[CML 024681] Re: 元慰安婦 金福童さんの「年齢詐称」「行動説明不能」疑惑の検証

泥憲和 n.doro at himesou.jp
2013年 6月 3日 (月) 09:05:33 JST


前田さん

 有り難うございます。
 その後、一部に誤りが判明したので、その部分を訂正します。
 訂正部分を【 】で表記します。

1941年12月
  第25軍(第18師団、近衛師団、第5師団、第56師団)が編成された。

 【南方軍では慰安所は軍政当局の管轄に入る規則なので、金福童さんの慰安所も第18師団から第25軍軍政部の管轄に移ったはずである。】

 マレー侵攻開始。

1942年2月
  【第25軍が】ぅ泪譟璽轡∩完茲鮴衫里靴拭
  シンガポール作戦開始。同、占領。
  【第25軍】は┘轡鵐ポールに駐留。

【1942年4月
  第18師団が第25軍から離れてビルマへ移動。
  金福童さんの慰安所は第25軍の下にとどまった。】

1943年5月
  第25軍司令部がゥ好泪肇蘚腓離屮ッティンギに移駐( インドネシア)。【(第18軍の記述を削除)】

 1944年3月 第7方面軍を編成。
  隷下兵団は第16軍(ジャワ軍政)、第25軍(スマトラ軍政)、第29軍。

1945 9月
  第10陸軍病院(Д献礇)の名簿に「傭人 金福童 19歳」との記録。
  この年は満19歳にあたる。
  (「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」)

  【第25軍の下から第16軍の下に移ったのは、引き揚げ準備のためと思われる。】


----- Original Message ----- 
From: <maeda at zokei.ac.jp>
To: "市民のML" <cml at list.jca.apc.org>
Sent: Saturday, June 01, 2013 10:25 PM
Subject: [CML 024651] Re: 元慰安婦 金福童さんの「年齢詐称」「行動説明不能」疑惑の検証


> 前田 朗です。
> 6月1日
>
> 泥さん
>
> ありがとうございます。
>
> 納得しました。
>
> 情報を丁寧に見る必要があるということですね。
>
> 聞き取りはみなそうですが、ご本人の記憶と証言をそのまま出すと、実際とは違
> うこともあります。
>
> やはり、発表する前に、事実と照合しておく必要があります。
>
> ただ、「慰安婦」問題では、日本軍の文書が隠滅されているため、照合作業が十
> 分行われていない点も残ります。
>
> 泥さんのように、みんなで手分けしてチェックしていくことが重要です。
>
>
>
> ----- Original Message -----
>> 【金福童さんは「第15師団」ではなく「第18師団」の慰安婦だったという仮説】
>>
>>  来日した元慰安婦・金福童さんの証言を嘘だと攻撃する議論がかまびすしい。
>>
>>   年齢が証言と合わないとか、
>>  彼女がついて行ったという日本軍第15師団は、
>>  彼女が慰安婦をさせられたという場所に行っていないとか。
>>
>>  たしかに、第15師団は金福童さんの証言するマレーシアにもシンガポールに
> も行っていません。
>>  ここに矛盾があることは、否定できません。
>>  ここに記すのは、彼女がいたのは本人の証言する「第15師団」ではなく「第
> 18師団」の慰安所ではないかという仮説です。
>>
>>  証言
>> 「14歳のとき、慰安所に連れて行かれた。」
>> 「初めは広東に行った。」
>> 「陸軍第15師団の本部について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、
> インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」
>> 「8年間、慰安婦にさせられました。」
>>
>> ■金福童さんの行動年表(仮説)
>>
>> 1926年
>>  金福童さん生誕(第10陸軍病院作成の名簿にもとづく)。
>>  数え年1歳
>>
>> ○証言
>> 「14歳のとき、慰安所に連れて行かれた。」
>> 「初めは広東に行った。」
>>
>>  広東が占領されたのは1938年だから、彼女が慰安婦にされたのはそれ以後で
> す。
>>
>> 1938年
>>  日本軍、広東作戦開始。
>>  参加部隊は「第18師団」、第104師団。
>>  広東を占領し、日本軍の大部隊が駐留した。
>>
>> 1939年(金福童さん、数え年14歳)
>>  広東の慰安所に入れられた。
>>  証言と矛盾しません。 
>>
>> ○証言「陸軍第15師団の本部について、‖耋僉↓広東、9畊繊↓ぅ泪譟璽轡◆↓ 
>> 
> スマトラ、Εぅ鵐疋優轡◆↓Д献礇錙↓┘轡鵐ポール、バンコクと連れ回されま 
> 
> した。」
>>
>>  台湾→広東の順番になっている点から上るままに、順不同で並べたと思われ
> ます。
>>  またゥ好泪肇蕕鉢Д献礇錣蓮↓Εぅ鵐疋優轡△瞭發亡泙泙譴訝楼萍召任后
>>  インドネシアとキΔ禄妬しています。
>>
>>  以下、上記地名が出て来るときに丸数字を振ります。
>>
>> 1941年11月
>>  大本営がマレーシア攻略を含む南方作戦の作戦準備下令。
>>  マレー作戦に動員されたのは「第18師団」、近衛師団、第5師団。
>>  第18師団、渡航準備のため、広東から9畊舛魴侏海靴騰‖耋僂飽榮亜
>>  証言にある第15師団はマレー作戦に参加していません。
>>
>> 1941年12月
>>  マレー作戦開始。
>>  第18師団がバンコク進駐。
>>
>> 1941年12月
>>  第25軍(第18師団、近衛師団、第5師団、第56師団)が編成され、マレー侵攻
> 開始。
>>
>> 1942年2月
>>  ぅ泪譟璽轡∩完茲鮴衫里靴拭
>>  シンガポール作戦開始。同、占領。
>>  第18師団は┘轡鵐ポールに駐留。
>>  
>> 1943年5月
>>  第18師団の所属する第25軍司令部がゥ好泪肇蘚腓離屮ッティンギに移駐(
> インドネシア)。
>> http://s.webry.info/sp/nemuihito.at.webry.info/200805/article_26.html
>>
>> 1944年3月 第7方面軍を編成。
>>  隷下兵団は第16軍(ジャワ軍政)、第25軍(スマトラ軍政)、第29軍。
>>
>> 1945 9月
>>  Д献礇錣頬槁瑤あった上記第7方面隊第16軍に所属する第10陸軍病院の名簿
> に「傭人 金福童 19歳」との記録。
>>  この年は満19歳にあたる。
>> (「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」)
>>
>>  その経緯は不明ながら、金福童さんはいつの間にか第25軍第18師団の下から、
> 第16軍の下に移っていました。
>>  このことは公文書に明らかです。
>>
>> ○証言「8年間、慰安婦をさせられた。」
>>
>> 1946年〜1948
>>  インドネシアから邦人が全員引揚げるのに、1948年まで足かけ3年かかって
> いる。
>>  数え年21〜23歳にあたる。
>>  帰国が1946年なら1939年から足かけ8年。
>>  帰国が1947年なら満8年にあたる。
>>
>>  「1947年に日本軍は存在していない」などと下らない批判をする評論家もい
> ますが、捕虜収容所で日本軍の階級秩序が機能していたことを無視しています。
>>
>>  こうして年表をつくってみると、金福童さんはどうやら第15師団ではなくて
> 第18師団に随行していたように見えます。
>>  「第15師団」という証言が第18師団の記憶違いだと仮定すると、年齢にも経
> 歴にも、まったく矛盾しません。
>>  すべての地名が部隊行動と符号します。
>>
>>
>
>
> 



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