[CML 025272] 2013参院選 躍る言葉に背を向け、文字通り、地に足をつけることである/高村薫

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp
2013年 7月 5日 (金) 17:14:54 JST


新聞記事
朝日新聞・WEB
2013.7.5
2013参院選  躍る言葉に背を向け、文字通り、地に足をつけること/高村薫さん
http://digital.asahi.com/articles/TKY201307040573.html?ref=pcviewer

5月、所用で名古屋からJR中央西線の長野行き特急列車に乗った。
岐阜県を経て長野県へ至る木曽路の山間を走り抜ける列車は、遠くに木曽山脈の稜線を 

望み、眼下に木曽川の峡谷が切れ込む車窓の絶景で名高いが、この路線が開通した
百年前の日本人が見ていたのは、こんなに緑豊かな山々ではなかったらしい。
太田猛彦著「森林飽和」によると、日本人は古来、燃料や肥料や資材として森林資源を 

利用し続け、江戸時代にようやく保全の取り組みは始まったものの、20世紀初めには 

国土の6割を占める森林の半分以上を荒廃させていたのだという。
近代化に伴う薪炭需要の増大や養蚕業の発展などで日本各地の山の荒廃が史上
もっとも進んだ明治時代、殖産興業に憑かれた人びとの眼にあったのは、崩落で荒れた 

山肌にそびえる未来のダムや水力発電所の姿だったのだろうか。

 ひるがえって21世紀のいま、緑深い車窓にはほぼ並行して走る中山道の、よく整備 

された国道の風景があり、長野・上越方面と名古屋圏を結ぶ大型トラックの姿があり、 

多くの水力発電所があり、合板プラントや製材所などの事業所があり、国道沿いには
ガソリンスタンドやコンビニエンスストアが点在する。
一方、スキー場やその周辺の宿泊施設の案内看板が色褪せたまま放置され、1980年代
から90年代にかけてのスキーブームのころにはずいぶん賑わったのだろうドライブインが、
廃れた姿をさらしていたりもする。
都会でつくられるさまざまなブームだけでなく、成長の終わりに伴う経済規模の縮小や 

衰退も、少子高齢化も、まずは地方に響いてくるのだが、大型トラックが通過したあとの
空っぽの中山道を眺めながら、かつてはここを満員のスキーバスが行き交った面影もない、
人間の営みの移ろいを思った。

 ***

 都会の人間は里山に憧れる。
けれども、戦後造林されたスギ・ヒノキが安価な輸入材に押されて放置され、薪炭需要も
減った結果、皮肉にも日本の山々は深い緑を回復したに過ぎない。
前掲書の太田は、森には「使う森」と「護る森」がなければならないと説くのだが、どちらも
危機的状況になっている今日、私たちは深々とした山の緑に新しい荒廃の姿を読み取ら 

なければならないということだろう。
とはいえ、これは単純に林業や山村を再興させれば解決する話なのだろうか。

 私の住む関西では、2011年9月の台風12号の豪雨災害が記憶に新しい。
河川の氾濫と山腹崩壊に伴う土石流やせき止め湖の決壊により、奈良・和歌山・三重の 

3県で死者・行方不明者88人を数える大災害となったものだが、総雨量が千ミリを超える
ような集中豪雨の前では若者も年寄りもない。
人工林も自然林もない。
当時紀伊半島で起きた山腹崩壊の一部は、表層ではなく岩盤の深さまで崩れ落ちる深層 

崩壊だったと言われているが、これまで滅多に起きないとされてきた種類の崩壊が現実に
起きるようになった気候変動の時代に、私たちは生きている。

 もっとも、なすすべのない深層崩壊も、それ自体は山腹に起きる自然現象であって、 

たまたま人がそこに住んでいるために脅威となるに過ぎない。
その一方で、山に分け入り、道をつけて交易ルートを開き、木材を伐り出し、炭を焼き、 

畑を拓いてきた山間の暮らしもまた、そのまま日本人の生活史の一部であると言うべきだろう。
山を畏れ、拝み、ときに山崩れや洪水に押し流されて集落を壊滅させながら、それでも 

しぶとく再起してきた暮らしがそこここにある、というだけである。
だからこそ人びとは、崩れた道路やのり面を何度でも復旧させて暮らしを取り戻そうとする
のだし、紀伊半島ではいまなお崩落箇所の復旧工事が続いているのである。

 林業の復活には時間がかかる。
加えて、もともと厳しい自然条件の下での山間の暮らしである。
かの鈴木牧之が「北越雪譜」に描いた江戸時代のそれとは違い、山を下りても別の暮らしが
ある今日、紀伊山地でも限界集落の増加は止まらない流れとなっている。
「使う森」「護る森」はまだしも、「住む森」はいずれ消えてゆく運命にあるのだろう。 

先の台風被害では和歌山県田辺市の集落が一つ廃村となったが、解散式の様子を撮影
したビデオ映像では、村を去る人びとの決意と諦観の表情が印象的だった。
住み慣れた土地への思いはけっして無条件の愛着だけで語れるものではなく、個々の
暮らしの諸条件によって、複雑かつ多様になるということである。

  ***

 東日本大震災を目の当たりにしたせいだろうか。
最近、故郷を去る人のことをよく考える。
地方の山間に広がる限界集落で、自身の病気や身体的な不自由により、ついに自発的に 

土地を捨てる決心をする人びと。
チェルノブイリや福島のように、原発の重大事故で強制的に故郷を追われる人びと。
選択の余地もなく故郷を追われるのは、内戦状態のシリアや、ソマリアや南北スーダン 

などの難民もそうだろう。
限界集落も土砂災害も、原発事故も戦争も、みな人間の営みの過剰と欲望の物語であるが、
同時に個人の意思の及びがたい共同体全体の物語でもあり、それゆえどんな離郷も深い 

無念の光景となる。
人が離郷で失うのは、馴れ親しんだ暮らしだけではない。

最大の喪失は、土地の匂いといった己が身体に根ざしたアイデンティティーである。
 土地の記憶は、土地を離れても人の身体に刻まれて生き続けるが、移民の国アメリカ 

では少し状況が異なる。
私は昔、スタインベックの「怒りの葡萄)」に描かれた、アメリカ中西部の農地を覆い 

尽くす砂嵐の風景にこころを奪われたが、30年代半ば、アメリカではトウモロコシや 

綿花の単一品種の大規模栽培が農地の土壌流出を引き起こした結果、中西部一帯を
実際に砂嵐が襲い、物語のジョード一家のように、多くの農民が土地を捨てて
カリフォルニアを目指した。
私には、彼ら貧農の根無し草の暮らしの厳しさが、アメリカ人全般の国家という
アイデンティティーの強さをつくってきたように思えてならない。
土地の記憶の代わりの星条旗である。

 もっとも、人が自ら土地を捨てる例は日本にもある。
蝦夷地でアイヌの人びとが捕っていたニシンは、江戸時代の松前藩で本格的な漁が
始まり、明治大正期にピークを迎えた。
ニシン漁の隆盛は多くの漁民を北海道沿岸に引き寄せたが、50年代に突然ニシンが
来なくなると、潮が退くように人が去り、集落が消え、鉄道が消え、いまでは何もない 

草地と閑散とした道路が残されているだけである。
そこでは近隣の田んぼもまた捨てられて草地に返っているが、農耕民族であっても、
人は食えなくなった土地をさっさと捨てて移動してゆくものだということである。

 そして、やがてまたどこからか人がやってくる。
三陸沿岸の町や村も、いずれまた人の暮らしが始まるときは来る。
豊かな海があり、土地があり、私たちが必要とする限り、暮らしは必ず興る。
ちなみに、いったん人がいなくなった土地自身は、次に人がやってくるときまで
自然に返るだけのことである。

 ***

 ところで、「私たちが必要とする限り」と書いたが、私たちはいったい何をどこまで 

必要としているのだろうか。
「生きるための最低限」ではなく、「できるだけ多く」でもなく、問うべきは一人一人が
「どう生きるか」であり、そのために何が必要か、である。

 いずれ確実に起きるとされる南海トラフ地震について、国はここへ来て発生の
予測はできないとする一方、1週間分の食糧備蓄を、と言いだした。
予測では、最大死者数が32万人。
被害総額は東日本大震災の10倍の220兆円。
東海から九州の太平洋沿岸にかけて、地震発生から数分で高さ20メートル、
30メートルの津波が到達するとされる町村が並ぶ。
被害の大きさと復興に必要な国力などを考えると、一部の町村は地図から消えて
しまうことになるのかもしれない。
これが私たちの直面している現実である。
だから、どう生きるのかと自問するのである。
東日本大震災の三陸沿岸の被災地では、復興の名の下でなおも巨大堤防の
建設が計画されているが、人間が国土を強靱にすることの無謀を見せつけられた
のが、先の大震災ではなかったのか。

 話題となったデイビッド・モントゴメリー著の「土の文明史」を読む。
人間の農耕文明は土壌に頼るだけでなく、灌漑や鋤の利用や施肥によって
収量を絶えず増大させてきたこと。
収量が増えると人口も増え、それがまた農地を拡大させてゆくこと。
その営みが必然的に土壌を使い果たし、やがては一つの文明の終焉をもたらして
ゆくこと。
著者は、富のためであれ、生きるためであれ、人間が知恵を駆使してこの大地で
生きること自体が不可避的にもたらす文明の限界を見据えているようだが、
そうは言われても――と思う。

 人間を間引くことなどできない。
限られた土地で私たちはともかく食べてゆかなければならないのであり、そこでは
たとえば適切な化学肥料の使用こそ不可避の話になるだろう。
その一方、もともと土壌が痩せている熱帯の原野を、食糧確保のために先進国が
こぞって大豆畑に変えるような醜い収奪を拒否する理性も求められるだろうし、
40万ヘクタールもの国内の耕作放棄地や減反政策を解消するための、今日
明日の努力も求められるはずだ。

 躍る言葉に背を向け、文字通り、地に足をつけることである。
明日にも大地震や豪雨に呑み込まれるかもしれないこの大地と、是も非もなく
向き合うとき、初めて「どう生きるか」という意思と選択の問いが始まる。
いまこそ、そういう日本人でありたいと思う。


    *

 たかむらかおる 
53年生まれ。
93年「マークスの山」で直木賞、10年「太陽を曳(ひ)く馬」で読売文学賞など
受賞歴多数。近著に「冷血」。 



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