[CML 026482] 99%対1%の功罪

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2013年 9月 11日 (水) 21:26:11 JST


米国Occupy Movementに由来する「99%対1%」という考え方がある。僅か1%の富裕層が富を独占し、政治を牛耳っている。虐げられている99%が団結して1%に対抗しようというものである。世界レベルでは「99%対1%」は統計的な事実に裏付けられた主張である。 

また、1%の支配階級という発想は歴史的にも理解しやすいものである。たとえばフランス革命前夜の特権階級(第一身分・第二身分)や旧ソ連のノーメンクラトゥーラ(ノーメンクラツーラ)とその家族は、全人口の約1%であった。 

さらに普通選挙制の施行された民主主義社会において「We are the 99%.」は力強いスローガンになる。数の上では圧倒的な多数派を形成できるためである。現実の世界は1%の支配階級と99%の被支配階級に分けられるほど単純ではないとしても、有用なフィクションである。ワーキングプアと生活保護受給者など弱者同士の叩き合いになっている状況を克服する可能性のある論理である。 

しかし、日本の2012年12月の総選挙や2013年7月の参議院選挙で「99%対1%」信奉者が支持する政治勢力は振るわなかった。「99%対1%」は日本社会の実感と必ずしも合っていない。格差社会になったと言っても、日本は米国ほど格差は厳しくない。だから日本は捨てたものではないと肯定的に評価するつもりはない。むしろ、もっと日本は陰湿である。 

個人的な実感では日本社会は「20%対80%」「10%対90%」である。日本社会は10-20%程度の貧困層を生み出し、社会の多数派は「貧困層がどうなろうと知ったことではない」という意識である。多数派には自分が貧困層に入らないことを心の支えとしているところもある。 

近年において貧困層の相対的割合が高くなっているが、一億総中流と言われた時代でも制度的に中流が保障されていたわけではなく、こぼれ落ちる層はいた。しかも、こぼれ落ちる層へのセーフティネットは貧弱であった。非正規労働者の増加が問題になっているが、日本的雇用も社外工などの非正規労働者あってのものである。「99%対1%」の論理は中流意識のある側も、こぼれ落ちた側も共感しにくい。 

「99%対1%」という輸入物を出すまでもなく、日本では金持ちの頂点を狙い撃ちにした論理は市民的支持を得にくい。日本共産党の内部留保論が、それである。大企業の内部留保を悪玉視し、大企業の内部留保を吐き出させれば諸々の財源問題は解決するとの主張である。 

しかし、内部留保は家計で言えば貯金である。長期雇用を前提として働く人の立場からすれば、内部留保への怒りは強くない。日本企業は借入金の依存率が高く、貸し渋りや貸しはがしが経営危機に直結する。共産党ならば公的金融の増強や金融機関への指導強化で貸し渋りや貸しはがしのない金融の実現を目指すと主張するだろうが、企業経営の立場では借金経営自体が健全ではない。 

働く人の感覚では内部留保よりも、役員の交際費などの濫費の方に憤りを抱くものである。しかし、ケインズ的な経済政策の立場では濫費でも金を流通させる方が内部留保でため込むよりも景気には貢献する。だから内部留保批判に傾斜することになるが、働く人の感覚とはギャップがある。 

大企業の内部留保批判一辺倒であるならば共産党の参院選の躍進はなかっただろう。矛先をブラック企業に向けたことが大きい。1%の支配階級や内部留保を溜めこむ大企業という頂点ではなく、ブラック企業という社会悪をターゲットとした。ブラック企業批判にはブラック企業経営者が労働者を酷使する一方で、自分は贅沢三昧しているとの批判も含まれる。これは働く人の怒りに重なる。 

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林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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