるはず
ですが、同「ねっと」にはその日本の「戦後体制」そのものに対抗していこうとする覚悟はともなっているのか。そのことへの危惧と
いうことになります。

そのような危惧を抱くのは、ひとつには、1995年7月に発足した「アジア女性基金」は、「『慰安婦』犯罪の本質からようやく芽生
えかけていた日本人の『戦争責任認識』の形成を阻害し、『国家犯罪』としてのこの問題の本質から目を逸らせ、その代償措置と
して『国民』一般に『責任』を転嫁・暖昧化させ、『国家と国民が協力』するという美名のもとに『慰安婦』犯罪の責任主体を意図的
にぼかす」役割を果たした、とする少なくない研究者、いわゆる文化人、アクティビストなどなどからの批判が当時からありました
が、その批判される広義の意味での当事者側に上記「のりこえねっと」共同代表の少なくないメンバー(和田春樹氏、上野千鶴子
氏、村山富市氏)が参加していたということがあります。ご本人たちはもちろん否定するでしょうし、その「評価」も人によって分か
れるというのも事実ですが、上記の批判者たちによれば、彼ら、彼女には、「『国家と国民が協力』するという美名のもとに『慰安
婦』犯罪の責任主体を意図的にぼかす」役割を果たした、という「前科」があるのです。 


ふたつ目には、ひとつ目の問題とも関連するのですが、日本において2007年に韓国の朴裕河さんの『和解のために』という著
書が大佛次郎論壇賞を受賞したことがありましたが、朴裕河さんはその著書で「アジア女性基金」について、「右派は責任を『否
認』し続けたが、それでも日本政府は1990年代以降、関係者が考える限りでの『せいいっぱい』の対応に踏み出していた。『女
性のためのアジア平和国民基金』の設立がそれである」(同書p66)として、「アジア女性基金」の設立を「日本の精一杯の対応」
とみなして「日本国」による責任の明確化など近年のアメリカなどからの批判には従う必要はない旨述べていました。

さらに同著において朴裕河さんは「韓国と日本のナショナリズムを同列におき、それぞれの歴史的背景を精査せず(引用者注)、
事実の上においては、韓国のナショナリズム批判により力点をおいて」いました。そのひとつの例証として日本の「政治家の『お
詫び』(公式に『謝罪』という言葉は使われていない)を『サジェ(謝罪)』と朝鮮語訳し、さらに『謝罪』と再日本語訳してあたかも
謝罪を事実化する」彼女の執筆姿勢をあげておくことができるでしょう。このような彼女の執筆姿勢について、李英哲さん(朝鮮
大学校教員)は、「翻訳のポリティックスに無頓着な著者の日本文学研究者としての良識自体疑わしい。被害と加害を同列化
する、かくも免罪符的な「和解」論に小躍りする同賞選考委員の言葉が空しい。真の和解はいまだ遠い」と批判しています。

さらに朴裕河さんのこのような特徴をもつ著作には、

      「日韓の和解ムードづくりに対してはすこぶる好都合な素材を提供していると言えよう。しかし真の『和解』のための、
      原因の究明、歴史的事実の直視、共有化を通して日韓の市民・民衆レベルの地道な取り組みを行っている者たちに
      とっては、朴氏の著作は欺瞞的なものとしか写らない」(女性史研究者 鈴木裕子さん)

      「過去の暴虐の歴史における被害者、加害者間の真の『和解』とは、真相究明による過去の共有と責任所在の確定、
      謝罪と補償、再発防止、教育など、具体的な行動を伴ってこそかろうじて可能になる。2006年に刊行されこのたび
      大仏次郎論壇賞を受賞した本書が唱える『和解』とは、これらのプロセスをまるで抜き飛ばした、浅薄な歴史認識と
      虚妄のロマンティシズム、また何より被害者を一層貶め、真の和解をめざすたたかいを阻む論理に満ちている」(李
      英哲さん 朝鮮大学校教員)

などの批判も多くあります。

      引用者注:「大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議あり」(半月城通信 2008/1/25)参照。
      http://www.han.org/a/half-moon/hm130.html#No.956

こうした批判の多い朴裕河さんの『和解のために』という著作を高く評価し、世に上出の鈴木裕子さんの命名する「朴裕河現象」
なるものを拡めた当事者たちも「のりこえねっと」の共同代表の中には少なくないのです。

以上述べたことは過去形の事象とはいえ、そうした過去(しかし、そう遠くはない)のことどもを想起すれば、現下の日韓の保守
政権(朴槿恵政権と安倍政権)が企んでいる「日韓未来志向」なる偽りの「日韓和解」政治のパフォーマンスに「のりこえねっと」
がどこまで対抗しうるか。あるいはその偽りの「日韓和解」の演出をどこまで見破ることができるか。それはとりもなおさず「日本
の戦後体制が政策的に作り出してきた差別そのもの」への対抗のひとつということにもなるはずですが、逆に「同調」してしまう
という過去形の事象の再現にならないか。甚だ心許ないといわざるをえないのです。それが私の「危惧」の中身です。

私のほかにも「のりこえねっと」の立ち上げに関して違和感を述べているブログ記事が2本あります(正確にいえばもう1本の記
事は「差別撤廃東京大行進」批判)。いまからご紹介しようとする2本の記事のどちらにも私は少なくない(というよりも、大きな)
違和感を持っていて、決して賛同の趣旨でご紹介するわけではありませんが、こういう違和感の表明もある、という意味でご紹
介しておきたいと思います。

1本目。

■「のりこえ」と上野千鶴子 - 「右傾化」の語がない設立宣言(世に倦む日日 
2013-09-26)
http://critic5.exblog.jp/21143933/#21143933_1

*第一段の部分以外は有料会員以外はすでに読むことができなくなっていますので、以下、要点のみ記しておきます。

      「この「設立宣言」の中には「右翼」という言葉がない。読み直していただければ、気づかれるだろう。そして、「戦後体
      制」の語の問題と同じく、「右翼」の語に拘る私の方が感覚が異常じゃないかとも思うだろう。市民運動を立ち上げる
      神聖な「設立宣言」の中に、「右翼」などという不逞で物騒な語を入れる方が逸脱だと、そう言い、私のイデオロギー過
      剰と反右翼パラノイアに眉を顰めることだろう。上野千鶴子的な「戦後体制」批判の文脈できれいに纏めた方がいい、
      その方が上品で格調高いマニフェストに決まっているし、若者受けもするのだと、そう言うだろう。それが今の日本の
      常識であり、日本の左派の感性だ。右翼/左翼の問題は絶対に議論に入れない。入れさせない。拒絶する。断固拒
      否する。それは市民運動の御法度だ。それを喚く者は排除する。イデオロギー対立の時代は終わり、二項対立の時
      代は去ったのだから、古い観念にしがみいて脱皮できない者は「ヘサヨ」だ。そういう役立たずで不要な人間は邪魔だ。
      そのような思想が今の日本社会を支配している。現在の日本の支配的なイデオロギーである。脱イデオロギーのイデ
      オロギー。私はそれに脱構築主義という言葉を与えた。アカデミーを支配し、市民運動を席巻し、人々を教化し改宗さ
      せることに成功したイデオロギー。」

      「(だが、)糾弾すべき在特会は、日本の市民から見て右翼ではないのか。過激で凶悪な右翼の政治結社ではないの
      か。批判すべきは右翼ではないのか。韓国の人々は、在特会による在日への嫌がらせと脅迫の示威行動を、日本の
      右傾化の一契機として捉えている。日本右傾化の現象形態だ。日本全体が右傾化していて、その病理があらゆる局
      面に噴出しているのであり、その最も危険で醜悪な場面が、コリアタウンでの暴力的威嚇なのである。この問題につい
      ての認識において、右傾化というキーワードは絶対に外すことができない。この忌まわしい日本の社会的現実は、右
      傾化の語で総括されなければならず、右傾化の概念こそが基軸であり、正確な真実を説明する言語装置なのである。
      右傾化の言葉の使用なしに、在特会の意味を語ることはできないのだ。在特会は右翼集団である。その集団に対して、
      右翼という政治的本質の性格規定を与えることなしに、対策を考えるだとか、市民社会で規制しようだとか言っても、
      それはバットの芯を外したファウルチップの打撃でしかない。在特会の暴言のエスカレーションは、日本の右傾化のア
      クセラレーションとパラレルである。だから、日本の右傾化こそが病因であり、その進行を止めなければ、右翼集団の
      跳梁と暴走も止められない。従軍慰安婦の問題も、村山談話の問題も、新大久保の在日脅迫デモも、すべて同じ問
      題なのであり、靖国の問題も、尖閣の問題も、大きく同じ範疇の問題なのだ。日本の右傾化の諸モメントなのである。」

2本目。

■現状だと韓国は日本のしばき隊系「差別撤廃運動」を受け入れるだろう(ZED 2013年09月23日)
http://bit.ly/1b6qAzJ

*この記事は上記で全文読めますので転載しません。




東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/





CML メーリングリストの案内