[CML 025029] 7月27日、福岡で、テーマ:「緑の政治の可能性−右でも左でもなく前へ」 FW: 第15回福岡オルターナティブ研究会の御案内
uchitomi makoto
muchitomi at hotmail.com
2013年 6月 21日 (金) 14:44:43 JST
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> Date: Fri, 21 Jun 2013 14:24:37 +0900
> Subject: 第15回福岡オルターナティブ研究会の御案内
> From: ago at seinan-gu.ac.jp
> To: ago at seinan-gu.ac.jp
>
> 第15回福岡オルターナティブ研究会のご案内
>
> 緑の政治の可能性を考える(西欧と日本)
>
> テーマ:「緑の政治の可能性−右でも左でもなく前へ」
> 講師:畑山敏夫さん(はたやま・としお、佐賀大学経済学部教授、政治学)
> 1953年生まれ。大阪市立大学大学院法学研究科博士課程修了、法学博士。
> 専門はフランス現代政治。著書に、『現代フランスの新しい右翼―――
> ルペンの見果てぬ夢』(法律文化社、2007年)、『フランス緑の党
> と
> ニュー・ポリティクス』(吉田書店、2012年)、『ポピュリズム時
> 代の
> デモクラシー』(共著、法律文化社、2013年)などがある。
> 日時:2013年7月27日(土)、午後2〜5時。
> 場所:西南学院大学大学院棟、2階講義室202/203
> (西南学院大学東キャンパス内の北西側の建物。前回の会場西南コミュ
> ニティ・センターから見れば、一つ北側の左手の建物です)
> 〒814−8511 福岡市早良区西新6丁目2−92
> 電話092-823-3952 (地下鉄西新駅1番出口から北側に徒歩5分)
> 報告要旨:来日したフランスのオランド大統領は、安部首相と会談して原発輸
> 出や核燃料サイクルの研究での協力で合意しました。オランドはフランスの大
> 統領であり、決してアレヴァ社のエージェントではありません。なのにそのよ
> うに原発に肩入れするのは、フランスも日本と同様に成長戦略の目玉を必要と
> していて、原子力産業による「欧州加圧水型炉」の輸出などに期待を寄せてい
> るからです。
> 社会民主主義政党であるフランス社会党は、1980年代に就任したミッテラン
> 大統領の時代から経済成長を優先し、フランス産業の国際競争力を重視する姿
> 勢をとってきました。政権掌握前に唱えられた「自主管理社会主義」は瞬く間
> に忘れ去られ、フランス産業の「近代化」が最優先課題になりました。オラン
> ド政権も、そのような流れの延長戦上にあるにすぎません。連帯や公正は二の
> 次で、競争力の強化と成長を優先する姿勢は保守勢力と共通しています。
> ヨーロッパ政治では、経済と金融の危機、失業の増加と雇用の不安定化、貧
> 困と社会格差の拡大を前に既成政党への不信と不満は高まり、選挙での棄権と
> 右翼ポピュリズム政党への支持は増大しています。そのような状況はある意味
> で日本にも通じるものですが、ヨーロッパ政治を見たとき一つだけ相違がある。
> それは新しい政治の選択肢が存在することです。欧州議会から各国の国政・地
> 方議会までエコロジー政党が参入・定着し、政権参加が実現している国もあり
> ます。日本でも7月の参議院選挙に緑の党が挑戦しますが、先輩格であるフラ
> ンス緑の党を題材にしながら、エコロジー政党の新しさとユニークさ、それが
> 登場してくる歴史的背景などについてお話してみたいと思います。新しい政治
> 的オルタナティヴとしてヨーロッパ政治で定着しているエコロジー政党につい
> て知り、考えてみる機会になれば幸いです。
> 参考文献:畑山敏夫『フランス緑の党とニュー・ポリティクス』(吉田書店、
> 2012年)
> 参加費:無料(会の趣旨に共感される方はどなたでも参加できます)。
> 終了後、近くの居酒屋で講師を囲む懇親会を行います。
> 主催:福岡オルターナティブ研究会、FNA(ADB福岡NGOフォーラム)
> 資料準備の都合上、参加を希望される方は事前にご連絡頂ければ助かります。
> 連絡先:kenjialter at gmail.comまたはFax:092-885-1132
>
> 友人の皆様へ
> 吾郷健二です。
>
> 第14回福岡オルターナティブ研究会は、去る6月8日(土)、講師に中山
> 智香子さん(東京外国語大学教授、経済思想史)、コメンテーターに今福龍太
> さん(東京外国語大学教授、人類学)のお二人を迎えて、35名の参加で行な
> われました。司会は私が務めました。豪華キャストの講師陣でしたので、本研
> 究会始まって以来の参加者数で会場が満席となり、議論は時間を超過して盛り
> 上がり、終了後の懇親会の参加者も23名の多数に及び、講師を囲んで、活発
> に議論と交流が遅くまでなされました。東京からはるばる博多までお越し下さっ
> た講師のお二人の社会的情熱に厚く御礼を申し上げたいと思います。
> 「新自由主義の思想的背景と意味を考える」と題した中山報告は、非常に分
> かりやすく簡潔で、多くの参加者から新自由主義がよくわかったと大変好評で
> した。
> まず、最近のサッチャー元首相の死をめぐるイギリス国内の分断した評価の
> 紹介(日本のマスコミでは賞賛と死を惜しむ声しか報道されないが)から始ま
> り、A.G.フランクの言葉に触発された中山さんの著書『経済ジェノサイド』の
> 問題意識が紹介された。すなわち、チリのピノチェトのクーデター(ラテンア
> メリカ人にとっては「もう一つの911」あるいは「もともとの911」とも
> いうべき1973年9月11日)を先駆として、サッチャリズムとレーガノミッ
> クスに代表される新自由主義政策はグローバリゼーション推進の世界的動向の
> 中で追い風を受けて、今日まで一貫して世界を支配しているが、実は経済政策
> と政治、さらには軍事や国防の在り方とは切り離すことができないものである
> こと。そして今、「新自由主義」時代を根本的に見直す時期に来ていること。
> フリードマンの考え方をショックドクトリン,惨事便乗型資本主義としたN.ク
> ラインの問題認識を引き継ぎつつ,よりピンポイントに1970年代に焦点を
> 当てて、フランクのフリードマン批判を取り上げたと述べられた。
> そして新自由主義の思想的基盤として、ニューヨーク・タイムズ・マガジン
> (1970年1月25日付け)のマンガを題材に、分かりやすく、フリードマ
> ン思想を説明された。すなわち、最も重要なこととして、政府と中央銀行は貨
> 幣供給量にだけ目を向け、利子率の規制やコントロールは止めて、自由にする
> こと。経済は(一時的には景気後退はするかもしれないけれども)、市場の自
> 由な回復に任せること。教育についても民営化して、バウチャー制をとること。
> 貧困対策は、(所得再分配ではなく)負の所得税で対処すること。そして市場
> への政府介入はすべて止めること。例えば、農産物価格支援、社会保障、石油
> 割当や補助金などは廃止し、裁量的な金融政策を実行している連邦準備制度(
> 中央銀行)も廃止し、法人税も廃止すること。要するに、「市場が効率的で万
> 能である」という市場制度への絶対的信頼である。
> しかし、重要なのは、フリードマン思想の内容だけでなく、それがメディア
> 戦としての側面をもつことだとされる。フリードマンは自らの思想の推進のた
> めに、雑誌や新聞に毎週書くだけでなく、テレビにも頻繁に登場し、思想宣伝
> に務めた。これに対抗する側も、ベトナム戦争反対の時代背景の中で、「企業
> の社会的責任」,消費者運動、反核兵器運動、徴兵拒否、ペンタゴン文書リー
> ク、カウンターカルチャーなど、メディアと文化で対抗する政治的文化が形成
> された。
> この時代背景の中で、フランク(1929−2005)の生涯が簡潔に紹介
> され(フランクは何と、シカゴ大学の出身で、フリードマンやハーバーガーに
> 直接習っていた)、1960年代からラテンアメリカで活動していて、チリの
> クーデターに遭遇し、ピノチェト政策を「経済ジェノサイド」だと定義したこ
> とが述べられた。1948年の「ジェノサイド条約」での定義(「国民的、民
> 族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部をそれ自体として破壊する
> 意図をもって行なわれる行為」)に照らせば、フリードマンの弟子たち(シカ
> ゴ・ボーイズ)が遂行したピノチェトの先駆的な新自由主義政策は、まさに、
> 国民の一定階層に失業、貧困、飢餓、健康水準低下をもたらし、犯罪増加と衰
> 弱と死亡をもたらすものとして、経済的なジェノサイドだとした。
> そして、重要なこととして、中山さんは新自由主義の見逃せない特徴として、
> 経済が政治や軍事と密接に連動していることであるとされた。グローバル化、
> 外国との競争、自由化、民営化、価格を付けること(つまり新自由主義経済政
> 策)とは、これまでの国家による「保護」の枠組みを撤廃することであり、今
> まで自由に得れていたものを改めて「買わ」なければならないということであ
> り、それは政治や制度の枠組みを変えることであり、結局、しわ寄せを受ける
> 相対的弱者の人たちの抵抗を粉砕する軍事や警察による圧迫を必然化すること
> であり、いったい、「国家は何のために機能しているか」という疑問を浮かび
> 上がらせるのだ、と。
> その後、80年代に入って、対抗文化の衰退とともに、サッチャリズムとレー
> ガノミクスが台頭し、新自由主義が世界化し、90年代以降「金融化」と「グ
> ローバリゼーション」の連動がフリードマンの思惑すらも超えて飛躍的に展開
> し、1%対99%の対立という現在の流れになっている。リーマンショック以
> 降、新自由主義を克服しようとする今日の世界の流れ(金融規制、タックスヘ
> イブン規制など)からすれば、フリードマンのマネタリズムに依拠するアベノ
> ミクスはむしろ時代に逆行していると言えようと結論された。
> コメンテーターの今福さんの報告も、ご自身の個人的思いも語られた大変興
> 味深いものでした。フランクと同じように、「ラテンアメリカ人になりたかっ
> た」26歳の今福さんは、1982年に「本当は行きたかった」ブラジルは遠
> すぎたので、途中のメキシコまで行かれた。初めてのラテンアメリカ経験だっ
> た。そこで多くの出会い(ルクレジオ、イリッチ、オクタビオ・パスなど)に
> 恵まれ(今福さんに私が出会ったのもこの時だった)、そこで後年の今福さん
> の世界を股にかけた豊穣な活動の基盤(知的自己形成期だと言われる)が形作
> られた。
> 今福さんの代表作『クレオール主義』の発想は、ラテンアメリカの被植民地
> 化された人々へのご自身の感情移入から醗酵してきたものに他ならないそうだ。
> 植民地を生み出す帝国主義には、政治的、経済的、文化的という三つの大きな
> 形態があるが、「政治的決定権は国民にある」という近代民主主義の概念は、
> 少なくとも植民地住民にはまったく当てはまらないし、経済的決定権ももたな
> い(それはもちろん先進国の多国籍大企業が握っている)。文化もまた、例え
> ば中山さんの報告(シカゴ・ボーイズ形成の留学生招聘プログラム)にあるよ
> うに、教育を媒介とした先進国の支配的イデオロギー的影響下にある文化的帝
> 国主義である。
> そのような中で、先進国出身でありながら、中山流に言えば、発展途上国の
> 「アントロポス」(この言葉もフランクの造語だとか)の立場に自らを置いた
> 二人の知識人、「放浪者」イリッチ(1926−2002)と「反逆者」フラ
> ンク(1929−2005)の非常に類似した生涯が跡づけられた。
> 二人は共に迫害され(神父であったイリッチはバチカンによって、フランク
> はとりわけ学会とアメリカ国家によって徹底的に迫害され、15年間にわたっ
> てアメリカ市民でありながら故国のアメリカに入国を拒否されていた)、転々
> と世界を放浪する中で、根底的な哲学的思想的な近代批判の視座を獲得するに
> 至った。すなわち、近代世界システム(世界資本主義)批判を展開したフラン
> クの「低開発の開発」の視座であり、近代産業社会批判を展開したイリッチの
> 「プラグを抜く」の視座である。彼らの独創的概念の意義は今、新たに本格的
> に蘇るのだ、と。
> 報告は興味深く、議論も活発で、大変楽しい研究会であったが、個人的に私
> 自身にも非常に関わりの深い話題であったので、たくさんの感興を書き連ねた
> い思いがする。最低限のことだけ書いておきたい。
> 1 中山報告の最大の意義は、「新自由主義と抑圧」の問題を明示的に真正面
> から取り上げ、指摘されたことであると思う。主流派の支配的論調は、ピノチェ
> ト・クーデターは確かに「人権侵害」の点から問題であるが、シカゴ・ボーイ
> ズが行なった新自由主義経済政策そのものは成功であったと両者を切り離して、
> 後者を肯定的に評価する。新自由主義が「内在的に」抑圧と必然連関している
> などと考えないのである。日本でも、新自由主義の抑圧的本質に言及した研究
> など見当たらない。経済学者は言うまでもなく経済面以外のことには関心を持
> たないが、政治学者にしたところで新自由主義が軍隊や警察といった抑圧装置
> を必然的に必要とするなどと言うのを私は知らない。しかし、中山さんと同じ
> ように、例えば、サパティスタの声明は、「軍隊と警察が襲撃や暗殺を生み出
> すことなしに、新自由主義が世界の現実になることなど不可能である。国民の
> 抑圧は、新自由主義が課すグローバリゼーションの必然的な前提である。」と
> 言っている。
> 関連して、第12回研究会での小笠原みどりさん(ジャーナリスト,元朝日
> 新聞記者)の「監視・管理・識別・分類」社会の報告が思い出される。今日の
> 世界の新自由主義の現実は、総背番号制、IT技術(ネット)による違法情報収
> 集、盗聴、生体認識、監視カメラなどによる管理・監視の形をとった新自由主
> 義によって、まさに人間の「自由」が脅かされているパラドックスである。フ
> リードマン派の祖、ハイエク(1974年ノーベル経済学賞受賞)は、『隷属
> への道』(1944年)で、ケインズ主義は自由を抑圧すると批判したが(フ
> リードマンにも『資本主義と自由』という本があるが)、現実は正反対で,ケ
> インズ主義ではなく、ハイエク・フリードマン主義が自由を抑圧しているので
> ある。
> 2 主流派(新古典派新自由主義)経済理論は、矛盾だらけで、ナンセンス以
> 外の何者でもないが(我田引水すれば、例えば、吾郷・佐野・柴田編、『現代
> 経済学』岩波書店、2008年を参照してほしい)、フリードマンに関連して
> 一つだけ言えば、貨幣量を増加すれば、物価が上がるとするマネタリズムなど
> 笑止千万である。
> このえせ理論の構造は、貨幣数量説の恒等式を因果関係式に改変し、かつ因
> 果関係のベクトルを逆転させるという二重の詐術から成り立っている。PT=MV
> (Pは物価、Tは取引高、Mは必要貨幣量、Vは貨幣の回転速度)という常に成り
> 立つ恒等式は、単に経済の実態規模に応じて一定の貨幣量が必要とされるとい
> う相関関係を表わしたものにすぎない(物価が何によって決定されるかといっ
> た理論的内容はまた別の問題である)。しかし、フリードマンにかかると、こ
> の等式(フィッシャー等式)は、P=(V/T)Mの因果関係式に改変されて、しかも、
> 因果関係のベクトルは、経済の実態規模(PT)から必要貨幣量(MV)へという
> 方向ではなくて、反対に、流通(あるいは発行)貨幣量(M)が物価(P)を決
> 定するという方向へ逆転されるのである(V/Tは短期では一定と見なされるか
> ら)。現実的な理論的な説明は一切ない(実際の物価の決定には様々な要因が
> 複雑に作用して、事前にはわからない)。
> ところが、他方で、主流派ミクロ理論は、物の価格は、貨幣量とはまったく
> 無関係に、限界原理で決まる(個別企業の右上がりの限界費用曲線が産業全体
> の右上がりの供給曲線となって、市場での右下がりの需要曲線との交点で価格
> が決まる)と言う。ミクロ理論で決まる個別産業の価格と貨幣数量説で決まる
> 経済全体(マクロ)の物価(諸価格の平均)とはどういう関係になるのだろう
> か、別々の原理で決まるものが「同一になる」のはどういうメカニズムを通し
> てだろうか、と主流派学者に質問しても無駄である。彼らは答えをもっていな
> いし、そんなことは気にもしていないのだから。素人の皆さんには信じられな
> いかもしれないが(しかし、我々は原子力ムラの「一流の」学者たちの惨状を
> 見てしまったし、水俣病の原因をめぐる「一流の」学者たちのデタラメぶりも
> 知っている)、経済学の理論の現状がこんな程度であっても、さほど驚くこと
> もないかもしれない。ちなみに言えば、私自身の純経済学的立場は、ポスト・
> ケインジャンと言われる異端派である(伊東光晴『現代に生きるケインズ』岩
> 波新書2006年を推薦しておきたい)。
> データも示しておく。日銀は、バブル崩壊以降の長引く不況からの脱出と称
> して、2001年3月19日に金融政策の目標をそれまでの金利指標(0.15%
> という下限に近い低金利だった)から、量的緩和(日銀当座預金残高の増額)
> に変更した。通貨供給量M(マネタリーベース)は、直前(2001年2月)
> の65兆円から2012年10月には126兆円へと倍近くに増加した。で、
> 物価Pは大きく上昇したのだろうか? ご存知の通り、物価上昇率は零以下(
> つまりデフレ)だった!(短期をとっても同じである)。
> 3 フランクとイリッチの生涯の比較をされた今福報告は、まったく思いが
> けなくも、参加者の岡本哲史さん(九州産業大学教授)の問題提起に触発され
> て、私にフランク思想の新たな意義の啓示を与えてくれた。発展途上国(第三
> 世界)のような世界システムの周辺部は、世界システムの中心・周辺という両
> 極構造の中では発展(開発)ではなく、「低開発の発展(開発)」しかないの
> であるから、周辺部は発展のために世界システムから「離脱」すべきだとする
> フランクの世界システムからの「離脱」論は、当時(70年代)の私には「地
> 域経済自立」論の勧めであると考えられ、私はそのように書いた。当時、玉野
> 井芳郎氏の「地域主義」論、鶴見和子氏の「内発的発展論」、西川潤氏の「自
> 立的発展」論などの議論もあり、私も同じような流れで、フランクの提起を前
> 向きに(必ずしも本人の賛同は得られなかったが)日本での議論に接続してみ
> た。その後、「地産地消」,「地域通貨」、「地域内経済循環」といった関連
> した用語(考え方)や内橋克人氏の「F(食糧)E(エネルギー)C(ケアー)
> 自給圏」といった概念が現われて、フランクの議論とは無関係に、私はそれら
> を私の議論の枠組みの中で当然と見なして,フランクのことはいわば「忘れて」
> いた。
> しかし、フランクとイリッチを比べた今福さんの報告を聞いた後で、岡本氏
> の提起を聞いて、私の中で、それまでは独立して別々のものだったフランクと
> イリッチが突然つながったのである。そうだ、今にして思えば、フランクの「
> 離脱」論の積極的意義とは、カンボジアのポルポトや北朝鮮のようになること
> を推奨しているという(当時からあった)低次元の批判ではなく、現代風にい
> えば、deglobarization(反グローバリゼーション運動の理論家W.ベローの「脱
> グローバル化」)のことなのだ、あるいはまた、decroissance(ポスト開発論の
> S.ラトゥーシュの「脱成長」論)や今福報告にあったイリッチのunplugging(「
> プラグを抜く」)ということなのである。実際に、ラトゥーシュは「脱成長」
> とは、「経済から抜け出す」ことだと言っている。そして私には、これらはす
> べて、基本的に同一のことを指していると今では思えるのである。
>
> さて、次回、第15回福岡オルターナティブ研究会は、7月27に(土)に、
> 講師に畑山敏夫さん(佐賀大学教授、政治学)を迎えて、「緑の政治の可能性」
> について、ヨーロッパと日本の比較を通して考えてみたいと思います。独仏を
> 始めとして、ヨーロッパでは緑の党が政権に参画するまで大きな政治潮流をな
> していますが、日本でも初めて緑の党が誕生し、今度の参議院選挙に挑戦しま
> す。選挙の直後でもあり、緑の政治の可能性を考える絶好の機会かと楽しみに
> しております。
> なお、会場は、6月8日に告知した前回の会場とは異なります。事務的手違
> いで、西南学院大学のコミュニティ・センターではなく、大学院棟の講義室で
> す。同じ敷地内(東キャンパス)ではありますが、土曜日で講義がないため、
> 玄関が施錠されており、いちいち内側から開錠しなければなりませんので、参
> 加を予定されている方は、遅刻をされないようにお願い致します。
> もし、来たのに扉が閉まっていて誰もいないというような時は、携帯電話番号:
> 09094865050へお電話下さい。すぐ、開錠しに参ります。
>
>
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