[CML 026451] シリア反政府軍が化学兵器攻撃を行ったとする会話を耳にした――誘拐されていたジャーナリストらが解放され、証言

OHTA, Mitsumasa otasa at nifty.com
2013年 9月 11日 (水) 03:35:32 JST


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シリア反政府軍が化学兵器攻撃を行ったとする会話を耳にした――誘拐されていたジャーナリストらが解放され、証言
http://unitingforpeace.seesaa.net/article/374481461.html

9月9日付 FRANCE 24「解放されたベルギー人とイタリア人がシリアでの誘拐を語る」の翻訳です。

シリア反政府軍に拘束されている間、反政府軍がシリアで化学兵器攻撃を行ったとする会話を耳にしたという証言、シリアでなおもジャーナリスト13人が行方不明であることが注目されます。

Freed Belgian, Italian recount Syria kidnap ordeal - FRANCE 24
http://www.france24.com/en/20130909-freed-belgian-italian-recount-syria-kidnap-ordeal

AFP - 解放されたイタリア人ジャーナリストのDomenico Quiricoとベルギー人教師のPierre Piccininは月曜、シリアで5カ月間にわたって拘束されるという難儀の「極めて過酷」な状況を語り、暴力と辱め、模擬処刑に遭ったと話した。

男性2人は日曜に解放され、拘束していた者らがダマスカス近郊での毒ガス攻撃に反政府軍が関与していた可能性について話しているのを耳にした、と語った。だがQuiricoはこの情報を確認する術がないと言う。

彼らの難義の状況については詳細が明らかになっていないが、Quiricoが所属する新聞はイタリアのシークレットサービスが米国による軍事攻撃の前に、彼らの自由を確保するために乗り出したと述べた。

Piccininはベルギーのラジオ局Bel RTLに「私たちは虐待を受けたが大丈夫だ」と語った。

「実際に暴力を振るわれることがありました。辱め、虐待、模擬処刑ですが、Domenicoはリボルバーで2回の模擬処刑を受けました。」

やせ衰えて疲れ果てたQuiricoとひげが濃くなったPiccininは日曜遅く、イタリア政府機でローマに降り立った。

「月に住んでいたような5カ月間でした。虐待を受け、おびえていました」とQuiricoはレポーターに語った。

Quiricoは月曜、エンリコ・レッタ首相、エンマ・ボニーノ外相、事件を捜査しているローマの検察官らと面会した。その後同日中に、勤務するLa Stampaの本社があるイタリア北部のトリノに移動することになっていた。

イタリアの通信社ANSAによれば、Quiricoは自分とPiccininがピックアップトラックに乗った武装集団に足止めされたと検察官らに語った。

ANSAはこのベテラン戦争ジャーナリストの言葉を次のように引用している。

「初日は目隠しをされました。私たちを扱ったのはおそらく3グループでしょう。」

「私たちが拘束された状況は最初から非常に過酷なものでした。与えられた食事はせいぜい一日に一食です。」

QuiricoはLa Stampaのオンライン版に掲載された記事で、2人が耳にした会話について、反政府軍が化学兵器の使用に関与していたらしいとするPiccininの主張に、疑問を投げかけている。

「ある日、私たちが拘束されていた部屋から、半開きのドアを通じて、スカイプで身元不明の3人が英語を使って会話しているのを耳に挟みました。」

「連中はその会話で、西側に軍事介入させる呼び水として、ダマスカスの郊外2カ所でガス攻撃を反政府軍が実行した、と話していたのです。」

「この会話が本当の事実に基づくのか、伝聞に基づくのか、言い当てることはまったくできません。」

ベルギー南部の町で歴史の教師をしているPiccininは、この会話はシリア政府軍が化学兵器攻撃に関与したのでないことを証明したと主張している。

ベルギー政府に近い筋は、Piccininのコメントが「彼個人だけに関わる私的なもの」とAFPに伝えた。

Piccininによれば、当初はQuiricoと共に、西側が支援する自由シリア軍によって4月に拘束されたが、その後で「イスラム主義者というより無法者」の反政府グループであるAbu Ammar旅団に引き渡された。

2人の拘束は「シリアにおける恐ろしい長旅」を証明したと、PiccininはBel RTLに語った。

「私たちはかなり引きずり回されました。拘束していたのは常に同じグループというわけではなく、非常に暴力的なグループがいて、極めて反西洋的、かなり反キリスト教的でした。」

Piccininによると、拘束した兵士らが祈りをしていた時に2人は2回の脱出を試みたが、2日後に見つけ出され、「ひどい懲罰」を受けた。

アラビア語を話すPiccininは、2011年に紛争が勃発して以来、7回にわたってシリアに行った。反政府勢力の大義は変化し、強盗に落ちぶれたと語る。

イタリア当局にとっての懸念は、米国主導によるシリア空爆の可能性が高まる中で、「前線の事態が急展開し、誘拐犯との連絡が途絶える可能性がある」ことだと言われていた。

記者の人権監視団体である国境なき記者団は、13人のジャーナリストがなおもシリアで行方不明であると発表している。

誘拐されているのは、フランス人ジャーナリストのDidier FrancoisとEdouard Elias、米国人ジャーナリストのJames Foleyなどで、グローバル・ポストやフランス通信社、その他の国際メディアで活躍していたジャーナリストである。

イタリアも依然として、7月からシリアで消息を絶っている国民の1人、Paolo Dall'Oglio神父の解放に向け努力している。同神父は長年にわたってシリアに住み、宗教間対話を推進してきた人物だ。

太田光征



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