[CML 025601] 「今、死刑制度を考える~冤罪事件を通して」(九州弁護士会主催)という講演会とシンポジウムに参加して~岩田務弁護士のこと、徳田靖之弁護士のこと 附:辺見庸「8/31講演についての若干の想い」

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2013年 7月 26日 (金) 14:24:49 JST


*先便では標記の記事に関してスレッドを誤って発信してしまいました。お詫びいたします。改めてブログ記事にしましたので
再発信させていただこうと思います。あらたにこの8月31日に東京・四谷で開かれる「死刑と新しいファシズムーー戦後最大
の危機に抗して」と題された辺見庸の講演会の記事とそれに関する辺見の文章を付加しました。

■「今、死刑制度を考える~冤罪事件を通して」(九州弁護士会主催)という講演会とシンポジウムに参加して~岩田務弁護士
のこと、徳田靖之弁護士のこと 附:辺見庸「8/31講演についての若干の想い」(弊ブログ 2013.07.26)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-627.html

先週の土曜日(7月20日)に大分市で九州弁護士会主催の「今、死刑制度を考える~冤罪事件を通して」と題された講演会と
シンポジウムがあり、私も参加しました。
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2013_137436968264.html

基調講演は東電OL殺人事件再審弁護団主任弁護人の神山啓史弁護士。シンポジウムのパネラーは同弁護士のほか飯塚
事件再審弁護団主任弁護人の岩田務弁護士と九州大学法学研究院の田淵浩二教授(刑事訴訟法)。コーディネーターは大
分弁護士会所属で岩田弁護士と同じく飯塚事件再審請求の弁護人である徳田靖之弁護士(同弁護士はスモン、薬害エイズ、
ハンセン、薬害肝炎など多くの集団訴訟の弁護人として活躍されていることでも有名です)。

聞き応えのあるシンポジウムでした。

とりわけ岩田弁護士の誠実さには胸を打たれました。岩田さんのお話は言葉数の少ないものでしたが、それだけになおさら自
身の飯塚事件の再審請求の手続きが遅れたために同事件の元被告、久間三千年さんを無実の罪で死なせてしまった(国家
権力の手による死刑)という岩田さんの慙愧の思いがひしひしと伝わってくるものでした。

徳田靖之弁護士とは大分県佐伯市大入島埋め立て反対闘争以来の知り合いです。
http://www.jca.apc.org/~uratchan/onyujima/

徳田弁護士の人柄については下記の記事の最後のところでで少し触れています。

■資料:(2止)大入島でいま何が起きているのか~大分県佐伯市(公職研『地方自治職員研修』2005年11月号)
(弊ブログ 2011/1/25)
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/10693428.html

      「私たちは、どうすれば行政の「理不尽」に対抗することができるだろうか。行政の埋立強行の後の徳田弁護士のこ
      とばが印象的だった。あの大入島の人たちの命をかけた抵抗に、『私たちは―行政も、司法も含めて―人間の心を
      持った者として、この問題をどう受けとめるのか。そのことがいますごく問われている』というのである。」

「飯塚事件」の概要、事件の経緯などについては下記のブログ記事をご参照ください。 


日本弁護士連合会 飯塚事件について
http://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12/enzaiiizuka.html

同事件に関するメディア報道などについては下記のブログ記事をご参照ください。

【飯塚事件】~有罪の決め手は科警研が実施した精度の低いDNA型鑑定だった(「冤罪事件」ブログ 2009.6.27)
http://k1fighter2.web.fc2.com/Enzai/iizuka/iizuka.htm
【飯塚事件】~検察は帝京大の鑑定結果を隠し、裁判の証拠として科警研の鑑定書だけを提出した
(「冤罪事件」ブログ 2009.7.7)
http://k1fighter2.web.fc2.com/Enzai/iizuka/iizuka.htm#inpei

「飯塚事件」の再審請求は最終的には勝利を勝ち取ることになるでしょう。

岩田務弁護士、徳田靖之弁護士の誠実なお話に触れて私はそう確信しました。

附記:
なお、この8月31日に東京・四谷で辺見庸の「死刑と新しいファシズムーー戦後最大の危機に抗して」と題された死刑とファシ
ズムに反対する講演会(主催:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90)が予定されているようです。
http://yo-hemmi.net/article/367482893.html

下記の辺見庸の文章によると、この講演会は、「これまでのように主催者側の要請によるものではなく、わたしがはじめて(年
がいもなく)衝動的に志願し」て準備されたもののようです。辺見の個人的な思い入れのある講演会の開催ということになるで
しょう。その辺見の「思い入れ」とはなにか。そのことについて辺見自身が「8/31講演についての若干の想い」という文章で
自分の思いを書いています。以下、辺見庸の文章から。

      8/31講演についての若干の想い
      http://yo-hemmi.net/article/368880524.html

      友人、読者のみなさん。

      この酷い夏をどうやって堪えるのか。骨もとける炎熱と「愚者たちの祝祭」=選挙の結果、これからさらに何人が死
      に、いったいなにが立ち上がってくるのか。わたしは年来の断念癖と気鬱症のなかで、ずっとぐずぐずと想いまどっ
      ておりました。現状は、私見によれば、すでに堪えがたいものであります。わたしや皆さんが多少これに抗ったとこ
      ろで、明日がどうなるというものでもないことは言うまでもありません。しかし、堪えるべきではない現在にじっと堪え
      るのと、どうかんがえても勝ち目がなく、きわめて悲観的で不確定でもある未来のために、ここでひとつ現状に抗っ
      てみることーーのふたつは、さしたる異同がないようでいて、この酷い夏の実存の過ごし方としては、大きなちがい
      があるようでもあります。

      で、わたしは前者よりも後者、すなわち、沈黙と忍従よりもほとんど希望のない反抗とふたしかな未来に賭けてみる
      ことにしました。今回の講演は、これまでのように主催者側の要請によるものではなく、わたしがはじめて(年がいも
      なく)衝動的に志願し、主催者側がこれを快諾して、多忙ななかを慌ただしく準備してくれているものです。「フォーラ
      ム90」の友人たちに心から感謝するとともに、わたしは8月末、いま語るべきこと、語ってはならないとされていること、
      語ろうとして語りえないこと、とりわけ、死刑とファシズムについて、心中の解けない塊を吐こうとおもいます。

      わたしたちの日常が、真剣に想いをいたすべき大状況から、いまほど断絶させられているときはありません。「個」
      が大状況に突き刺さってゆき、沈黙と忍従よりもふたしかな未来に賭けてみることとは、わたしにとってどういうこと
      なのか、8月31日の夜、拙いながらも必死でお話ししようとおもいます。(改行は引用者。以下、同じ)
                                                              辺見庸 2013/07/11

      私事片々
      http://yo-hemmi.net/category/6531743-1.html

      8月末になにかをやるというのなら、8月末までまず生きていなければならない。当然の話だ。それまでなんとか生き
      ていられたとしても、夜にひとまえで2時間以上話すには相応の体力がいる。自宅から会場までは堀内君が車で運
      んでくれるにしても、駐車場から会場まで、そして会場内は、自力で歩かなくてはならない。体力、歩行能力ともに、
      このところめっきり落ちている。夜は感覚障害がこうじるので、とくにいけない。わたしからすすんで「やらせてくれな
      いか」と言いだしたとき、フォーラム90のTさんが「マジすか?」と反問したのには、決心のほどだけでなく、身体はち
      ゃんと機能するのか質したかったからだろう。

      それからは、嵐の日をのぞき、歩行練習を欠かしていない。といっても、アパートから200メートルも離れていないカ
      フェまでよろよろ歩き、コーヒーを飲んで、またよろよろ帰ってくるだけの話だ。帰途、「エベレスト」にのぼるのを忘
      れない。ハナミズキのある角の広場の土盛りは高さ1メートルもないのだけれど、わたしにとっては断崖絶壁なので、
      エベレストと名づけた。よろけながら土盛りにのぼっていくわたしを、無宿者らしい男がベンチからぼうっと見ている。
      何回歩いても、のぼっても、おりても、ちっともうまくはならない。無効。この9年間でそれは実証ずみである。死んだ
      脳が、動作を数かぎりなく反復しても、憶えても慣れてもくれず、毎回、生まれてはじめて歩くような危うい感覚なの
      だから、いたしかたがない。

      しかし、この自主トレを5日もやめれば、歩くのもおりるのものぼるのも、大変に困難になるか、もしくはほぼ不可能
      になる。歩けなくなったら、8月末の約束は果たせない。だから歩く。意味はない。だから約束したのかもしれない。
      いつかヤマブキは咲きおわり、いまは白いサルスベリがこんもり雪をかぶったように満開である。風が吹くと白雪が
      散る。吹雪だ。花を浴びながら、前かがみに歩く。
                                                                   (2013/7/16)

      8月31日は、ほとんど永遠の未来のように遠い。それまでにいったいなにがあるか、なにがないのか。いま、だれが
      わかるというのだ。明日さえわからなくなったというのに。

      また、こうも言える。「人が生きているときには、何も起こらない。舞台装置が変わり、人びとが出たり入ったりする。
      それだけだ。絶対に発端のあった試しはない。日々は何の理由もなく日々につけ加えられる」。有名な(かつて有名
      だった、か)この文に、わたしは、おそれながら、「明日か来週に、絞首刑があろうとなかろうと、だ」をつけ足してみ
      る。そうしたら、「これは終わることのない単調な足し算だ」と言って笑って受けながすことができるかどうか。国家は
      たぶん、この選挙中にはあれをやるまい。選挙後にはやるだろう。そして、「日々は何の理由もなく日々につけ加え
      られる」であろう。もしもそうであるならば、国家とはなにか。国家とはだれによって演出され、だれによって、どのよ
      うに幻想されるのか。

      アドルノの『プリズメンーー文化批判と社会』訳者解説を読む。「果てしなく進行する大衆の愚昧化と従順化、それと
      知りながらついうかうかと乗せられてしまう知識人の人の好さとだらしなさ…」。8月31日は、ほとんど永遠の未来の
      ように遠い。それまでにいったいなにがあるか、なにがないのか。いま、だれがわかるというのだ。死刑執行は、し
      かし、選挙前にはなくとも、選挙後には必ずあるにちがいない。どうしてなのか? 日々は再び何の理由もなく日々
      につけ加えられるだろう。8月31日のテーマのひとつはそのことである。なぜそうなのか?
                                                                  (2013/07/17)



東本高志@大分
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