[CML 027354] なぜか美しいと思い、体が震えた。皇后陛下のことば 自分と向き合って伝える 作家・高橋源一郎

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2013年 11月 1日 (金) 02:11:25 JST


新聞記事
朝日新聞・名古屋本社
9月31日
皇后陛下のことば 自分と向き合って伝える 作家・高橋源一郎
http://digital.asahi.com/articles/TKY201310300733.html?ref=pcviewer

なぜか美しいと思い、体が震えた。

 何年も前の国際児童図書の大会で、ある女性が基調講演を行った。
わたしは、それを偶然読み、わたしの中でなにかが強く揺り動かされるのを感じた。

 彼女は、自らの個人的な、戦争と疎開の不安な経験について、それから、
時に子どもたちが感じなければならない「悲しみ」や「絶望」について語った。
中でも、わたしの記憶に焼きついたのは、次のことばだった。

 「読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。
私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。
人と人との関係においても。国と国との関係においても」〈1〉

 以来、わたしは、彼女が書くもの、彼女の語ることばを、探すようになった。
彼女とは、美智子皇后である。

 今月、79度目の誕生日を迎えた皇后陛下が、「この1年、印象に残った
出来事やご感想を」という宮内記者会の質問に対して回答を寄せている〈2〉。

 他を圧して長かったのは、憲法に関する部分だった。「今年は憲法をめぐり、
例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます」とした後、皇后は
「五日市憲法草案」についての思いを吐露されている。

 明治憲法の公布に先立ち、数十もの憲法草案が民間で生まれた。
現憲法に通じる「人権の尊重」や言論、信教の自由を強く訴えた「五日市憲法」は、
忘却の淵に沈んで後、起草からおよそ90年たって土蔵の中から発見された。

 「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の
未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えた」と書かれた後「長い鎖国を経た
19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識」と続くくだりで、
わたしはことばにならない思いを感じた。

 今回の皇后の「おことば」では、亡くなった親しい方々への哀悼もまた目立った
ように思えた。

 皇后は、「暮しの手帖」の共同創刊者・大橋鎮子、現憲法制定に深く関わった
ベアテ・ゴードン、岩波ホールの高野悦子といった人々の名をあげ、「私の少し前を
歩いておられた方々を失い、改めてその御生涯と、生き抜かれた時代を思っています」と 

書かれた。

 その静謐なことばに接しながら、わたしは、「暮しの手帖」のもうひとりの創刊者、 

花森安治の「ぼくらはもう一度、倉庫や物置きや机の引出しの隅から、おしまげ
られたり、ねじれたりして錆びついている〈民主々義〉を探しだしてきて、錆びをおとし、
部品を集め、しっかり組み立てる。
民主々義の〈民〉は庶民の民だ。ぼくらの暮しをなによりも第一にするということだ」 

ということばを思い出した〈3〉。
また、ベアテ・ゴードンが提出し、ついに日の目を見ることがなかった、世界でもっとも
進んだ「女性の人権」条項を脳裏に浮かべた。
あるいは、高野悦子の「どんなによくできた映画でも、戦争を賛美するものや、
暴力的なものには心が動かない」ということばもまた〈4〉。

 追悼のことばの後段には、「陛下とご一緒に沖縄につき沢山のお教えを頂いた」として
沖縄学の泰斗、外間守善の名前があった。
外間守善は、沖縄戦最大の激戦地・前田高地から奇跡的に生き延び、あの戦争の
意味を生涯問い続けた。外間の晩年のことばも忘れられない。

 「私の体に食い込んだ弾や石の破片はおよそ十年の歳月をかけて取り出された。
手術によるものもあるにはあったが、多くは身体が毒を吐くように異物を皮膚の外へ
押し出していった。
風呂場で身体を洗いながらポロリとそれが転がり出る度に、私は前田高地を
思い出していた」〈5〉

 今月も「論壇」には、いくつもの優れた思索、論考、ことばを見つけることができた。 


 「文芸春秋」の「日中韓米 知識人大論争」〈6〉は、どのように思想的立場が異なっても、
直に向き合うなら、対話の可能性があることを(参加者の意図とは別に)証明している 

ように思えた。
また、「新潮45」に続いて掲載された藻谷浩介の対談〈7〉は、この国の未来について
優れたアドバイスを提供してくれた。
「POSSE」〈8〉や「Journalism」〈9〉の特集も充実していた。
にもかかわらず、それらを差し置いて皇后のことばを大きく取り上げたのには理由がある。

   「論壇」は、政治や社会について考え、語り、時には批判し合うところだ。
それは、この世界で生きてゆかねばならないわたしたちにとって無縁であるはずがない。 

なのに、わたしたちは、時々、そこで使われることばが、あるいは、ジャーナリズムで 

使われることばが、どれほど真摯なものであっても、自分たちとは無関係であるように 

感じる。
自分たちとは「遠い」ところで、話されているように感じるのである。

 わたしは、皇后のことばを読み、それから、そこで取り上げられた人たちのことばを、 

懐かしく振り返り、彼らのことばには一つの大きな特徴があるように思った。
彼らは、「社会の問題」を「自分の問題」として考え、そして、それを「自分のことば」で 

伝えることができる人たちだった。
そして、そのようなことばだけが、遠くまで届くのである。

  〈1〉皇后美智子さま「国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会基調講演」
(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html

 〈2〉同「宮内記者会の質問に対する文書ご回答」
(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html

 〈3〉花森安治『一戔(いっせん)五厘の旗』(1971年刊)

 〈4〉高野悦子『母 老いに負けなかった人生』(2000年刊)

 〈5〉外間守善『私の沖縄戦記』(06年刊)

 〈6〉司会・宮崎哲弥「日中韓米 知識人大論争」(文芸春秋11月号)

 〈7〉藻谷浩介・嶋田哲夫の対談(新潮45・11月号)/同・山田桂一郎の対談(同10月号)

 〈8〉特集「安倍政権はブラック企業を止められるか?」(POSSE・20号)

 〈9〉特集「憲法改正とメディア」(Journalism10月号)

    ◇

 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。
「SIGHT」57号での内田樹さんとの対談では、五輪騒ぎや原発について語った。 



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