[CML 024831] 従軍慰安婦 強制連行はなかったのか
BARA
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2013年 6月 11日 (火) 13:23:01 JST
新聞コラム
朝日新聞6月7日朝刊
記者有論・従軍慰安婦 強制連行はなかったのか 上丸洋一
http://digital.asahi.com/articles/TKY201306060600.html?ref=comkiji_redirect
「上海、鎮江、杭州、蘇州、南京、安慶から九江まで……どこにも慰安所」
1938年秋、日中戦争を取材した朝日新聞記者、斎藤一が当時書いた手記の一節だ。
慰安所の「親父」が斎藤に次のように語った。
「女達の中に二人、戦線慰問部隊をどうしても嫌がる女がゐた。無理やりに連れて来る様にして連れて来たが……
(今では)兵隊さんにからだもいのちも献げる気持は本当です――といひながら、ハリ切つてやつてゐます」
「従軍慰安婦」をめぐる日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の発言が盛んに論じられている。
発言に批判的な意見が多いが、中には「強制性」や「軍の関与」に関して、首をかしげざるを得ない主張も見られる。
93年8月の河野洋平官房長官談話は、甘言、強圧による慰安婦集めに官憲が直接加担したこともあったと認め、
「お詫びと反省」を述べた。
ところが、官房副長官としてこの談話にかかわった石原信雄氏がのちに「政府の調査では、政府や軍が直接女性たちを
強制的に集めたと裏付ける直接的な証拠はなかった」と語る。
これを取り上げて、「強制連行の証拠はない(だから問題ない)」との主張が一部で繰り返されてきた。
ただし、朝日新聞のインタビューでは、石原氏の発言はこう続く。
「しかし、証言を直接聞くと、明らかに意に反して慰安婦になった人たちがいると認めざるを得なくなった」(2007年3月25日付本紙)
そもそも文書の不在は、そのまま事実の不在を意味しない。
韓国、中国などの元慰安婦が起こした10件の訴訟で、日本の裁判所はこれまで31人について、本人の証言にもとづき、日本兵らに
よって拉致、強制連行された事実を認めた(坪川宏子・大森典子「司法が認定した日本軍『慰安婦』」)。
現実の被害者ははるかに多かっただろう。
インドネシアのジャワ島中部で日本軍は44年、慰安所の設置を計画し、オランダ人抑留所から女性を強制連行した。
戦後、関与した軍人ら13人がBC級戦犯として裁かれた。
日本政府はサンフランシスコ講和条約で、これらの戦犯裁判を「受諾」した(吉見義明「従軍慰安婦」)。
「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」(河野談話)事実は動かない。
正視に堪えぬ歴史をこそ、正視しなければならない。
(じょうまるよういち 編集委員)
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