[CML 025239] 「敗けた」ということ 「永続敗戦」を提起している、白井聡さん

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp
2013年 7月 4日 (木) 02:14:42 JST


新聞記事
朝日新聞・WEB
2013.7.3
「敗けた」ということ 「永続敗戦」を提起している、白井聡さん
http://digital.asahi.com/articles/TKY201307020560.html?ref=pcviewer

「新しい国へ」「グレートリセット」と語気を強める政治家が拍手を浴びる、戦後68年目の夏。
私たちは「何か」を、なかったことにしたがっているようだ――いったい、何を?
 そして、なぜ? 
戦後日本が大切に紡いできた「平和と繁栄」の物語の読み直しに挑んでいる、
社会思想史家の白井聡さんに聞いた。


 ――歴史認識をめぐって、みんなが言いたいことを言うようになっています。
「タガが外れた」感がありますが、これまで何が、日本社会のタガとなっていたのでしょう。

 「それは、戦後日本を象徴する物語たる『平和と繁栄』です。
『中国や韓国にいつまで謝り続けなきゃならないのか』という不満に対して、
『これは遺産相続なんだ』という説明がされてきました。
遺産には資産と負債がある。
戦争に直接責任がない世代も戦後の平和と繁栄を享受しているんだから、負の遺産も
引き受けなさいと」

 「しかしいま、繁栄は刻一刻と失われ、早晩、遺産は借金だけになるだろう。
だったら相続放棄だ、という声が高まっています」

 「そもそも多くの日本人の主観において、日本は戦争に『敗(ま)けた』のではない。 

戦争は『終わった』のです。
1945年8月15日は『終戦の日』であって、天皇の終戦詔書にも降伏や敗戦という言葉は
見当たりません。
このすり替えから日本の戦後は始まっています。
戦後とは、戦前の権力構造をかなりの程度温存したまま、自らを容認し支えてくれるアメリカに
対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受
してきた時代です。
敗戦を『なかったこと』にしていることが、今もなお日本政治や社会のありようを規定している。
私はこれを、『永続敗戦』と呼んでいます」

 ――永続敗戦……。言葉は新しいですが、要は日本は戦争責任を果たしていないという、
いつものあの議論ですね。

 「そう、古い話です。
しかし、この話がずっと新しいままであり続けたことこそが、戦後の本質です。
敗戦国であることは端的な事実であり、日本人の主観的次元では動かせません。
動かすには、もう一度戦争して勝つしかない。
しかし自称愛国者の政治家は、そのような筋の通った蛮勇を持ってはいません」

 「だからアメリカに臣従する一方で、A級戦犯をまつった靖国神社に参拝したり、侵略戦争の
定義がどうこうと理屈をこねたりすることによって自らの信念を慰め、敗戦を観念的に否定して
きました。
必敗の戦争に突っ込んだことについての、国民に対する責任はウヤムヤにされたままです。
戦争責任問題は第一義的には対外問題ではありません。
対内的な戦争責任があいまい化されたからこそ、対外的な処理もおかしなことになったのです」

 「昨今の領土問題では、『我が国の主権に対する侵害』という観念が日本社会に異常な興奮を
呼び起こしています。
中国や韓国に対する挑発的なポーズは、対米従属状態にあることによって生じている『主権の
欲求不満』状態を埋め合わせるための代償行為です。
それがひいては在特会(在日特権を許さない市民の会)に代表される、排外主義として表れて
います。
『朝鮮人を殺せ』と叫ぶ極端な人たちには違いないけれども、戦後日本社会の本音をある方向に
煮詰めた結果としてあります。
彼らの姿に私たちは衝撃を受けます。
しかしそれは、いわば私が自分が排泄した物の臭いに驚き、『俺は何を食ったんだ?』と首を
ひねっているのと同じです」

 ――左派リベラルは、なぜタガになり得なかったのでしょうか。

 「左派の最大のスローガンは『平和憲法を守れ』でした。
復古主義的な権力者たちに憲法をいじらせてはならないという時代の要請に応えたものでは
あったのですが、結果的には『平和がいいよね』というものすごく単純な心情にのみ訴えかけて
大衆動員をはかろうという、政治的には稚拙なキャンペーンになってしまいました」

 「繁栄が昔日のものとなる中で急激に平和も脅かされつつあるという事実は、戦後社会に
根付いたと言われてきた平和の理念が、実は戦後日本の経済的勝利に裏付けられていたに
過ぎなかったことを露呈させています。
左派はこのことに薄々気づいていながら、真正面から向き合おうとはしてこなかったと思います」

 ――右も左もだめなら、タガは外れっぱなしですか。

 「海の向こうからタガがはめられていることが、安倍政権下で顕在化してきました。 

鳩山政権時代、日米同盟の危機がしきりと叫ばれましたが、それは想定内の事態でした。 

米軍基地をめぐりアメリカにたてついたのですから。
ところが安倍政権は対米従属の性格が強いにもかかわらず、オバマ政権から極めて冷淡な
対応を受けています。
非常に新しい事態です。
これはなんと言っても歴史認識問題が大きい。
当然です。
アメリカにしてみれば、俺たちが主導した対日戦後処理にケチをつけるのか、お前らは敗戦国
だろうと。
『価値を共有する対等な同盟関係』は、日本側の勝手な思い込みに過ぎなかった。
対米従属が危うくなっているということは、端的に『戦後の終わり』を意味します」

 ――そんな中、被害者意識を核にした物言いが目立ちます。

 「被害者意識が前面に出てくるようになったきっかけは、拉致被害問題でしょうね。 

ずっと加害者呼ばわりされてきた日本社会は、文句なしの被害者になれる瞬間を待っていたと
思います。
ただこの被害者意識は、日本の近代化は何だったのかという問題にまでさかのぼる根深い
ものです」

 「江戸時代はみんな平和にやっていたのに、無理やり開国させられ、富国強兵して大戦争を
やったけど最後はコテンパンにたたきのめされ、侵略戦争をやったロクでもないやつらだと
言われ続ける。
なんでこんな目に遭わなきゃいけないのか、近代化なんかしたくてしたわけじゃないと、 

欧米列強というか近代世界そのものに対する被害者意識がどこかにあるのではないでしょうか。
橋下徹大阪市長の先の発言にも、そういう思いを見て取れます」

 ――しかし、被害者意識を足場に思考しても、何か新しいものが生まれるとは思えません。

 「その通りです。
結局いま問われているのは、私たちが『独立して在る』とはどういうことなのかということです。
いま国民国家の解体が全世界的に進行し、大学では日本語での授業が減るだろうし、
社内公用語を英語にする企業も増えている。
この国のエリートたちはこれを悲しむ様子もなく推奨し、みんなもどこかウキウキと英語を
勉強しています。
このウキウキと日本人の英語下手は一見背反する現象ですが、実はつながっているのでは
ないでしょうか」

 ――どういうことでしょう。

 「英語が下手なのは、言うべき事柄がないからですよ。
独立して在るとは『言うべき言葉』を持つことにほかならない。
しかし敗戦をなかったことにし、アメリカの言うなりに動いていればいいというレジームで生きて
いる限り自分の言葉など必要ありません。
グローバル化の時代だと言われれば、国家にとって言語とは何かについて深く考察するでもなく、
英語だ、グローバル人材だと飛びつく。
敗戦の事実すらなかったことにしているこの国には、思考の基盤がありません」

 「ただし、仮に言うべきことを見つけても、それを発するには資格が必要です。
ドイツだって『俺たちだけが悪いのか』とそりゃあ内心言いたいでしょう。
でもそれをぐっとこらえてきたからこそ、彼らは発言できるし、聞いてもらえるのです」 


 「言うべきことがないことと、『仕方ない』で何事もやり過ごす日本人の精神風土は関係して
いるのでしょう。
焦土から奇跡の復興を遂げて経済大国になったという国民的物語においては、戦争が天災の
ようなものとして捉えられています。
福島第一原発事故についても、いっときは社会が脱原発の方向へと動いたように見えましたが、
2年が経ち、またぞろ『仕方ない』という気分が広がっている。
自民党政権はなし崩し的に原子力推進に戻ろうとしているのに、参院選での主要争点には
なりそうにありません」

 ――「仕方ない」の集積が、いまの日本社会を形作っていると。

 「その代表が原爆投下でしょう。
日本の自称愛国者たちは、広島と長崎に原爆を落とされたことを『恥ずかしい』と感じている
節はない。
被爆の経験は、そのような最悪の事態を招来するような『恥ずかしい』政府しか我々が持ち
得なかったことを端的に示しているはずなのに、です。
原発事故も、政官財学が一体となって築き上げた安全神話が崩壊したのですから、まさに
恥辱の経験です。
『仕方ない』で万事をやり過ごそうとする、私たちの知的・倫理的怠惰が、こういう恥ずかしい
状況を生んでいる。
恥の中に生き続けることを拒否すべきです。それが、自分の言葉をもつということでもあります」

 (聞き手・高橋純子)

    *

 しらいさとし 77年生まれ。
文化学園大学助教。
専門は社会思想・政治学。
著書に「永続敗戦論」「『物質』の蜂起をめざして」「未完のレーニン」。 



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