[CML 024868] Re: 武田邦彦氏の「憲法が改正される時がこのブログの終わりの時です」という記事とマハトマ・ガンジーのいう「自由」と「権利」の解釈をめぐってのある人との応答

T.kazu hamasa7491 at hotmail.com
2013年 6月 12日 (水) 23:45:42 JST


武田氏を山車にしてますが、
放射能がこわい、危ないといってるような人間は、
そいつらはトンデモなのだから、
そいつらには「憲法を守れ」なんて叫ぶ資格はない、
というご意見で、
そのご意見の持ち主が、参議院選挙で共産党の勝利を願う、熱烈な支持者だということですね。
よくわかりました。
ni0615田島拝

ps (共産党は迷惑におもわないのだろうか?)



-----Original Message----- 
From: higashimoto takashi
Sent: Wednesday, June 12, 2013 10:37 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 024866] 武田邦彦氏の「憲法が改正される時がこのブログの終わりの時です」という記事とマハトマ・ガンジーのいう「自由」と「権利」の解釈をめぐってのある人との応答

武田邦彦という知る人ぞ知るトンデモ学者*が、自身のブログに「憲法が改正される時がこのブログの終わりの時です」という記事
を書いています。
http://takedanet.com/2013/06/post_be47.html

*武田邦彦氏がトンデモ学者という論拠について次の2例を示しておきます。
■地球温暖化懐疑論者「武田邦彦」教授の呆れたトンデモぶり(きまぐれな日々 
2009.10.01)

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1002.html
■(1)名古屋市長選、愛知県知事選。そして東京都知事選―ポピュリズム政治にサヨナラするために―(みずき 2011.02.08)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-12.html

曰く、「憲法が改正され、表現の自由が「公の秩序」の範囲になりますので、自由な学問的な見解を述べているこのブログも終わり
になります。」

この武田氏の記事を見て、私はあるメーリングリストに次のような感想を述べました。 



「武田邦彦氏の上記の論は『火事場泥棒』的な論ですね。『憲法が改正され、表現の自由が『公の秩序」の範囲になりますので、
自由な学問的な見解を述べているこのブログも終わりになります』というのは、『このブログ』という表現を除けば一般論として正し
い意見というべきですが、そもそも武田邦彦氏に『自由な学問的な見解を述べている』云々などと言う資格があるのか?/武田
氏にその資格がないことについて2、3例をあげておきます。

■2012.07.23 武田邦彦氏「無念の死を遂げた人たち」の論のウソ~「原発とめよう!九電本店前ひろば」第456日目報告所収記
事批判(1)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-448.html

■2011.02.08 (1)名古屋市長選、愛知県知事選。そして東京都知事選―ポピュリズム政治にサヨナラするために―
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-12.html

■2011.05.09 福島第一原発事故以後 〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする「研究者」なる者と著名人なる者の正味の
正体(2) トンデモ学者武田邦彦の正味の正体
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-311.html」

すると、ある人から次のような反応がありました。

> そもそも武田邦彦氏に「自由な学問的な見解を述べている」云々などと言う資格があるのか?

資格はなさそう、、、でも、彼にも権利はあります


> 武田氏にその資格がないことについて2、3例をあげておきます。


彼に資格がなさそうなのは、一般によく知られたことでも、そんな彼にも権利はあるのです

「もし誤りをおかす自由が含まれていないなら、自由に価値はない」(マハートマガンディー)

以下は、その応答に対する私のリプライ。

「誤りをおかす自由」「誤りをおかす権利」はありえても、「犯罪の自由」「犯罪の権利」などありえないでしょう。

罪には「赦せる罪」と「赦されない罪」があると思います。「人を陥れる罪」や「人をあざむく罪」「人を犯す罪」など
は「赦されない罪」というべきでしょう。だから、「赦されない罪」に対しては「刑」(一定期間刑に服す)という制度
が措定されているのだと思います。

ご引用のマハトマ・ガンジーの「もし誤りを犯す自由が含まれていないなら、自由に価値はない。」という警句は
英語では“Freedom is not worth having if it does not include
the freedom to make mistakes.”というようです。ここ
ではガンジーは“mistake”(誤り)という語を用いています。

一方、ガンジーには「罪を憎み、罪人を愛しなさい。」(“Hate
the sin and love the sinner.”)という警句もあります。
ここで用いられている語は“sin”(罪)です。

ガンジーは“mistake”(誤り)という語と“sin”(罪・罪業)という語を明らかに区別して用いているように私には見え
ます。

ガンジーは、「もし罪を犯す自由が含まれていないなら、自由に価値はない。」(“Freedom 
  is not worth having if
it does not include the freedom to make sins.”)と言っているわけではないことにご留意いただきたい。

さて、武田邦彦氏は「誤りの人」か「罪業の人」か。

先便で私が示した例からも明らかなように武田氏は意図的、あるいは無意識的に人をあざむくウソを言ってい
ます。すなわち、「赦されない罪」をおかしています。そうした「罪」が「自由」や「権利」などでありえるはずがない
でしょう。



東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/



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