[CML 026676] 日本共産党躍進で、はしゃぎ過ぎ

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2013年 9月 21日 (土) 18:43:12 JST


選挙で特定の政党が躍進すると、その政党の特に新人議員などの「はしゃぎ過ぎ」が問題になる。郵政選挙での自民党・小泉チルドレンや民主党政権交代時の小沢チルドレンが好例である。この傾向は2013年6月の東京都議選や2013年7月の参院選後の日本共産党にも当てはまる。選挙後の議員のFacebookなどでは「美人」や「議員控室が広くなった」などの浮ついた投稿やコメントが多かった。 

政党が議席拡大を喜び誇ることは当然のことである。自民党・公明党の圧勝という下馬評通りの結果の中での躍進の意義は大きい。躍進は大型開発批判やブラック企業批判などコアな支持層以外の幅広い市民が支持できる政策を提示した結果である。それを評価することに遠慮は不要である。また、共産党でも小泉チルドレンや小沢チルドレンと似たような現象が起きることは共産党も普通の政党であると逆に安心感を与えるものである。 

しかし、市民派の中で共産党が一人勝ちした状況で、言わば隣近所が通夜状態の中で、はしゃぐことは如何なものかという考えはある。政権交代時の民主党も一人勝ちであったが、社民党や国民新党は連立政権内で議席数以上の発言権を有していた。最終的に連立政権は不満足な結果に終わったとしても、社民党や国民新党の抵抗は保有議席数以上の効果があった。それは民主党が驕らす、ある程度は社民党や国民新党を尊重した結果である。共産党が民主党の立場に立った場合に似たようなことを期待できるか。それほど共産党を信頼する市民派は少ないだろう。 

はしゃぐことは仕方がないとしても、はしゃぐ内容には問題がある。「美人」持ち上げは市民派の中に数多く存在するジェンダーやフェミニズムの立場からは眉をひそめたくなるものである。一方で「美人」が大衆受けすることは事実である。フェミニズム的な潔癖な倫理観よりも、大衆受けする通俗性を宣伝戦略として優先した結果ならば意味はある。 

共産党はブラック企業への集中攻撃など民意の汲み取りが巧みである。福島原発事故後に、いち早く都内各地の放射能を測定しつつも、放射脳カルトらの被災地瓦礫受入阻止とは一線を画す。大型開発などの無駄遣いを理由に2020年東京オリンピック招致には反対しつつも、オリンピックの意義は肯定的に評価する。「何でも反対」のステレオタイプなイメージに反して社会の主流派意識とのバランスをとっている。 

「議員控室が広くなった」も市民派感覚とはギャップがある。議席増大で「議員控室が広くなった」と喜ぶことは共産党にとっては自然である。大会派には大会派の権利があり、それを求めることに何の遠慮もいらない。共産党は前衛党を称する割には議会制民主主義などの制度論では古典的な思想傾向がある。それ故に大会派になったならば大会派として振る舞い、社会からも大会派として扱われることを期待する。 

共産党に比べると非共産市民派の政治勢力は選挙で壊滅的な打撃を受けた。非共産市民派の結集が模索されたものの、成功していない。むしろ諸派乱立は非共産市民派が活動的な証であり、一本化できるようなった方が終わりと考えるべきかもしれない。この状況では非共産市民派諸派は各地の地方議会で一人でも議員を当選させることが現実的な戦略になる。管見は放射脳カルトに嫌悪感を抱き、離婚や隠し子の虚偽説明を問題視する立場であるが、この文脈に山本太郎議員も位置付けられるかもしれない。 
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そして各地の議会で非共産市民派諸派の議員が一人会派として議席数以上の存在感を発揮することが非共産市民派の希望となる。一人会派が議席数以上の活躍を可能にするためには、徹底した議会内少数派の尊重という論理構築が求められる。それは多数決民主主義と衝突するが、会派について古典的な思想傾向を有する共産党も障害として立ち塞がる可能性がある。共産党のはしゃぎ方は市民派から距離を感じさせるものである。 
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