Re: [CML 025654] Re: なぜ宮崎駿「風立ちぬ」を批判しないの?

T.kazu hamasa7491 at hotmail.com
2013年 7月 31日 (水) 06:44:27 JST


>私は宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」はまだ観ていませんので、私の「風立ちぬ」鑑賞評を述べることはできませんが、<

だったら見てから『述べ』てね。
貴方の中味のない字数とともに、妄想共有を強要するのはナシよ!

ni0615田島拝



-----Original Message----- 
From: higashimoto takashi
Sent: Tuesday, July 30, 2013 9:56 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 025654] Re: なぜ宮崎駿「風立ちぬ」を批判しないの?

上原丘さん

私は宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」はまだ観ていませんので、私の「風立ちぬ」鑑賞評を述べることはできませんが、下記の
あなたの文章に即していくつかのことを述べさせていただこうと思います。

まず、あなたは、「反戦の立場であるCMLで、なぜ宮崎駿の『風立ちぬ』を批判する声が聞こえてこないのでしょう?」という
疑問を提起します。左記は、宮崎駿監督の『風立ちぬ』作品は「反戦」の映画ではないというあなたのご意見の裏返しの表明
ということにもなりますが、宮崎駿監督も所属するスタジオジブリが最近発行した小冊子『熱風』(2013年7月号)には「憲法を
変えるなどもってのほか」と題された同監督の論攷(談)も掲載されています。その論攷のはじめの部分で宮崎監督は次のよ
うな「反戦」の思想を述べています。

「僕は1941年生まれですが、(略)子どもの頃は「本当に愚かな戦争をした」という実感がありました。実際、日本軍
が中国大陸でひどいことをしたというのを自慢げに話す大人がいて、そういう話を間接的にではあっても何度も聞
きました。同時に空襲でどれほどのひどいことになったかというのも聞きました。伝聞も含め、いろんなことを耳にし
ましたから、馬鹿なことをやった国に生まれてしまったと思って、本当に日本が嫌いになりました。」
http://www.ghibli.jp/docs/0718kenpo.pdf

宮崎監督は同論攷の中で自衛隊を合憲と考える立場も表明していますが、同監督は上記の記述からもわかるように基本的
には「反戦」の立場の人です。「風立ちぬ」作品を「反動映画」のように言うのは適切ではないと考えます。

あなたが同作品を「反動映画」とみなす根拠も説得力のあるものではありません。あなたが同作品を「反動映画」とみなす理
由の第一は「『風立ちぬ』は零戦設計者の話といいながら悲惨な話になるから零戦は登場させ」ないというものですが(後で
述べますが、実際は、「主人公が設計した零戦の末路も出てきている」とのことです)、零戦の登場、非登場が「反動映画」か
どうかの判断の基準になるはずもありません。むしろ、「反動映画」の多くは戦闘機及びその空中戦のシーンを必要以上に
描くというのがふつうのパターンでしょう。

また、「戦時中に戦争に強くかかわった実在の人物の話なのに戦争の様相や意味はまったく描写」がないというのも、同作
品を「反動映画」とする根拠にはならないでしょう。これも実際の「反動映画」は「戦争の様相」を執拗に描くというのがふつう
です。「反動映画」は「戦争の意味」についても必要以上に「八紘一宇」的な意味を負託させます。「様相」は逆のケースの方
が多いのです。

「飛行機は兵器じゃない純粋に美しいモノだ」と主人公に夢の中で言い訳させる」ことも、あなたが同作品を「反動映画」とす
る理由のひとつになっていますが、どういうシチュエーションで同場面が描かれているのかの検討なしに左記のように言って
もナンセンスです。また、「病身の恋人にただ男に尽くす事を要求する、酷い男尊女卑映画でもあります」とも言われますが、
これもシチュエーション抜きで論じてもナンセンスです。ある男が山で遭難して.九死に一生の生を得て帰還したときに、親友
のひとりが愛情表現として涙ながらに「馬鹿」と叫ぶシチュエーションだってあるわけですから(映画ではよくある場面です)。

あなたは、毎日新聞日曜版(7月21日付)に掲載されたでは藤原帰一氏の宮崎駿「風立ちぬ」評を自己の主張に合致する論
として援用していますが、この藤原帰一氏の映画評には下記のような異論もあります。最後のその文を引用しておきます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■「映画評論家」 藤原帰一氏のダブルスタンダード――『熱波』 と 『風立ちぬ』(音楽 
雑記2013年(2) 2013年7月22日)
http://miura.k-server.org/newpage220.htm

政治学者・藤原帰一 (東大教授) は映画も好きらしい。毎日新聞の日曜版 「日曜くらぶ」 に毎週映画 
評を載せている。
題して 「藤原帰一の映画愛」。

政治学者が映画評論やって悪いということはないし、政治学に拘束されない意外な視点など見せてくれればそれなりだと
思うのだけれど、先週と今週の映画評を比べてみると、見事なまでに日本知識人のダブルスタンダードが出ていて、所詮
この程度かなとがっくりきてしまう。

先週 (7月14日) はポルトガル映画 
『熱波』 を論じていた。以下、その趣旨を紹介するが、この映画はまだ新潟には来
ていないので (映画後進地の新潟なので来るかどうかも分からない)、私は見ておらず、藤原の評論が的確かどうかは分
からない。 ここではあくまで藤原が映画のどういう面に目を向けたかに限定して見ていくことにする。

この映画、最初は現代のリスボンが舞台だが、やがて50年前のアフリカの農園が舞台となる。つまり、ポルトガルの植
民地統治時代が出てくるわけである。

ここで藤原は、ポルトガルによる植民地統治時代が倒されようとする時代のことだから、植民地統治がどこかに絡んで
くるのだろうと予想したくなるが、そうではない、独立運動も背景としては描かれるが本筋には無関係である、ここに描か
れる植民地時代のアフリカは、暴力と圧政どころかポルトガル人が自由に豊かに暮らした地上の楽園として描かれてい
る、と述べている。植民地時代の過去は人間らしいドラマが展開されるのに対して、現在は索漠とした時間が流れている。
実際、現在が舞台の第一部には 「楽園の喪失」、第二部には 「楽園」 という題が付けられてい 
る。 こう紹介した上で、
藤原は 「なんだか、ヘン、ですね」 と書く。 


そのあと、藤原は植民地化を楽園喪失として描いたムルナウの 『タブウ』(1931年)
を引いた上で、『熱波』 はムルナウ
の視点をひっくりかえしたもの、と自説を展開する。 以下、文章をそのまま引用しよう。

数多くの植民地支配の中でも、ポルトガルのモザンビーク統治はベルギーのコンゴ支配と並んで最も苛酷な
ものに数えられますから、白人だけの視点からそれを楽園のように描くなんてとんでもないという気もするでし
ょう。ですが、ゴメス監督の目的は、植民地統治ではなく、それを失ったポルトガルの現在の表現。苛酷な植
民地時代にしか人間らしい人間を見つけることができないという逆説の表現なんですね。それによって、現在
に生きる憂鬱を表現しようとしたわけです。

これは賢い。植民地解放闘争に翻弄される男女なんて登場したら面白いけどウソになるところですが、そん
な手練手管に訴えないで、白人にとって植民地時代は何だったのかをつかまえています。

ふうん、と私は思った。 藤原帰一ってそういう見方をする人なのか、と意外な気がしたのである。 それに、論理 
的に矛
盾しているな、とも思った。「苛酷な植民地時代にしか人間らしい人間を見つけることができない」 と言っている 
けど、苛酷
なのは現地人にとって、でしょう? 支配しているポルトガル人にとっては 「苛酷」
じゃなく、「楽園」 だったはず。 楽園な
ら、人間らしい暮らしだと回顧するのは当たり前じゃないの?

もっとも、私は上述のようにこの映画を見ていないので、誤解があるのかもしれない。ポルトガル人に搾取されていた現
地人にとって苛酷だったのに同時に人間らしかった、のかも知れない。だけど、この映画評を見る限り、50年後に本国で
しがない暮らしをしている老婦人が憂鬱にとりつかれているというところから話を始めているのだから、白人にとってそうな
のだ、と藤原が言っているとしか思われないんだよね。

要は、ずいぶん白人に甘いな、と私は感じたのである。まあ、でもそういう見方もすればできるな、とも。人間って、いくら
身勝手で他人にはた迷惑に生きても、後で振り返ってみれば黄金時代って場合もあるからだ。それはそれで一つの見方
には違いない。

・・・・なんだけれど、こういう、ある意味柔軟な見方は、1週間後の7月21日の映画評になると見事なまでに影をひそめ
てしまうのだ。この日の映画評の対象は、前日に封切られたばかりの宮崎駿のアニメ
『風立ちぬ』 である。 これは私も
封切日に見たので、私の見解を含めて藤原の評価を検討したい。

宮崎駿の 『風立ちぬ』 について藤原は、絵の美しさは賞賛した上で、しかし
「子どもっぽい」 と批判する。子どもが大人 

の中にも残っていて、大人が見ても子どもの夢に感動する作品というものがある、『魔女の宅急便』や『千と千尋の神隠し』
はそういう作品だった、と藤原は述べた上で、次のように書いている。

といえ、子どものままでは未熟な大人に過ぎない。子どものまま大人になった人は、自分で向かい合い、学び、
行動を選ばなければいけない現実から目を背けているからこそ、子どものままでいることができる。その子ども
らしさは美しくありません。

夢の飛行機をつくる人生もいいですが、戦闘機の美しさは戦場の現実と裏表の関係にある。 宮崎駿が戦争
を賛美しているとは思いませんが、戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺する姿には、還暦を迎
えてもプラ模型を手放せない男のように子どもっぽい印象が残ります。


私はこれを読んでびっくり仰天した。 先週はあれほど白人の植民地支配に対して、論理的矛盾を含めて理解を示して
いた藤原が、こと日本のアニメとなると、一転して 「政治的な正しさ」 のみで作品評価を 
行っているからである。白人が登
場する映画と、日本人が登場するアニメとでこれほど論調が異なるって、見事なまでにダブルスタンダードですよね。東大
教授だからなのか、東大教授なのになのか、その辺は分かりませんけど。

それと、藤原はこのアニメの中心を捉えそこねていると私は思う。 『風立ちぬ』
は戦争を全然描いていないわけでは
ない。 短いけれど、主人公が設計した零戦の末路も出てきているのだ。そもそも、このアニメには少年時代の (そして
大人になってからも) 主人公がイタリアの有名な飛行機設計家と夢の中で会ったり会話を交わしたりする場面が何度も
出てきている。そこを見れば分かるはずだけど、飛行機はしばしば戦争の道具として作られるわけだけど、それに囚わ
れない楽しさが飛行機にはある、そういう飛行機設計マニアの思想は、作中にちゃんと描き出されているのである。

むろん、主人公はその後戦闘機の設計に携わるようになるのだが、それは時代と場所の制約に過ぎない。夢の中の
イタリアの飛行機設計家も、そうした時代の制約の中で仕事をしたのだし、ヨーロッパに比べて後進国だった日本に住
む主人公にとって時代の制約はいっそう厳しいものだったのである。(「大人」 なら、そういう事情は 
ちゃんと読み取ろう
ね。) そういう条件の中で主人公は自分なりに誠実に仕事をしたのである。藤原の物言いは、「あいつは戦闘機を設計
したのだから戦争加担者だ、ケシカラン」 
というのと全然変わりない。いや、それでも別にいいのだけれど、だったら前
週にはなぜ 「あいつは植民地主義に反対していない、ケシカラン」 と書かなかったのか? 不思 
議、不思議である。

藤原はそのあとでも、主人公と恋人との関係が男性中心主義的だという意味の批判を連ねているのだが、ここには
引用はすまい。 あまりにステレオタイプのフェミニズム的批判で、つまらないことおびただしいからだ。

こんな評論しか書けない人には、「映画愛」 
などと言ってもらいたくはないものである。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


東本高志@大分
 
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/

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From: 上原丘
Sent: Tuesday, July 30, 2013 4:32 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 025651] なぜ宮崎駿「風立ちぬ」を批判しないの?
CMLの皆様

日本のアジア太平洋戦争を否定し反戦の立場であるCMLで、なぜ宮崎駿の「風
立ちぬ」を批判する声が聞こえてこないのでしょう?あの映画は事実上、東條英
機を肯定した映画「プライド」と同じような反動映画でしょう。

「風立ちぬ」は零戦設計者の話といいながら、設計者の戦争責任を問わざるを得
ない悲惨な話になるから零戦は登場させず、戦時中に戦争に強くかかわった実在
の人物の話なのに戦争の様相や意味はまったく描写しません。逆に「飛行機は兵
器じゃない純粋に美しいモノだ」と主人公に夢の中で言い訳させる暗黙の戦争肯
定映画になっています。また病身の恋人にただ男に尽くす事を要求する、酷い男
尊女卑映画でもあります。

毎日新聞(7月21日・日曜版)では藤原帰一氏が「戦闘機の美しさは戦場の現実
と裏表の関係にある(略)戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺す
る姿は(略)子供っぽい」と批判しています。宮崎駿氏は、自分で告白している
ように、戦車の仕様表だけを眺めても嬉しくてニヤニヤしてしまう程の、究極的
な”兵器オタク”です。

兵器オタクの言い訳の「兵器は好きだけど戦争は嫌い」が間違いなのは、零戦を
B29や原爆と置き換えれば日本人ならすぐに判ることです。宮崎もそれがいけ
ない事だと十分知っているから雑誌「熱波」を配ったのでしょう。しかし映画の
影響力の方が雑誌よりはるかに大きいし、映画人である彼がやるべきだったの
は、映画で憲法改悪に反対することでしょう。だが宮崎駿がやったのはその正反
対の「兵器いいじゃん」だった訳です。


「風立ちぬ」を見て上記のように感じなかった方は、週末に以下のNHK番組と
比較して考えてみてください。

NHKBSプレミアム「零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~」(前・後編)
放送:2013年8月3日(土)・10日(土)午後9:00~10:30
「零戦はなぜ悲劇的な運命を迎えたのか。そして渦中に置かれた搭乗員たちはそ
の現実とどのように向き合ったのか。番組では、今は僅かになった元零戦搭乗員
の証言や零戦を作り上げた天才設計者の苦悩と葛藤など、零戦をあらゆる角度か
ら描き、その全体像に迫ります。また、最初の特攻隊の一員として戦死した搭乗
員・大黒繁男さんとその家族の物語をドラマで描きます。」
http://cgi4.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=09_0005

CMLの一読者より
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The end━━━━━━━━━━━━



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