[CML 025184] 地方から見える日本・アベノミクス・・・映画サウダーヂ監督・富田克也さん
BARA
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2013年 6月 29日 (土) 21:51:54 JST
新聞記事
朝日新聞・朝刊 2013.6.28
地方から見える日本・アベノミクス・・・映画サウダーヂ監督・富田克也さん
http://digital.asahi.com/articles/TKY201306270542.html?ref=pcviewer
疲弊する地方都市のうめき声が聞こえた気がした。
山梨県甲府市が舞台の映画「サウダーヂ」は、出口が見えない地方の現実をドキュメンタリー風に
活写した作品だ。
公開から2年たっても、各地で上映が続いている。
富田克也監督には、アベノミクスと今の社会がどう映っているのか。富田さんと故郷・甲府の街を歩き、
尋ねた。
《東京から西へ延びる国道20号。甲府へと車を走らせると、郊外に大型店が増えてくる。
パチンコ店、衣料品店、焼き肉店、またパチンコ店。
「この辺は昔は畑や田んぼ、地元の中古車屋だった」と富田さんは言う。
「東京のチェーン店ばっかり並ぶ、こんな露骨な風景に変わって15年ほどになるかなあ」》
ここ、この交差点ですよ。ある日信号待ちしていたら、右手のパチンコ屋を出た男が車道を渡り、
消費者金融でお金を引き出すと、また店に戻っていった。
僕が最初の映画を撮るため、毎週末、東京から車で帰っていたころです。
わざわざ渡らなくても、真横に別の消費者金融はあった。
そこで考えたんです。
きっと上限に達して、そっちでは借りられなかったんだろう。
でも待てよ。
僕らが欲しかったのは、こんな「便利」な暮らしか。
店はどれも違うように見えて、みんな東京の資本じゃないか。
結局、僕らは吸い上げられるだけの存在、手のひらで踊らされているだけだろ、って。
そこで撮ったのが、パチンコ通いの若者を描いた「国道20号線」です。
その上映で地方を回って驚いた。どこへ行っても、こことそっくりの風景が広がっていた。
ああ、そうか。
僕らが撮ったのは日本の縮図だったんだ。
この国の本当の姿は地方でこそよく見えるんだって、わかりましたね。
じゃあ今度は、疲弊する地方都市そのもの、街の中心の話を撮ってやろうと思ったんです。
《映画「サウダーヂ」はJR甲府駅前の「中心」と呼ばれる繁華街でロケした。
真ん中の銀座通りで半世紀、眼鏡店を営む小河内欣二郎さんの店の向かい3軒はシャッターが
下りたまま。
さらに右は駐車場に、左は公園になった。「ここにアベノミクスの効果なんてないですよ」
地元スーパー社長の小林久さんは映画に心を揺さぶられ、銀座通りに出店を決めた。
街の中心で多くのお年寄りが買い物難民になっていたからだ。
「298円のお弁当が売れる。自分で防衛しながら、穏やかに暮らすのが庶民。株価で一喜一憂
する世界とは関係ありません」》
見てください。
ここは甲府のギンザですよ。
買い物客や勤め帰りが一番多いはずの夕方ですよ。
それが、まるでロケのセットかと思うくらい人がいない。
実際、ここで撮影したときも人止めする必要はありませんでした。
でも僕が中学生のころは違った。
人混みで肩がぶつかる街だったんです。
みんな、どこへ行っちゃったんだろうって感じですよ。
「夢を持って生きなさい」と言われて僕らは育ちました。
でも高度成長が終わり、バブルがはじけ、シャッター街になって、ハタと見渡したら僕らは実は何も
手に入れていなかった。
それどころか、すべて失ってしまったんじゃないか。
ここに立つと、そんな感覚を強烈に覚えます。
僕らがここで映画を撮っても、上映してくれる映画館すら、もはやこの街にはない。
文化まで、はぎ取られてしまったんです。
建設現場の作業員を主人公にしたのは、地方の疲弊が一番はっきり表れていると思ったからです。
国の財政難で公共事業が減り、安い仕事しかなく、身も心もボロボロだと、土木作業をしている
同級生から聞いていました。
映画に作業員役で出てくれた友達です。
追い込まれた地元は、土建業界に限らずあらゆる業界が極限まで切り詰め、人を減らしてしのいできた。
いまさら公共事業を増やすと言われても、急に対応できるはずもありません。
この社会はもう続かないかもしれない。
何か新しい考え方、価値観に変えていかないといけない。
3・11もあり、人々がやっとそんなふうに感じ始めていた。
その感覚を再びカネの魔力で封じ込めよう、というのがアベノミクスじゃありませんか。
ペレットストーブの販売を始めた友人がいます。
地元の木を利用し、雇用を生み、エネルギーも自給したいという。
会社のもうけのために自分を殺す仕事じゃない。
もっと本来の労働、地域で生きるための仕事、仕組みが必要なんです。
いまは地方のほうが面白いですよ。
すっかり寂れた分、何かやろうという意識も高まっていますから。
《桃畑が広がる笛吹市一宮町。
ラブホテル街を上がった先に、映画に出演したヒップホップ・グループ「stillichimiya」のメンバー
Young-Gさん(30)が間借りする家がある。
「俺、全然お金ないっすけど、何とか好きな音楽で食えてる。十分です」
仲間と3年ほど東京で暮らしたが、「地に足をつけた音楽をやろう」と5年前に故郷に戻ってきた。
「自分の身の丈を歌い、他人にも共有してもらえる。それがこの音楽の魅力。
良すぎる暮らしをしている奴らがまだ不満で、もっと欲しいっていうのがアベノミクスでしょ。
それは求めすぎでしょ」》
僕らは故郷が嫌で嫌で、東京にあこがれて逃げ出した世代です。
ここまで来るのに随分、試行錯誤し、時間がかかった。
ところが一世代下の彼らはすでに歌で現実と向き合い、僕らと同じほうを向いていた。
しかも芸達者でユーモアもある。
一緒にやろう、と映画に誘ったんです。
役柄は、実際の彼らとはまるで違ったんですが賛同してくれて。
自分の街や暮らしが、こんなにひどいことになっている。
不満と不安の中で生きている。
そんな日常にさらされ続ければ、何かやりがいを伴う実感がほしくなるのは人情でしょう。
でも、そこで手軽なのが「ニッポンの誇り」を背負うこと。
それがいまの危なっかしい風潮だと思うんです。
在日コリアンへのヘイトスピーチもそう。
自分が背負っているつもりの日本という国が、実は自分たちを追い込んできたはずなのに、
そこにすがりつくしか、もうプライドを保つことができないでいる。
実際、土木の現場で「外国人が俺たちの仕事を奪ってんだぞ」という言葉を耳にしました。
映画でも若者が日系ブラジル人に反発を募らせ、ついにはナイフで刺しに行く結末にした。
本来なら手を携えて、自分たちを抑え込んでいるもっと上の権力をこそ撃つべきなのに。
昨年末の総選挙で、自民党が秋葉原で街頭演説し、日の丸を持った若者が大勢集まりました。
あれが象徴的だと思うんです。
「君たちそれでいい、夢の世界にいなさい」って言っているように聞こえました。
おとなしく税金払ってモノを買う消費者が、権力者には一番なわけですから。
現実から切り離され、バラバラに分断されたあげくの消費です。
《トラック運転手や土木作業のアルバイトで食いつなぎながら、富田さんは映画のリサーチに
1年をかけた。
「いま生きている世界のリアルなものを映像にしたかった」という。
映画は海外でも評判を呼び、仏ナント三大陸映画祭ではグランプリを獲得した。》
どこに行けばいいのか、何をしたらいいのか、わからないのが今の世の中です。
だからこそ、僕は自分の手触り、実感が大事だと思うんです。
何か思っていることをやってみる、作ってみる。
そこで初めて社会、世界と対峙(たいじ)する。
そうすると世間は「君は間違っている」とか言って詰め寄ってくるでしょう。
僕らも昔、「こんな映画、誰もみないよ」と言われましたから。
でも、そんなことであきらめるわけにはいかない。
作り続けているうちに「面白い」と言ってくれる人が出てきた。
やっぱり僕たちにも味方がいる、とわかった。
でも見つかるまでが大変なんです。
僕らにとって映画づくりは、世界の感触を確かめ、どこにいるかわからない仲間を見つける
作業なんだと思います。
「夢も希望もない映画だ」とも言われました。
でもそれは、かつての日本はよかった、元に戻りたい、しがみつきたいと思っている人たちですね。
この国はもう、これまでのようには回らない。
「もう嫌だ」と言っていいころじゃありませんか。
*
とみたかつや 72年生まれ。甲府の高校を卒業後、ロックの道を志し上京。
自主制作映画に転じ、03年に仲間と映像制作集団「空族」を立ち上げた。
<取材を終えて>
東京・渋谷で昨春、この映画をみたとき、満席の映画館は大勢の若者の熱気にあふれていた。
時代の袋小路を描いた地味な作品に、なぜ若い世代が吸い寄せられるのか。
その疑問は今回、解けた気がする。
年配者には見えにくい、社会の底流の大きな変化を、肌身に感じる若者もまた増えているということ
ではないか。
まだゆとりのある都会では見えにくいものが、地方からはよく見えるのと同じように。(萩一晶)
◆キーワード
<映画「サウダーヂ」> 11年公開。
167分。
不況と空洞化が進む甲府が舞台。
3人の土木作業員と出稼ぎの日系ブラジル人、タイ人ホステスらの人生が交錯する。
建設現場に派遣されたラッパーの若者は次第にうっ屈し、外国人を敵視していく。
「サウダーヂ」はポルトガル語で、郷愁や憧れ、失われたものを懐かしむ感情を意味する。
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