[CML 024152] 憲法をどう論じようか 池澤夏樹

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2013年 5月 11日 (土) 00:42:18 JST


新聞記事
朝日新聞2013年5月9日夕刊

憲法をどう論じようか 
揶揄せず原則に返ろう
池澤夏樹

選挙を前にした各党の政策は言わば定食のようなもので、有権者は料理の一つ一つを選ぶことはできない。

この前の選挙で自民党はともかく主食がたっぷりというメニューを用意した。
みんなおなかが空いていたらしく、この経済優先の政策は票を集めた(タニタの社員食堂に比べるとずいぶんメタボっぽい)。

この定食にはずいぶん味の濃いおかずがついていた。隣国軽視であり、原発の運転再開と憲法改正への道筋である。
夏の参院選ではこのあたりが問題になるのか、あるいは山盛りのどんぶり飯がまだうまそうに見えるのか。

日本は今、ゆるやかな衰退期にある。少子化と高齢化はその指標だ。

衰退に対して、事態の一つずつに対策を考えて現実的に応じればいいのだが、それでは間に合わないと苛立つ人たちが増えている。
思い切った変革を訴え、たとえば憲法改正を提言する。

「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、
民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」と言うのは「日本維新の会」の綱領。

これこそいわゆる自虐史観ではないのか? 日本は本当にこの世界で孤立と軽蔑の対象になっているか? 
それが日本国憲法のせいなのか?

しかし反論は慎重でなければならない。戦前の叛乱将校の蹶起文のよう、などと揶揄して済ませてはいけない。
彼ら青年将校の赤心は……とイメージがついてきてしまう。

政治とは政策であると同時にイメージ操作である。
この時代、その傾向はいよいよ強い。
かつてゲッベルスが見抜いたとおり、活字よりは音声、理屈よりは印象、思考よりは気分が優先される
(だから石原慎太郎氏は敢えて暴走老人を演じるのだ)。
旧来のやりかたで、一国の運営は論を尽くしてなどと言っていたら、あっという間に空気が変わってしまう。
昔ながらの護憲論は負け犬の遠吠えになりかねない。

憲法というのは国家の横暴から国民を守るものである、と原則論をもう一度説かなければならないようだ。

占領軍による押し付けと言うけれど、合衆国憲法を押し付けられたわけではない。
欧米が時間をかけて培ってきた民主主義・人権思想・平和思想の最先端が敗戦を機に日本に応用された。
そのおかげでこの六十年の間、日本国は戦闘行為によって自国民も他国民も殺さずに済んだ。特別高等警察による拷問や虐殺はなかった。

必要ならば何度でも説明する。

「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、
諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。」

自民党の「日本国憲法改正草案」の「前文」の一部である。

これ、文章としておかしくない?

「……重要な地位を占めており」までは現状分析だが、その後の部分、「……に貢献する」のところは意思の表明である。
この二つを一つのセンテンスに押し込めるというのは、高校生程度の日本語作文能力がある者ならばしない過ちだ。

意味論で言えば、「先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて」と、「大戦」と「災害」を同列に置くのは歴然たる責任回避。
災害は否応なく到来するものであるが、戦争は主権国家がその意思をもって引き起こすのだ。

安倍首相は、未)だ確定した侵略の定義はないと言うが、それは暴論。
他国の領土に軍を送ることが侵略である。
日本は朝鮮を植民地とし、満州に傀儡政権を立て、中国を侵略した。
これを事実として共有しなければ、東アジアに安定した国際関係は成り立たない。

すなわち改憲派の言い分は突っ込みどころ満載で、おいおいそこからまた教えるのかよ、とぼやきたくなる。
だが、いかに愚直に見えようとも今は着実に論を積むしかないのだ。

「政府は、国民みなが信じて託した一人一人の大事な気持ちによって運営される。
政府がいろいろなことをできるのは国民が政府を支えるからである。
政府の権力は私たちの代表を通じて行使されるし、その結果得られる幸福はみなが受け取る。
これは政治というものについての世界の人々の基本的な考えであり、私たちの憲法もこの考えを土台にして作られている。」

現行の「日本国憲法」の「前文」をぼくの文体で訳し直したものだ(『憲法なんて知らないよ』)。
この論旨は今でも新鮮だと思う。

自民党の草案には民主国家として克服したはずの問題がゾンビーのようにうごめいている。
ゾンビーと名付ければ退治もできる。
これをぼくなりのイメージ戦略としてみようか。(作家)


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