[CML 022725] 体罰、近代日本の遺物 「持たざる国」補う軍隊の精神論/片山杜秀

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2013年 2月 20日 (水) 09:17:38 JST


新聞記事
朝日新聞2013.2.19
http://digital.asahi.com/articles/TKY201302180413.html

教師に体罰を受けた。東京の私立小学校。しつけは厳しい。私語するとひざを打たれる。耳を引っ張られる。痛かった。

 まるで軍隊教育だ。よくそう思った。当時はまだ戦後約四半世紀。兵隊生活を描く映画やマンガが氾濫(はんらん)していた。
しばしばビンタの場面があった。その亜種のようなスポーツ根性物も多かった。しごきの描写が凄(すご)かった。

 実際、日本の軍隊では体罰は日常茶飯事だった。戦後5年めの座談会。
政治学者の丸山真男は徴兵体験をこう振り返る。
「(なぜ殴られるのか)考えているうちに十くらい殴られてしまうん(笑声)ですからね」

 軍隊での暴力的指導はいつからのことか。明治維新期の建軍当初からか。
そうでもないらしい。敗戦時の首相、鈴木貫太郎は海軍軍人。日清戦争前に海軍兵学校を卒業した
。自伝を読むと、その頃の兵学校は暴力と無縁だったという。

 転機は日露戦争。元陸軍大将の河辺正三が戦後に著した『日本陸軍精神教育史考』にそうある。
相手は超大国。ロシア軍は大人数で装備もよい。「持たざる国」の日本が張り合えるのか。
大慌てで新規徴兵した。
しかし中身が伴わない。練度が低い。弾も少ない。戦闘精神も上官への服従心も不足。おまけに敵は西洋人。体格がいい。
小柄な日本人が白兵戦を挑むとなるとつらい。

 苦心惨憺(さんたん)のやりくりの末、日露戦争は何とか負けずに済んだ。
が、次は分からない。仮想敵国は西洋列強ばかり。常備戦力を彼らに太刀打ちできるほど増やす。装備も訓練も一流にする。
そうできればよい。しかし、日本は人口も武器弾薬も工業生産力も足りない。結局、期待されたのは精神力だ。
戦時に動員されうる国民みなに、日頃から大和魂という名の下駄を履かせる。
やる気を示さぬ者には体罰を加える。
痛いのがいやだから必死になる。言うことも聞く。
動物のしつけと同じ。

 もちろん軍隊教育だけではない。大正末期からは一般学校に広く軍事教練が課された。 

過激なしごきは太平洋戦争中の国民学校の時代に頂点をきわめた。

 『日本人はどれだけ鍛へられるか』という戦争末期の児童書がある。
日本人はしごかれると英米人よりもはるかに高い能力に達するという。理屈はよく分からない。
でもそう信じれば勝てるという。
これぞ精神論である。

 戦後、日本から軍隊は消えた。
しかし暴力的指導の伝統はどうやら残存した。
「持たざる国」の劣位や日本人の体力不足は気力で補うしかない。
日本人は西洋人に個人の迫力では劣っても、集団でよく統率されれば勝てる。
そういう話は暴力的な熱血指導と相性がよい。
体格の立派な外国人と張り合うスポーツの世界ではなおさらである。

 先日、人前でずっと座っていなければならないことがあった。
それを眺めていたお客さんが言った。「あんなに堅苦しく膝を揃えていなくてもよいのに」

 なるほど。
しかし私はそういうとき、膝を崩すと昔の先生が叩きにこないかと今でも心配してしまうのだ。
からだは決して体罰を忘れない。
それでピシッとしているのだからよいとも言える。
が、もう一度してくれとは決して思わない。

     ◇

 かたやま・もりひで 
1963年、仙台生まれ。政治学者、音楽評論家。慶応大法学部准教授。
著書に『音盤考現学』『近代日本の右翼思想』『未完のファシズム――「持たざる国」日本の運命』など。
。 



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