[CML 026689] リベラル派の凋落と脱原発

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2013年 9月 22日 (日) 13:00:22 JST


2012年12月総選挙から2013年7月の参院選までの選挙戦で非共産市民派の政治勢力は大きく後退した。非共産市民派を伝統的な左右の対立軸にマッピングすると左側に位置するが、共産党よりは右寄りに分類されることが一般的なイメージである。 

非共産市民派の政治勢力が共産党より穏健な「中間派」「リベラル派」を志向するならば、その凋落は必然である。英国で労働党が二大政党の一角となり、政権を獲得する前には自由党の凋落があった。現体制を打破する上で「中間派」「リベラル派」を潰すことは第一歩になる(林田力『二子玉川ライズ反対運動11外環道』「リベラルの胡散臭さ」)。 

共産党流に言えば「中間派」「リベラル派」は、いつでもオール与党に与する存在となる。非共産市民派としても非共産市民派の政治勢力を見限って共産党に一票を投じたくなってしまう。その結果が都議選や参院選の共産党の躍進をもたらした。 

2009年総選挙での民主党の勝因は、既存の革新政党よりもラディカルな思想性があったためである。既存の革新政党は大企業優先の自民党政治を批判するが、それは労働組合所属の労働者や中小企業への利益分配の側面があった。革新政党も労働者や中小企業を重視する点では生産者・産業優先の傾向があった。これに対して民主党は「国民の生活が第一」を掲げて生活者の利益政党であることを押し出した。 

また、「コンクリートから人へ」は土建政治そのものを否定した。これは建設業界の中小企業や労働者の利益に配慮する傾向があった革新政党よりも大胆である(林田力『二子玉川ライズ反対運動10』「「コンクリートから人へ」の行方」)。さらに政治主導を掲げて官僚政治の打破を目指した。社会主義国家流の計画経済に親和性のある革新政党は官僚の腐敗を激しく批判しても、官僚制そのものへの不信感は共有しにくかった。 

左翼教条主義者は民主党を自民党と大差ないと批判するが、政権交代時の民主党は思想的には既存の革新政党以上のラディカルさがあった。非共産市民派の政治勢力の伸長には共産党さえも自民党と同列に位置付けてしまうようなラディカルな理念が求められる。 

この点で非共産市民派が脱原発を主要な結集軸にしようとする傾向があることには意味がある。多くの人が脱原発を重視する理由は、それが重要な問題であると純粋に考えているためである。しかし、政治戦略的にも意味がある。 

社民党が共産党と差別化する要素として徹底した平和主義がある。しかし、徹底した平和主義を共産党への対抗軸とすると、「社民党の前身は十五年戦争中に何をしていたのか。大政翼賛会に率先して合流し、侵略戦争に協力したのではないか」と返されてしまう(林田力「共産党と社民党の大きな溝」 PJニュース2010年3月22日)。 

過去に戦争加担した者は平和主義者を名乗る資格はないという発想は偏狭であり、真摯な反省は尊敬に値する。それでも共産党には十五年戦争中も戦争反対を貫いたという道徳的優位性がある。この金字塔の歴史がある以上、党名変更は愚行である。 

ところが、原発問題は事情が異なる。積極的に原発を推進した訳ではないとしても、福島第一原発事故の前後で共産党の原発政策は大きく変わった。原発問題では政治勢力の誰もが反省から入らなければならない。原発問題には平和主義のような共産党の道徳的優位性はない。反対に自己無謬意識の欠如を批判できる。それ故に脱原発は非共産市民派の政治勢力が市民派の中でヘゲモニーを確立するための好都合なキーワードになる。現実の「脱原発で大同団結」的な結集の呼びかけにも、その種の底意が感じられたものがあった。 

原発問題で共産党に道徳的優位性がないとしても、それで社民党や生活の党の道徳的優位性が高まる訳ではない。共産党がダメならば社民党もダメである。元自民党もいる生活の党は論外になる。もし脱原発を中軸に据えるならば、脱原発を導き出す根っこの思想を深めるべきである。それが既存の革新政党にもないラディカルさを与えてくれる。
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林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
http://www.hayariki.net/futako/36.htm


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