[CML 026888] 左派潮流の登場を!

まっぺん mappen at red-mole.net
2013年 10月 3日 (木) 23:54:10 JST


転載・転送歓迎です\(^o^)/
まっぺんです。重複ご容赦ください。草加さんからのメールを代理で投稿します

草加耕助と申します。

タイトルを見て古い表現に感じられた方や、不穏な動きかと勘違いされた方もおられ
ると思います。自分でもどうかなあと思うのですが、ほかにいい表現が見つかりませ
ん。少なくとも不穏な動きではないので、誤解されませんよう(笑)。

知らない方は知らないことですが、このごろますますヒートアップしているネットや
ツイッターでの不毛な叩き合いに嫌気がさして、運動から離れる人さえいるそうで
す。日本の大衆運動には歴史というものが存在しないのか、何度同じことを繰り返せ
ば気が済むのかと思いますが、私の立ち位置から今何が必要かを考え、同じ意見をも
つ方々と、以下のような呼びかけをしています。

ものすごく意外なことですが、今のところ10代や20代前半の若い方の反応がかなりい
いです。逆に年齢が高くなるほど反応がよくない。団塊世代以上の方からは侮蔑さえ
受けました。私は逆だと思い込んでたんですが、どうしてですかね。

それはともあれ、よろしければご検討いただけましたら幸いです。

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反原発ジグザグ会
公式サイト:http://zigzag.blog.jp/

「10・13での左派統一行動を呼びかけます!」
http://zigzag.blog.jp/archives/188855.html

「当日のスケジュールと注意事項」
http://zigzag.blog.jp/archives/200944.html

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お願いしたいこと
 1)デモ・前段集会とも共闘・合流
 2)デモもしくは前段集会のいずれかのみ共闘・合流
 3)隊列は合流しないが比較的近所を歩く
 4)当日は不参加もしくは別行動だが、賛同人になる
 5)賛同もできないけど、公式ブログのコメント欄などでエールの交換
 6)呼びかけ文や公式サイトの紹介、拡散

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【呼びかけ文】

 私たちは311事態以降、今まで、それぞれの立場から、各地の反原発・反差別排
外主義・反基地・沖縄連帯・三里塚などの闘争に、個人、無党派の立場から参加して
きたものです。私たちはその経験に基づき、とりわけ反原発運動において、今や左派
の潮流を可視的に「登場」させることが求められているという焦りにも似た認識を
もっています。

 そこで私たちは来る10・13反原発統一行動の当日、まずもって一日共闘とし
て、反原発運動を「反資本主義」「反戦・反差別」「福島‐沖縄‐三里塚は一つだ」
などの立場から闘う人々の統一行動の実現を提起する次第です。具体的には統一デモ
隊列の実現と、同隊列におけるデモ前の独自「打ち合わせ」などを、他の参加者の迷
惑にならない形態でおこなうことです。

 左派の潮流的な登場の必要性を一般論として語る方は多いです。けれどもそれが具
体的な行動にうつされないことに、私たち個人大衆は大きな不満を抱いています。一
方、そういう不満や批判を口にするなら、それはそのまま自分に返ってくるものだと
思いました。私たちはたとえ蟷螂の斧と笑われようと、まず私たちだけでも断固とし
て「はじめる」つもりです。

 私たちは下記の内容も決して固定のものとは考えておりませんし、議論や相互批判
を恐れたり排除するものではありません。なにとぞ私たちの小さな決意を見殺しにす
ることなく、真剣な検討をお願いする所以です。

◆反資本主義派の登場を!

 反原発・反差別排外主義・反基地・沖縄連帯・三里塚。もとより、これらの課題は
別々のものではなく、からみあった一つの課題の別々の側面であることは、左派の皆
さんには言をまたないことだと思います。それは人間を資本の手段とし、被曝労働者
を使い捨てにするような社会との対決であり、すなわち必然的に反資本主義の内容を
もたざるを得ないものであります。311事態はこういった社会のあり方の欺瞞性
を、大衆的に実にわかりやすい形で露出させ、それゆえに多くの民衆の怒りを呼び起
こしました。

 そして、これらのからみあった一つの課題の個々の側面に、今まで別々の「個別課
題」として分断された取り組みを余儀なくされてきた人々、あるいは既存の大衆運動
には無縁でありながら、種々の不満、疑問、閉塞感、生きにくさを感じてきた人々を
も含め、それらが反原発運動を結節環として結びつき合流し、そのことによって反原
発運動はその幅の広さと深まりの両面において、広範な大衆的爆発を可能にしたので
す。

 しかし、それこそ50年前から今日まで、大衆の自然発生的な運動の広がりや深化に
対し、これを再び「個別課題」に分断して組織的に管理しようという方向性が、いつ
の時代にも存在します。もとより私たちは、そういった部分をも手をつなぐべき仲間
として尊重します。それよりも私たちが一番の不満を感じるのは、こういった旧来の
運動のあり方に常に一石を投じ、社会変革の波へと運動を質、量ともに広げる役割を
担ってきた、あるいは担うべき勢力が、運動の中でほとんど可視化されていないとい
うことです。

 確かにそれらは集会場やデモのあちこちに点在していますが、未だに潮流と呼べる
存在はありません。なのに存在しない「左翼なるもの」に対する批判が、あちこちで
ごちゃませ的に繰り返されています。それはちょうどかつての新左翼が「社共総評」
を批判することで「それとは違う私達」を大衆にアピールし、それをもって自分達が
何か「新しいもの」であると宣伝した、その手法を旧勢力に逆手にとられている現象
です。このような「左翼」をスケープゴートに仕立て上げる宣伝手法は、今やそのた
めには右翼団体との連合さえを容認するまでにエスカレートしています。

 このような旧勢力の反左翼キャンペーンに対して、これを「デマ」や「反動」と
切って捨てることはたやすいです。ですが私達はまずもって、それが一定有効性を
もってしまうような「左翼」の歴史的現状を、主体的に省みることが第一だと考えま
す。
 その上で、こういった宣伝手法に単純な自己肯定の「反・反左翼キャンペーン」を
言葉の上で繰り広げ、それをもって自分達の左翼性やらラディカルさを自己確認した
り、それとは全く逆に、彼らの逆鱗にふれないようにうまく立ち回り、なんとなくそ
の末席にいさせてもらうという、悪しき「大同団結主義」でも、情勢を突破するよう
なものは何一つ作り出しえないと考えます。

 私たちが何よりも一番に追求するべきは、運動の内部にいる他者を批判することで
自己のアイデンティティを確認したり、あまつさえそれを大衆的課題やスローガンに
まで祭り上げることではありません。それではいつまでたっても批判している相手の
周りを回る衛星でしかない。求められているのは、私たち自身が彼らに対置しうるよ
うな内容でもって登場をはたし、大衆に潮流的な選択を迫りうるだけの存在になるこ
と、他者の衛星ではなく、自分自身が輝く恒星になることではないでしょうか。

◆怒りの文化を復権させよう!

 一方、私たちは、これまでの経験の感想や総括提起を出し合う中、反原発などの大
衆運動の場において、かつて左翼が先頭で切り開いてきた「怒りの文化」を復権させ
るべきだと考えています。私たちは全身からほとばしるような怒りに満ちた、左派の
統一的な「戦闘的デモンストレーション」の実現を提起します。
 それは一見するとふざけている、あるいは「同窓会」的な気分にひたっているよう
に見える危険があるかもしれません。実際、そういう気分で参加する人がおられたと
しても、それはそれとして排除することもないとは思います。ですが決してそれだけ
ではありません。

 つまり、私たちは怒っているのです。

 私たちはこんなにも怒っているんだと相手に知らせたいのです。デモとは本来そう
いうものだと思います。それを表現するためには、それにふさわしいパフォーマンス
を行う必要があります。自分達以外のあり方を否定するつもりは毛頭ありませんが、
私たちの怒りを表現するのに、楽しげな雰囲気の演出にばかり心を砕くような「パ
レード」ばかりではやはりふさわしくありません。

 繰り返します。私たちは怒っているのです。核発電に、排外主義の跳梁跋扈に、公
安の弾圧に、外への軍拡と緊張拡大政策に、国内民衆への犠牲のしわ寄せに、私たち
は怒っているのです。そして私たちが知らないところで、若者や名も無き民衆もまた
怒り、その怒りの本質や向かうべき先もわからないまま、自分でも正体不明の閉塞感
の中で出口を求めています。

 ですが、現在の強弾圧体制下のデモでできることは、実はそんなに多くありませ
ん。ところがその程度のことでさえ、今は自分達の「スタイル」が民衆に受けが悪い
から自分達は衰退したのだとする「左翼」の判断によって、怒りの文化はすっかり影
をひそめています。
 そのうち、いつのまにか「在特会」だのの排外主義者のほうが自己の「暴力性(擬
似革命性)」を看板とするようになり、閉塞感の中で出口を求める若者は、お行儀の
いい「ピースでエコ」なサヨクより、むしろそちらに惹かれています。さらに本来わ
たしたちがやるべき排外主義者への怒りの表出行為すら、右派的な部分にお株を完全
に奪われているではありませんか。「スタイル」の問題だと言うなら、これをどう解
釈するべきかという問題があります。

 別に物を壊したり人を殴ったりして「暴れるべきだ」と言っているわけではありま
せん。「戦闘的デモ」と言っても、実際には充分に非暴力で平和的な行動にすぎない
わけです。ところが大衆ではなく左翼の中にこそ、残念ながらそれを揶揄するような
雰囲気があります。しかしそんなことではもう、私たちの呼びかけ対象となるような
層は、大半が右派部分に持っていかれると思うべきです。

◆左派潮流の登場を「要求」します。

 私たちがこの呼びかけを確認した時点で、確実な参加者は10人にも満たない状況で
す。たとえそうであっても、全身からほとばしるような怒りに満ちた戦闘的デモの実
現を提起し続けます。
 無力な個人・大衆にすぎない私たちの呼びかけは、ほとんどの人から嘲笑を受ける
のかもしれません。それも覚悟の上での呼びかけです。

「ちなみにアーサー・C・クラークによると、革命的な展開が起きるときの、人々の
反応はこんなふうに推移するという。
 1回目 「まったくばかげてる、時間の無駄だ」
 2回目 「なかなかおもしろいが、たいして重要ではない」
 3回目 「いいアイデアだと私は前からずっと云ってた」
 4回目 「実はあれは私が最初に思いついたのだ」
(イノレコモンズのふた。「まったくばかげてる、時間の無駄だ」より)」
http://illcomm.exblog.jp/9314829

 繰り返しますが、私たちの一番の不満は、あれだけ反左翼キャンペーンが繰り広げ
られながら、実際には集会場やデモ隊列のどこにも、潮流と呼べるだけの左翼が存在
していないことです。「安倍政権と対決しうるだけの左派潮流の登場」という大衆的
な要請について、それに反対する左派はほとんどいないと思います。ところが実際に
は、暗闇の中で小さなたいまつをかかげながら、「わが派に結集せよ」という声しか
聞こえてきません。

 従来からの関係の延長線上での「無理のない」共闘や、各地の組合、住民・市民団
体の一人としての参加なども、とても大切な闘いだとは思います。しかし今はもっと
大胆な潮流的な登場をこそ追求するべき時ではないでしょうか。私たちは皆さんに、
大衆の一人としてこのような左派潮流の可視的な登場を要請、いえ!もはや要求する
ものです。

われわれを見殺しにするな!

2013年9月15日 「10・13反原発統一行動」参加予定者有志」

(呼びかけ人)
 西葛西善蔵(大学非常勤講師)、水畑涼(高校生)、草加耕助(サイト旗旗主宰)
 まっぺん(レッドモール党)、あるみさん(ブロガー)、中野由紀子(出版労働
者)
 花田娯作(共産趣味者)、乱鬼龍(川柳作家)
 ネオリベにゃんきち(反原発にゃんにゃん党)

(賛同人)
 アッテンボロー(ブロガー)、相沢耕平(大学院生)、西多賀(仙台市民)
 まつき(共産趣味者)、戸田ひさよし(大阪府門真市議・革命21)
 生田あい(社会運動家)、Bird(普通のおっさん)、野次馬の視線(共産趣味者)
 匿名希望1(国策日の丸原発推進に怒れる主婦)
 匿名希望2(神奈川から関西への避難移住者)

連絡先:zigzagkai at gmail.com

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※この呼びかけ文への賛同を募集中です
 ○掲載する名前(あれば肩書き)と連絡先アドレスなどをお知らせください。
 ○よろしければ一言メッセージなどそえていただけると幸いです。
 ○匿名希望やメッセージ公表の可否などご希望がある場合はその旨も明記してくだ
さい。
 ○メール:zigzagkai at gmail.com

 以下をコピペしてお使いください↓
  ・名前:
  ・肩書き:
  ・一言:
  ・公開:可 否
  ・その他



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