[CML 027434] 「ふつうの目の大切さ」ということについて ――半澤健市さんの「みのもんたと天野祐吉」という文章に即して考えてみる

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2013年 11月 4日 (月) 18:42:39 JST


コラムニストの半澤健市さんは向学の人のようです。「元金融機関勤務」という経歴を肩書きにしているようですが、半澤さんが
2007年に上梓された『財界人の戦争認識-村田省蔵の大東亜戦争-』(神奈川大学・歴史民俗資料学叢書2)という著書の
奥付には次のように「著者紹介」が記されています。

      「1935年東京生まれ。都立立川高校を経て1958年一橋大学社会学部卒。野村証券、東洋信託銀行(現三菱UFJ信
      託銀行)、いちよし証券に勤務して1995年に定年退職。2006年神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期
      課程修了。歴史民俗資料学博士・・・」

60歳で定年退職されてからその60歳代から70歳代にかけてさらに大学院に進んで学ばれたということのようですから、「向
学の人」という言葉はこういう人にこそふさわしいというべきでしょう。ご本人は「元金融機関勤務」と謙虚に肩書きを提示されて
いますが、私は半澤さんを彼の文章の粋からコラムニストと呼ばせていただこうと思います。

その半澤さんが「リベラル21」ブログに「ふつうの目の大切さ」ということについて書いた「みのもんたと天野祐吉」という一文を
寄稿されています(ただし、「ふつうの目の大切さ」というのは、私が半澤さんの文章を読んでの解釈であって、半澤さんご自身
が「ふつうの目の大切さ」ということを主題にして書いているということではありません)。

      ■みのもんたと天野祐吉―「混ぜっ返し」と「小判鮫」―(リベラル21 半澤健市(元金融機関勤務) 2013.11.04)
      http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2570.html

半澤さんは上記でみのもんたの「報道風番組退場」については次のように書きます。

      「みのに関する報道は息子との関係への批判以外のものは何もなかった。私が知りたかったのは、みのもんたは
      「ジャーナリスト」として何をしたのか、何をしなかったのかである。脱原発・特定秘密保護法・TPP・靖国参拝・集団
      的自衛権。こういうテーマを彼はどう考えていたのか。その言説は世論にどんな影響を与えたか。しかし報道はそれ
      について触れることはなかった。私の感想は、彼がテレビ画面で見せたのは単なる「混ぜっ返し」である。それを論
      じないで息子の犯罪を論ずる報道は井戸端会議の方法である。大宅壮一による「一億総白痴化」の予言は、いまも
      「みのバブルとその崩壊」という一好例に結果している。」

また、天野祐吉については次のように書いています。

      「天野祐吉は気の利いたエッセイを書いていた。私も面白く読んだものである。商品の宣伝媒体たる広告を「批評の
      対象」としたのが彼の業績だという。しかし天野の批評によって広告は良くなったのか。悪くなったのか。何も変わら
      なかったのか。(略)天野祐吉は、電通などの広告代理店を徹底的に批判をしたことはあるのだろうか。広告業界は、
      クスリやテレビやクルマの広告だけでなく、メディアと共同してTPPや原発再稼働といった壮大な世論形成を仕事に
      しているという。広告批評は、所詮業界に寄生する小判鮫である。彼らは母体を離れては生きられない。こういうもろ
      もろについて、天野祐吉が状況を考え抜き、事態を読み込み、自説を書き切った「批評」が、もしあれば読みたいも
      のである。」

私のいう「ふつうの目」とは上記の半澤さんのように対象を「見る目」のことを言います。当たり前と言えばあまりにも当たり前の
ことですが、半澤さんの目は「みのもんた」や「天野祐吉」という世上に流通しているいわゆるステータス・ラベルに依拠していま
せん。自分の目でものを見ています。その上でものごとを評価しています(「みのもんた」と「天野祐吉」の評価)。

こういう「ふつうの目」を持っていれば、私は、山本太郎の「放射能デマ」に加担した行為に目をつぶったり(注1)、藤原紀香の
「秘密保護法」反対発言を過剰に評価したり(注2)、堤未果をこれまた過剰に評価したり(注3)、さらにはまた、小泉純一郎を
これまた過剰に評価したり(注4)などなどの現象(私は「負の現象」だと思っています)は起こりえなかったはずだと思うのです。

いま私はこれらの現象を「負の現象」だと言いました。アドルフ・ヒトラーが「時のスター」として台頭したとき人々の多くは「時の
スター」であるヒトラーに付和雷同しました。その結果がいかに悲惨なものであったかはいうまでもないでしょう。「毛沢東崇拝」、
「スターリン崇拝」にしてもしかりです。あの文化大革命がいかに悲惨であったか。あの「スターリン粛清」がいかに悲惨なもの
であったか。これもまたいうまでもないでしょう。人は私が持ち出した例が極端すぎるというかもしれません。しかし、私はそうは
思いません。「ふつうの目」を持たないことがいかに悲惨な状況を結果として出来させてしまうかの左記はよき例証になりえて
いると私は思います。小さなことが大きなことにならないとは限らないのです。そして、いつの時代もそうでしたが、大きなことに
なってからはすでにとりかえしがつかないのです。

「ふつうの目」を持つ半澤さんに山本太郎のことについて書いた文章があります(「山本太郎の選挙演説を聴く ―どこまで検証
が必要かという問題―」ちきゅう座 2013年7月26日)。
http://chikyuza.net/n/archives/36550

半澤さんは山本太郎についてはじめは好意的に文章を書いています。しかし、その文章の最後の「山本太郎への懐疑的な言
葉を知る」という項では次のようなひとことも附記しています。

      「山本太郎は、666684票を獲得して、東京選挙区の第4位で当選した。彼へのオマージュでこの文章を終わるつも
      りだったが、気になる文章に遭遇したので書き留めておく。大学の同級生が個人コメントを発信してくる。元企業戦士
      として標準的な常識の持ち主である。今回、彼から来信したのは、石井孝明という人による山本太郎批判である。(略)
      石井のプロフィルをみると、慶大経済卒、時事通信記者を経て現在フリージャーナリストと書いてある。これだけでは
      石井が信頼できるか否かは分からない。ただ、かなり口汚く罵っているという印象を与える。この種の関連情報はネ
      ット時代における言説への信頼性の問題を提起する。私は山本から得た感動を疑う気はないが、石井言説が気にな
      らないといえばウソになる。私の知人が石井の言葉に反応して送信してきたからである。そんなことは自己責任で判
      断すべきだといえば問題は起こらない。しかし一人で考えるテーマでもないので敢えて書いておくのである。ネット情
      報解読ノウハウ総論に至る可能性もある。読者の日常の作法や考え方も是非知りたい。いささか後味の悪い山本太
      郎論を終わる。」

「ふつうの目」を持つ人は自分の目で見た情報すら懐疑するまなざしを忘れないのです。半澤さんの山本太郎評価はその後ど
うなったでしょうか? 知りたいところです。

注1:「デマッターとしても著名な山本太郎さんが、ついに選挙演説でもデマをまきちらし始めた」(2013年07月17日更新)
http://matome.naver.jp/odai/2137395623585939401
注2:「言論人・知識人」(ときとしていわゆる「芸能人」も含む)の評価の問題について――藤原紀香「特別秘密保護法案」パブ
コメ問題 3
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-675.htm
注3:「堤未果さん」といういまも続く現象について
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-149.html
注4:小泉元首相「脱原発」発言評価はどういう地点に行き着くか。また、毎日新聞「風知草」の小泉元首相「脱原発」発言評価
の自画自賛について
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-687.html


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