[CML 027043] 「無知は力」だ日本人、トンデモ和製英語「ブラック」使って、半世紀退歩だ

hinokihara hinokihara at mis.janis.or.jp
2013年 10月 13日 (日) 08:05:40 JST


檜原転石

       安保に関与したヒロヒト(本土に米軍基地がある)を称して私は「安保たんヒロヒトの誕生」と揶揄したが、私はそれをかなり気に入っている。また橋下徹を称してゴロツキ弁護士、ポン引き市長とも呼ぶが、上品な私にはあまりなじまない言葉だ。トンデモ和製英語「ブラック」の氾濫で思うのは、日本人の度しがたき重症歴史健忘症である。自国の犯罪――性奴隷制度でも同様なのだから、米国の公民権運動など知らなくて当たり前という、ある種の居直りさえ感じられる無頓着ぶりである。そう「無知は力」で「ブラック」は暴走中である。この現象がつづけば、日本語の「黒」も影響をうけて、警察用語でしかなかった「黒」・「白」が市民権を得て、「黒」が悪を含意した英語の「black」並みに多様な意味あいで使われ始めるかもしれない。日本語辞書をみれば分かるが、「黒」の項目など3つぐらいで、3つめに警察用語の「犯罪の容疑があること」が載っているぐらい。日本の警察権力が単純二分法思考で私たちを「白」か「黒」(注:「警察はその男をクロとみている」などと使われる)かと判断しているからといって、私たちがその思考法を真似て「黒」を犯罪と結び付ける思考をしていては駄目である。警察の本分とは権力の不正に反対する市民を捕まえることである。警察思考はその警察に捕まえられる側の市民には決してなじまないのである。警察といえば、時々、市民が無実であろうが何であろうが証拠をでっち上げて犯罪者に仕立て上げることがあるが、その警察が使う「黒」が市民権を得て、警察(権力)の得意な二分法思考を市民が使うとなると、権力にとっては望ましい従順な市民の素質は温存されたままだ。警察用語の「黒」と「腹黒い」の「黒」は連動している可能性もあるが、市民の中に「腹黒い」人と交友関係がある人とはどういう人なのだろう。私は「腹黒い」などという言葉を使うつもりもないが、トンデモ和製英語「ブラック」を多用する人間は、それを拠り所にもしている。日本語でも黒が悪と含意していると。「腹黒い」が「心がねじけている」の意味なら、そのまま「心がねじけている」と表現した方が分かりやすいし、「心の中に悪巧みや陰謀をもっている」という意味なら、そうテロ国家アメリカの大統領などを対象に使うような恐ろしい意味でなら、他の表現を使うだろう。

       次に、言葉狩り(よって新たな適切な言葉を生み出す)がなぜ大切かを、病名の変更を例に見ておく。

      ▼田中克彦『差別語からはいる言語学入門』明石書房、2001年

      頁18――

       差別語をめぐる議論にあきあきし、それが不毛だと感じた人たちの口からよく聞かれる意見の一つに、ことばだけとりかえてみても、そのことばが指している現実や事態が変わるわけではないというのがある。
       それは大部分その通りだが、そうではない点もある。というのは、ことばは現実のみならず、人々の意識、精神世界の領域のできごとを描き出そうとする。このことを否定する人はまずいないであろう。この本はまさにその問題ととりくんでみたものであるが、いま身近な例として、病気を指す名のことを考えてみよう。
       病名は、単にある病気を客観的に示すだけでなく、そこには多くの偏見がくっついている。ところが病気は医学の発達によって、それとたたかい、なおす方法が次々に開発されてくる。それによって病気への認識が変わってくれば、より適切な言いかたに変える必要が生まれるだろう。
       こうしてとりかえられたことばが指す病気そのものは依然同じであっても、そこにはより客観的で偏見がなく、そして病気で苦しむ人々に絶望ではなく希望を与えるはたらきがあるとするならば、私たちはもちろん、そのようなニュアンスを持ったことばにとりかえる必要がある。
       このように考えると、ことばのたたかいは、観点――ものの見方のたたかいでもある。
      (引用終わり)

       例えば「精神分裂病→統合失調症」という病名の変更は、上記の田中克彦の指摘そのものである。差別語、嘲笑語、侮蔑語としての「精神分裂病」は言葉狩りされたのである。

       かような考察で“適当な言葉”を生み出すには多少とも知性が必要なことも理解されたと思う。科学的知識がなければ病名など命名できないのである。

       「ネットは馬鹿と暇人の道具」とも揶揄されるが、日本でいえば馬鹿右翼の巣窟でもある。 だから、ネットから発生した言葉が知性からかけ離れた言葉であっても何ら不思議ではない。中国語の黒社会は日本では闇社会であるが、その黒社会を黒会社にして、黒→ブラックで、「ブラック会社」(「ブラック企業」)というトンデモ和製英語は誕生する(注:以上の推理は間違っている場合もある)。例えば中国語には血汗工場という搾取企業と同じ意味あいの言葉もあるが、馬鹿にはその知識はない。もちろん英語を使いたがる「幸せな奴隷」(支配言語である英語に支配されていると気づかない人間)であっても英語の「スウェットショップ」などという言葉など知るよしもない。

       問題はネットで発生した言葉ではない。それを無頓着に流用する物書きなどの知的劣化である。今野晴貴といえば、『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春文庫、2012年)という書名を使い、トンデモ和製英語「ブラック」を流行らせた張本人だが、マルコムXも公民権運動もリチャード・青木も、ブラックパンサー党も「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動も知らなかったのであろう。問題はただそれだけである。しかし日本ではメディア(ミーディア)などの知的劣化の速度が凄まじく、誰もトンデモ和製英語「ブラック」の氾濫を止められなかったというわけだ。

       ところで岩波文庫にはリチャード・ライトの『ブラックボーイ ある幼少期の記録』(野崎孝・訳、上・下)という書籍があり、岩波新書には、荒このみ『マルコムX 人権への闘い』がある。岩波書店がトンデモ和製英語「ブラック」にどう対処しているかは知らないが、果たしてどうするのだろう? 
     


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