[CML 024397] 北島さんの「忌避申立人告発書」と「華青闘告発」の関連性について~Re: 熊本法廷・小野参考人出廷忌避申し立て書

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2013年 5月 22日 (水) 00:35:36 JST


北島さんの標記のご投稿を受けて下記のような記事を書きました。

■北島教行さん(福島第一原子力発電所事故収束作業員)の原発民衆法廷・第8回・熊本公判における「小野参考人出廷忌避
申し立て書」の趣旨に賛同する(弊ブログ 2013.05.21)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-581.html

さて、北島さんの標記申立書中にある「忌避申立人告発書」はかなり強烈な弾劾の書になっているのですが、同告発書の理解の
ためにもという意をこめて弊記事中の「私はこの北島教行さんの「小野参考人出廷忌避申し立て書」の趣旨に賛同するとともに今
回の北島さんの迅速果敢な行動に賛意を表したいと思います」という一文の注として下記のような文章を挿入しました。

ご参照いただければ幸いです。

      *ところで、下記申立書の「忌避申立人告発書」の文中に出てくる「華青闘告発」という言葉は大方の読者にとっては耳
      慣れない言葉だと思いますので、引用者としてその点について若干の補足説明をしておこうと思います。「華青闘」という
      のは「華僑青年闘争委員会」の略称です。1970年代、日本政府は従来の出入国管理令に替わり、新たに出入国管理
      法の制定を目指していましたが、華青闘はこの出入国管理法制定を阻止する目的をもって日本在住の華僑によって19
      69年3月に結成された組織です。華青闘告発というのは、その華青闘が1970年7月7日の「盧溝橋33周年・日帝のア
      ジア再侵略阻止人民大集会」当日、その集会の席上でそれまで共闘していた新左翼セクト各派を猛烈に批判したことを
      指してそう呼びます(wikipedia『華僑青年闘争委員会』)。

      小熊英二さん(慶應義塾大学教授)のベストセラーになった『1968』(下巻、新曜社 2009年)によれば、その告発は次
      のようなものであったようです。

            「何故、われわれは、集会実行委員会から脱退したのか? 日本の新左翼も又、排外イデオロギーを持ち続
            けているからだ。在日朝鮮人中国人の入管闘争に対して、反戦・全共闘はそれを支援し連帯する闘いを一貫
            して放棄してきた。65年日韓闘争の敗北によってもたらされた在日朝鮮人の過酷な事態を直視せず、69年
            位管闘争を10・11月決戦に解消し、4・19朝鮮学生革命〔1960年4月に韓国の李承晩政権が学生らの蜂
            起で倒れたこと〕への無知をさらけ出しながら世界革命を呼号している」。/「われわれは、在日朝鮮人・中国
            人の問題は、決して新左翼の中に定着しなかったと断言する。そのような事態に対する根底的自己批判なくし
            て、連帯は空文に等しい」。/「諸君は日帝のもとで抑圧民族として包摂されていることを自覚しなければなら
            ない」。/「抑圧民族としての自己の立場を自覚しそこから脱出しようとするのか、それとも無自覚のまま進む
            のか。日本帝国主義に対決するのか、それを擁護するのか。立場は2つにわかれている」。(同書257-258頁)

      この批判に、セクト各派やノンセクト活動家たちは衝撃を受け、それまで盧溝橋33周年集会の実行委員会事務局の人
      選を巡って華青闘と対立していた中核派などは自己批判を行なったといいます。

      北島さんの「忌避申立人告発書」は本人自身も「『華青闘告発』と同じように述べねばならないことを悲しむ」と述べている
      ように明らかにこの「華青闘告発」を意識してその文体を模して書かれているように見えます。その北島さんの意を汲んで
      私たちは「忌避申立人告発書」を読解する必要があるでしょう。なお、「忌避申立人告発書」文中の「1977年7月7日の
      『華青闘告発』」は1970年7月7日の誤りだと思われます。



東本高志@大分
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