[CML 025458] 無関心の罪 Д蹇璽譽鵐后Ε妊凜ッドソン

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2013年 7月 18日 (木) 01:43:43 JST


みなさまへ    (BCCにて)松元

ここに紹介する拙訳は、ナチ・ホロコーストのユダヤ人・サバイバー(生存者)
として象徴的な証言者と なってきたエリ・ ヴィーゼルの「無関心に傍観しては
ならない」という思想を受けて、中東研究の歴史家ローレンス・デヴィッドソン
が考察した「無関心の罪」 という短い論考で す。また、デヴィッドソンがこれ
を書くきっかけとなったウリ・アヴネリのイスラエル人の無関心についてのハ・
アレツ紙の記事も後半に付し ました。

ホロコーストをくぐり抜けたユダヤ人として「傍観してはならない」と啓発する
エリ・ヴィーゼル、アメリ カ人として同じ植 民国家であるイスラエル人がつく
りあげた集団意識「無関心の罪」を指摘するローレンス・デヴィッドソン、イス
ラエル人左派として「占領の 無関心」を警告す るウリ・アヴネリ、あなたは日
本人として、この「無関心」をどのように考えますか?

参考までに、訳者の感想を述べておきます。

先日、パレスチナのヘブロンで5歳の子どもが「石を投げた」罪でイスラエル兵
に逮捕されたという記事を紹介したが、日本では、福島の避 難者が補償もなく
打ち棄てられ、在日朝鮮人が言葉の「石を投げられ」、ともに「無関心」という
大きな構造に被害者が喘いでいる。ともに加害者が罪責を問わ れることなく、
集 団の「無関心」が加害と被害の双方をうやむやにしてしまっている現実がある。

しかし無関心は、強烈な関心の裏側である。占領と人種差別をよしとする強烈な
関心の裏側が無関心であ る。5歳の子 どもの逮捕が人種 差別であるとは考えた
くない強烈な占領体制への関心、アイヌの墓の盗掘が人種差別だとは思いたくな
い強烈な自己弁護、在日朝鮮人差別が人 種差別だと思いた くない強烈な排外自
己中、戦争責任に頬被りしてたえず侵略された側の北朝鮮や中国を攻撃する強烈
な自己正当化、沖縄や福島の犠牲者が我が 身と関係ないと思 いたがる強烈な自
己保身、こうした強烈な自己関心の裏側に対となった「無関心」があるのではな
いか。

期せずしてRestorationは、「復興」であり、「維新」である。イスラエルは
「ユダヤ国家の復興」がどんな戦争犯罪も占領犯罪も 正当化されると信 じてい
る。日本も靖国神社と天皇制侵略国家を生み出した「維新」を自ら断ち切ること
なく(この「ねじれ」がいま顕在化しているが)連続し た近代国家だと信 じて
いる。イスラエル人として生きることは、シオニズムの人種差別を実践して生き
ることだ。日本人として生きることは、明治以来の膨張排 外主義を取り戻し
「ガンバレニッポン」として生きることだ。イスラエルも日本も、その
Restorationという神話から離れられないようだ。ありもしない「神話」への強
烈な関心ゆえに、その無責任と犠牲者をどこまで拡大 してゆくのか?「何かが
間違っている」ことの根は深い。

★ご参考最新記事:「イスラエル愛国者の最後の切り札はボイコットだ」ギデオ
ン・レヴィ (ハアレツ 2013年7月14日)
http://d.hatena.ne.jp/stop-sodastream/20130715/1373904886

※訳注 1:エリ・ヴィーゼルの聖書の言葉は、「汝の隣人の血が流されるとき、
無為に傍観する勿れ」レビ記19:16。

※訳注2:著者ローレンス・デヴィッドソン博士は、米国ペンシルバニア州の
ウェスト・チェスター大学の 歴史学教授。中東史研究を中心に、中東と米国の
関係史、および現代ヨーロッパ思想の研究者。Intifada-Palestineの常連投稿者。

●出典:Intifada-Palestine,Posted: 01 Jul 2013 05:29 AM PDT
http://feedproxy.google.com/~r/intifada-palestine/yTiY/~3/diAOT-LESn8/?utm_source=feedburner&utm_medium=email

*The Crime of Indifference -- An Analysis by Lawrence Davidson***

*無関心の罪***

*ローレンス・デヴィッドソン博士(松元保昭訳)****
2013**年**7**月**1**日***

***パー ト機¬鬼愎***

エリ・ヴィーゼルは、世界的に著名な人物である。ナチズムの強制収容所にかん
する心を揺り動かす描写の 著作によって、彼 はホロコースト犠牲者の象徴的人
物となった。彼の多くの洞察のなかに、「愛の反対は憎しみではない。無関心で
ある。」という有名な言葉が ある。ヴィーゼル は繰り返しこのモチーフを語っ
てきた。セントルイスのワシントン大学で行われた2011年の卒業式のあいさ
つで、彼は聴衆に語った。「私 にとって、もっと も大切な戒めが聖書のなかに
あります。『汝、無関心でいる勿れ』これは、あなたが不正を目撃したなら無関
心に傍観してはならない、という ことを意味しま す。」また2012年、ボス
トン講義のあと、ヴィーゼルはボストン大学の学生たちに語った。「…傍観ゆえ
に無関心にさせる無知こそ、最大 の危険であると私 は思う。…もし誰かが苦痛
を受けており、彼または彼女の苦痛を軽減するために私が何もしなければ、私の
どこかが間違っている。」

残念なことに、シオニズムを支持し行動を共にすることでヴィーゼルは、モラル
の象徴のような彼の評価が 疑われる矛盾と ディレンマに必然的に陥っているこ
とになる。実例として、2010年3月、ちょうどイスラエルがパレスチナ住民
を立ち退かせていたとき、 彼はエルサレム問 題をめぐってイスラエル政府にい
かなる圧力も与えないようオバマ大統領に公開の嘆願を訴えていた。そうするこ
とで、彼はイスラエルの目的 と行動という現実 の姿に、彼自身の無関心をさら
け出していたのである。その結果、100人のイスラエル知識人と活動家たち
は、彼の態度と振る舞いに「失 望」と「怒り」を表 明した公開書簡を送った。

それにもかかわらず、無関心と無反応についての彼の評言は、重要であり洞察に
満ちている。例えば、「も し誰かが苦しんで いるなら、彼または彼女の苦難を
軽減するために私が何もしないのであれば、私のどこかが間違っています。」こ
うしたヴィーゼルの格言は、 何十年ものあいだ 「無関心に傍観してきた」彼の
多くの仲間のシオニストの誰彼を審査する基準として用いることができるもので
ある。

***パート供▲ぅ好薀┘襪量鬼愎*

最近、ウリ・アヴネリがここで示した事実に注意を促す幾つかの記事があった。
(ハ・アレツの同記事全文 を下段に紹介しています。=訳注)

「われわれ[イスラエル人]は、われわれがいつも見ているこの状況[「我が家
からたった2,3分のドラ イブで行く」占 領]に慣れるようになってしまっ
た。」ニューヨークタイムズの前エルサレム支局長エタン・ブローナー氏は、イ
スラエルの政策と差別的な常 習行為が引き起こ す苦しみに対するこの広がる無
関心を確認した。「[イスラエル人の」わずかな人でさえパレスチナ人について
話をしません。…長い間彼らの 中心的な課題と見 えていたこと―他民族とこの土
地をいかに分かち合うか―に焦点を当てる代わりに、イスラエル人の大部分はそ
れを無視しています。」**

さらに具体的には、第二次インティファーダが勃発した2000年9月以来、イ
スラエル軍は1500人以 上のパレスチナ人 の子どもたちを殺害した、例えば
現実のこうした事実を見て見ないふりをしている。中東モニターによれば、「ほ
ぼ13年間で、3日ごとに1 人の子どもがイス ラエルに殺害されている」こと
になる。同じ期間に、負傷した子どもは6000人に達し、18歳以下の子ども
は約9000人が逮捕されてい る。ヒューマン・ ライツ・ウォッチのような民
間NGOはもちろん国連によっても立証されているパレスチナ人の苦難は、実
際、平均的なイスラエル人によって 顧みられることな く依然として進行している。

そして状況としては、少しも改善されそうにない。イスラエル人がパレスチナ人
の苦難に無関心を決め込ん でいるあいだ、イ スラエル政府はこの苦難の体制を
無期限に続行し維持するという意向をほのめかした。「イスラエル内閣の新星」
通商大臣ナフタリ・ベネット によれば、パレス チナ国家という発想は「死ん
で」おり、西岸の相当な範囲を併合すべきである。国防副大臣ダニー・ダノンは
これに同意し、「われわれは、 1967年のライン の内側にパレスチナ政府を
創設するような政府ではない。国家主義者(ナショナリスト)の政府である。」
と述べている。その間に、彼らがそ れ(パレスチナ人 の苦難)を考えようと考
えまいと、イスラエル人の相当数は、パレスチナの土地の不法な占領をますます
拡大することで利益を得ているのであ る。

*パート掘¬誼里量魍*

**われわれはヴィーゼルの言葉を使ってこのように問うことができる:

パレスチナ人の65年もの苦難をまったく気にかけないイスラエル人は何が間
違っているのか?イスラエル 人の何が悪いのか?彼が「傍観ゆえに無関心にさ
せる…無知」と述べるなら、ヴィーゼル自身が解答の一部をもっていることになる。

無知とは何か?平均的なイスラエル人は、この問題で本当に無知なのか?最初は
この主張がばかげているよ うにみえる。そも そもアヴネリが注意を引きつけた
ように、パレスチナ人のこの苦難は、大部分のイスラエル人の裏庭からけっして
「ちょっとの間」以上の距離 ではないし、とき どきイスラエル・ユダヤ人の上
にブーメランとして返ってくることもある。それにもかかわらず、一種の仕組ま
れた意図的な無知が効果を示し 始めるのだ。人 は、無関心を引き起こしては、
自らの役割と他者の苦難をともに否定する歴史観を身に着け、無知のなかで育て
られることが可能である。集団 全体は、純粋に (その無知を)信じている人々
の中でも最も忠実な適合の仕方をする人々によって、心理学的にそのような人格
形成を行うことができる。この ように条件付けら れた無知が、他者の運命にた
いする無関心の基盤になっている。イスラエル人はこのプロセスの完成品を作り
上げているのだ。

しかし、このシナリオはシオニストやイスラエル人のオリジナルではない。事
実、多くのシオニストはこの ように世界を見る 観方をアメリカ人から学んでい
た。数年前に私は、この遺産を探究した『アメリカのパレスチナ』という本を出
版した。結論から言うと、 1920年代のシオニ ストの主題のひとつは、現地
のパレスチナ人が文明化と現代化の勢力に激しく抵抗する先住民アメリカ・イン
ディアンと同等のアラブ人であっ たということで あった。これらのインディア
ンの破滅―残忍な略奪と民族浄化に対する平均的なアメリカ人の態度はどうで
あったのか?それは、やがては大部分のアメリカ人が、インディアンや彼らの運
命をまるで考えようとしないまでに大きく成長した無関心というものであっ た。

数年前、ペンシルバニア大学で討論したとき、イスラエル・ペンシルバニア領事
館の副領事と彼のシオニス ト・グループの学生たちに、この関連の説明を試み
たことがある。長期にわたるシオニストの戦略は、パレスチナ人を民族浄化する
ことであっ た。それゆえ世界に対しては、そ のうち時がたてば慣れてゆき、つ
ぎにはこの罪を忘れるよう期待することであった、とそれとなく言ってみた。
100年あるいは150年たっ て、誰がパレスチ ナ人を思って泣くだろうか?
今日同じ集団について、アパッチ族やシャイアン族を嘆くように?しかしまた、
私は、今日のポスト帝国主義者の 世界において、こ の歴史的なシナリオが同じ
ことを繰り返すとは考えられなかった、と彼らに話した。領事と彼の取り巻き連
中みんなの反応は否定的だった。彼 らは退場していっ た。 

*パート検結論*

ヴィーゼルがそれほど恐れている傍観にいたる無関心は、すぐにもわれわれの人
生の習慣的な一部となりう る。そもそも、わ れわれの人生の多くは、まさに
「与えられた立場で合理的に有用か不合理に不適切か」どちらも可能な「習慣的
な行動の連続」である。後者の 場合、われわれは トラブルを起こすことにな
る。イスラエル人がパレスチナ人の苦難を無視しているとき、この点で彼らは
「彼らの与えられた立場で不合理で不 適切な」行動をし ており、それは、
ヴィーゼルの言い方では、彼らの「何かが間違っている」という意味になる。あ
まりにこの行動様式を繰り返し振る舞ってき たわれわれは、ア メリカ人とし
て、この症状を認めるべきである。シオニストがこの無感覚をモデルとしたよう
に、現在この無関心は、イスラエルの土地にかん するわれわれの 「特別な関
係」の指標となっている。

(以上、*ロー レンス・デヴィッドソンの*翻訳終 り)




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