[CML 023281] 前田は障害者差別をしたのか(ご意見求む)

Maeda Akira maeda at zokei.ac.jp
2013年 3月 25日 (月) 10:59:53 JST


前田 朗です。

3月25日

浜田さん

ありがとうございます。

「もっぱら差別のためにつくられた言葉」や「もっぱら差別のために使われてき 
た言葉」についての理解は私 も同じです。

なお、私は「差別語」「差別用語」という言葉を用いません。「差別語」と呼ば 
れる言葉であれ、そうは呼ば れない言葉であれ、文脈によって差別的に用いら 
れれば、それを「差別表現」と考えています。とはいえ、浜田さんが指摘されて 
いること と、内容上はほぼ同じ考えです。



> 差別されている側が差別に敏感であるのは当然なことです。
> 差別する側の人間が鈍感であるのも、残念なことに事実です。
> 差別が現実にある以上、差別と日ごろから闘っている人間でない限り、「私は差別しないよ」と言う善人こそが差別を再生産し、差別的社会構造を容認・維持している人間だと思います。


この点が重要ですね。

差別しがちな側にいる人間が差別でないつもりでいても、差別されてきた側の人 
間にとって差別的に聞こえる場合 があります。

その時に、「差別ではないけれども、他の表現が可能なら他の表現を採用しよ 
う」というのは、確かに一つの考え です。以前、泥さんも指摘されていまし 
た。それに異議があるわけではないのですが、「差別か、差別でないのか」とい 
う本来の問いをかき消 してしまうことになります。

「差別か、差別でないのか」という問いを問い続けるよりも、あいまいな領域を 
残して、「差別ではないけれど も、他の表現を使いましょう」というのが大人 
の態度だと言われれば、それにも反対はしませんが、やはり疑問は残ります。

他方で、「ただちに差別ではない、と断定できないのならば、やはり使用を避け 
るべきだ」とか、「差別でないと 思っていても、差別だと感じる人もいるのだ 
から、使用を避けるべきだ」という考え方もありうるとは思いますが、これらも 
あいまいさを残す 解決法です。

差別か否かの判断基準は、セクシュアル・ハラスメントの判断基準と同様の基準 
で良いのだろうと考えています。

よく「そんなつもりはなかったのに、女性(被害者)がセクハラだと感じたらセ 
クハラだ、というのは基準がおか しい」と言う人がいますが、セクシュアル・ 
ハラスメント裁判で用いられている判断基準は、「一般人の主観」基準、です。 
同じ状況に置かれ た場合に他の女性たちも同じように被害を感じるであろうと 
判断できればセクシュアル・ハラスメントになる、というものです。単に「被害 
者 の主観」ではなく、「被害者と同じ状況に置かれた一般人の共同主観」基準 
です。その意味で社会的判断です。

この考え方で言うと、

(1)「日本政府は頭がおかしい」とか、「東京電力は頭がおかしい」という言 
葉が、

(2)明らかに日本政府批判、東京電力批判の文脈で用いられている場合であって、

(3)その文脈の前後において障害者のことを想起させるような言説がなかった 
場合にまで、

(4)障害を持った人の多くが、

(5)これを障害者差別だと受け止めるだろうか、

と言うことになります。

私にはそうは思えません。

また、私に問題提起をしてくださった方も、この点について何も具体的な判断を 
示していません。

この辺りをもう少し考える必要があるか、と思っています。









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