[CML 025513] 零戦設計者の夢 映画監督・宮崎駿さん

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp
2013年 7月 22日 (月) 02:26:09 JST


新聞記事
朝日新聞・WEB
2013.7.20

零戦設計者の夢 映画監督・宮崎駿さん
http://digital.asahi.com/articles/TKY201307190544.html?ref=pcviewer

映画監督・宮崎駿さんの新作「風立ちぬ」の劇場公開が、20日から始まる。
太平洋戦争を戦った日本の戦闘機・零戦の設計者として知られる堀越二郎を主人公と
する作品だ。
宮崎さんは映画づくりの傍ら、戦争や兵器のリアルな漫画を数多く描き続けてきた。
なぜ、兵器に魅了され、その設計者を描こうとしたのか。複雑な胸中を聞いた。


 ――かつて、米国にある本物の零戦を買おうとしたそうですね。

 「飛行機は空中にある時が一番美しい。飛んでいるのを見たい、と思ったんです。
それもアメリカ人ではなく、日本人が操縦しているのを。
スタジオジブリの横の高圧線の下を飛んで欲しいとか夢見ていたんですが、女房に
『バカもいい加減にしなさい』と一喝されて終わりました」

 ――そこまで思い入れる零戦の魅力とは何でしょうか。

 「僕自身を含め、日本のある時期に育った少年たちが、先の戦争に対して持つ
複雑なコンプレックスの集合体。
そのシンボルが零戦です。
日本は愚かな思い上がりで戦争を起こし、東アジア全域に迷惑をかけ、焦土となった。 

実際の戦いでも、ミッドウェー海戦など作戦能力が低かったとしか思えないような
歴史しか持っていない。
そんな中で『負けただけじゃなかった』と言える数少ない存在が零戦です。
開戦時に322機あった零戦と、歴戦のパイロットたちは、すさまじい力を持っていた」 


 「零戦を一流機にしたのは、設計した堀越二郎のただならぬセンスです。
零戦と同時期、別の設計者が手がけた『隼(はやぶさ)』という戦闘機があった。
ほぼ同じ大きさで同じエンジンを積み、徹底的に軽量化した点も同じ。
ただし武装は零戦の方が重い。
なのに、並んで飛ぶと零戦の方が速く、はるかに遠くまで飛べた。不思議です。
言葉では説明できない空気力学の謎を彼はつかんだんです」

 「零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は、コンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを
持たないとやっていけない人間です。
思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプ
レックスのはけ口にして欲しくはない。
僕は今度の映画で、そういう人々から堀越二郎を取り戻したつもりです」

 ――戦争を批判する一方で、零戦という兵器に愛着を持つ。矛盾していませんか?

 「矛盾の塊です。兵器が好きというのは、幼児性の発露であることが多い。
だが、大学の財政学の講義で、戦争経済がどれほど国民経済を破壊するか、
という話を教授が余談と
して滔々(とうとう)と述べられた。
これは衝撃でした。僕が集めていた兵器の本や模型は無駄遣いの山だったと
思って、全部捨てました」

 「それでも、数年たってそういう本に出会うと、ついまた買ってしまう。
そしたら自分の見方が全然変わっていた。
工業力と資源を持っている国と戦う時、どういうことになるか。
それは日本と米英が戦争中にどれだけの数の飛行機をつくったか、比較すれば
一目瞭然なんです」

 「零戦も戦争の中盤以降は消耗戦に巻き込まれ、優秀なパイロットをみるみる失った。 

それからは敗戦一方でした。
機体の構造も大量生産向けではなかった。
欧州の航空史家は『こんなややこしい飛行機を1万機以上も作ったことが驚きだ』と
書いているぐらいです」

   ■     ■

 ――映画では敗戦後、飛行機の残骸の山を前に立ち尽くす堀越二郎の姿が描か
れます。

 「彼はずたずたになったと思います。
美しい飛行機を作りたい、という夢に向けて力を尽くし、1930年代に、映画に登場 

する九六式
艦上戦闘機と、それに続く零戦を設計しピークに達した。
だが、戦争中は技術者不足の中、新型機の開発や零戦の改良に忙殺された。
ジブリが『1年に5本新作映画をつくれ。
ただし人手は今のまま』と命じられたようなもの。
懸命にやったが、ほとんどものにならなかった。
でも、『自分が負けたのではない』という自負はあった。
『自分にも戦争責任があると言われているようだが、私はないと思う』とはっきり
書いています」

 ――堀越二郎を補佐した技術者の曽根嘉年は、零戦が特攻に使われるのを見て
「情けなくて、こんなに大勢の人が死ぬのなら、作らない方が良かった。
設計しなければよかった」と思ったそうです。
堀越二郎の思いは違うのでしょうか?

 「彼もそう感じたかもしれませんが、同時に『それは自分の関わることではない』
とも思っていたはずです。
無論、堀越二郎も一人の日本国民としての戦争責任は背負っていますが、一人の
技術者が歴史全体に責任を持つ必要はない。
責任を問うのはくだらない、と思います」

 「曽根さんの『作るんじゃなかった』という気持ちは分かりますが、作らなかったら、 

もっとつまらない人生だったと思います。
映画の中でも言いましたが、飛行機は『美しくも呪われた夢』です。
作りたかったものを作って、呪われ、傷を負う。
でも、後になって曽根さんは『仕方がなかった』と思ったに違いないんです。
そうやって、時代の中で精いっぱい生きた方がいい。
これが良くてこれが悪いなんて、時代の中では誰も偉そうに言えないんですから」

 ――お父さんは、軍需工場を経営し零戦の部品を製造していたそうですね。
震災や空襲を体験し、ニヒリズム的な考え方を身につけていたと聞いています。

 「ニヒリズムというと、クールで斜に構えて、という安っぽいイメージですが、
オヤジは違う。
『家族が一番大事だ』と思っていただけです。
世界が崩壊するような壮絶な経験をしたことで、『この価値観が大事』とか、『人間は 

かくあらねば』という大言壮語を放棄した。
家族や知人。
守れる範囲は守ろうとしたが、国家や社会全体にまで責任を持てるはずがない、と
考えていた。『損をするな』が口癖でした」

   ■     ■

 ――ご自身も、今はそういう考えなのでしょうか。

 「半径30メートルか100メートルか。
それが自分のできる範囲の限界で、それでいい、と思うしかない。
以前は世界のためか人類のためか、何かしなきゃいけない、と思っていたが、
ずいぶん変わりました。
社会主義運動にも興味がなかったわけではありませんが、甘かった。
かつて毛沢東の写真を最初に見た時、なんて嫌な顔だろう、と思いました。
周囲が『大きな温かい人だ』と言うから、たまたま写りが悪かったんだ、と思おうと
したけど、その勘を信じればよかった。
他にも色々、判断の間違いがありました。実によく間違える人間だと思います」

 ――映画の舞台となった大正末から昭和の初めにかけては、関東大震災があり、
世界恐慌があり、国際間の緊張も高まっていました。

 「今とそっくりです。
ただ、あの頃の人々は、健康で長生きしよう、などとは考えていなかった。
東京はかつて、世界で一番結核患者の多かった街です。
若者がどんどん死んでいった。
将来の保障は何もないから、生きられる間に力を尽くして生きねば、と思っていた」

 「去年から今年にかけて、一緒に仕事をした40、50代の友人が何人か死にました。 

順番じゃない。
本当に死は後ろにあると思うしかない。
僕自身、精神的にマイナスになると死ぬのが怖くなる。
自分が生産的だと、どうでもよくなるんですけど」

   ■     ■

 ――「身近な範囲しか責任は持てない」と言いつつも、映画を通じて多くの人に
影響を与えていますね。

 「僕は文化事業ではなく仕事として映画を作っている。
それがたまたま売れただけ。
客が入らなかったら一瞬にしてつぶれる。
最近ジブリに入社した人は安定企業と錯覚しているが、ちゃんちゃらおかしいです」

 ――アニメーションの業界でも人件費の安い海外に仕事を発注することが増え、
空洞化が進んでいますが、ジブリは国内で多くの正社員を雇い続けている。
なぜですか?

 「ちゃんとしたものをつくるためです。
社員化のきっかけは二十数年前につくった『魔女の宅急便』です。
当時は作品ごとにアニメーターたちと契約し、出来高払いでやっていました。
だが、画面の密度を上げると作画ペースがその分落ちて、みんな貧乏になって
しまった。
出来高制では、労働者は損耗してしまう。
社員化すれば経営のために次々と新作を作らねばならず、能率も下がるでしょう。
大変になるのは分かっていましたが、映画を作り続けるにはそれしかなかった」

 「今度の映画では、3年前に入社した人たちが本当に戦力になりました。
泣き出したくなるぐらい複雑な群衆シーンを手を抜かずにやった。
自分たちで見ても圧倒されます」

 「国内で一定数の社員を抱えているアニメーションの会社は、ジブリ以外では
『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督が経営する『カラー』ぐらいでしょう。
彼とは30年来のつきあいですが、作品づくりに力を尽くし、次世代の人材を育成
しようと、塗炭の苦しみを味わっている。
今度の映画では堀越二郎の声を演じてもらいました。
庵野は飾らず、時代を精いっぱい生きている。
現代で、堀越二郎に一番似ているのは彼だな、と思ったんです」

 (聞き手・太田啓之)

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 みやざきはやお 41年生まれ。学習院大卒。
63年東映動画に入社し、労働運動にも積極的に参加。
85年スタジオジブリ設立に参加。「紅の豚」など作品多数。
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