[CML 026512] ◆「現在は戦時」辺見庸のすごみ(Times Change〜この国の気配 ブログ)

M.nakata gukoh_nt at yahoo.co.jp
2013年 9月 13日 (金) 00:33:21 JST


M.nakata です。重複おゆるしください。
 
<転送拡散歓迎>
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 ◆「現在は戦時」辺見庸のすごみ(Times Change〜この国の気配 ブログ)
  twitterで偶然知り合った、大阪のジャーナリスト@jojoさんのブログ記事からご紹介です。
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  (貼り付け開始)
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Times Change〜この国の気配 ブログ

2013年9月11日水曜日


◆「現在は戦時」辺見庸のすごみ

神奈川新聞の辺見庸のインタビュー記事を読んだ(時流自流)。 

 辺見にはまるで“時代の神”が宿っているようだ。


(辺見)
「現在は平時か。僕は戦時だと思っています」

十年一日のようにマスメディアも同じような記事を書いている。大した危機意識はないはずですよ。見ている限りね」


「日中戦争の始まり、あるいは盧溝橋事件。われわれの親の世代はその時、日常生活が1センチでも変わったかどうか。変わっていないはずです。

あれは歴史的瞬間だったが、誰もそれを深く考えようとしなかった。実時間の渦中に『日中戦争はいけない』と認められた人はいたか。当時の新聞が『その通りだ』といって取り上げたでしょうか」

私はこの辺見の言葉に頭を打ち砕かれた。

戦争というものは、一般市民にとって、まったく普通の日常の中で、何の変哲もなし始まるものなのだ。
戦後生まれの私にとって、戦争というのは、国民全体が日章旗を片手に、興奮し、きわめて緊張した状態で起こるものだと勘違いしていた。

そうなのだ。戦争の始まりはいたって静かに起こっていたのだ。ほとんど気付かれることもなしに。


辺見は言葉を続ける。 

「日本のファシズムは、必ずしも外部権力によって強制されたものじゃなく、内発的に求めていくことに非常に顕著な特徴がある。

職場の日々の仕事がスムーズに進み、どこからもクレームがかからない。みんなで静かに。自分の方からね。別に政府や行政から圧力がかかるわけじゃないのに。メディア自身がそうなっている」

そして、神奈川県教育委員会が「日の丸・君が代の公務員への強制」の例を挙げながら、


「強制っていうのは身体的強要を伴う。起立させ、歌わせる。人の内面を著しく侵している。これがファシズムでなくてなんですか」

 と、ファシズムの怖さを示す。


 さらにあの有名な レイ・ブラッドベリの未来小説『華氏451度』を引き合いに出して、


「華氏451度の世界では、本を読むことが禁止されている。そこで人間が記憶する歴史は数年だ。スポーツが奨励され、深く考えないことも奨励されている。まさに今です」


と「現代はそのものだ」と喝破する。

辺見は別の毎日新聞のインタビューでも、

「イタリアの作家、ウンベルト・エーコはファシズムについて『いかなる精髄も、単独の本質さえもない』と言っている。エーコ的に言えば、今の日本はファシズムの国だよ」


と指摘する。


「(ファシズムは)銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです」

そして言論の状況について

「昔は気持ち悪いものは気持ち悪いと言えたんですよ。ところが今は『花は咲く』(被災地を応援するキャンペーンソング)を毛嫌いするような人物は反社会性人格障害や敵性思想傾向を疑われ、それとなく所属組織や社会から監視されてしまうようなムードがあるんじゃないの? 


政府、当局が押しつける政策や東京スカイツリー、六本木ヒルズ10周年といったお祭り騒ぎを疑う声だって、ほとんど出てこない。


それが今のファシズムの特徴です。


盾突く、いさかうという情念が社会から失われる一方、NHKの『八重の桜』や『坂の上の雲』のように、権力の命令がないのに日本人を賛美しようとする。皆で助け合って頑張ろう、ニッポンチャチャチャでやろうよと」


この空気を支えるキーワードとして、辺見は、哲学者アガンベンが多用する「ホモ・サケル」を挙げた。


「古代ローマの囚人で政治的、社会的権利をはぎ取られ、ただ生きているだけの『むき出しの生』という意味です。


日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。


80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。

それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」

そしてこうした状況を打破するにはどうするばよいか?

「集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね」


と辺見は結ぶ。

 いよいよ、真に個人が試される時代となった。



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