[CML 022712] 限界にっぽん第2部・雇用と成長 大阪から:9 マクド難民予備軍

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp
2013年 2月 19日 (火) 10:43:21 JST


新聞記事
朝日新聞2013.2.18
http://digital.asahi.com/articles/TKY201302170376.html?ref=pcviewer

仕事や住まいを失い、マクドナルドなど深夜営業の店を渡り歩いて夜を明かす「マクド難民」。
大阪でそう呼ばれる人たちが増えたのは、多くの企業で非正規社員の採用が広がっているからだ。
低賃金に苦しみ、いつ職を奪われるか分からない。そんな不安を抱えるマクド難民の「予備軍」も多い。

 夜明け前の寒さがしみる午前5時前、大阪市天王寺区の近畿日本鉄道「大阪上本町駅」入り口のドアが開く。
古びたジャンパーを着込んだ男性たちがぽつりぽつりと現れ、ホームの待合室に入っていく。
しばらくすると、いすに座ったまま眠りに落ちた。

 電車の発着を告げる放送が頻繁に流れ、通勤の会社員たちが目の前を慌ただしく通る。 

それでも、起きる気配はまったくない。

 貧乏旅行の若者たちが、宿泊費を削るために駅で寝ることを「駅寝(えきね)」と呼ぶ。
それが日常の生活になっている男性たちだ。

 通勤の人並みが途絶えた午前10時半ごろ、一人の男性(49)が目を覚ました。

 派遣で働きながら、1年の大半を駅で寝る生活を10年あまり続けている。
「稼ぎが悪すぎてアパートなんか借りられませんわ」

 カメラ用品の工場に勤めている。時給800円で1日6時間。
週3~4日しか仕事がないので、月収は6万円ほどだ。

 働く日は、工場がある大阪市郊外まで片道200円の切符を買って駅に入り、昼まで寝てから工場に向かう。
仕事が終わると、この駅まで戻り、そのまま改札を出ずにホームか待合室で過ごす。

 終電が発車する午前0時すぎに駅のドアが閉まるので、いったん外に出る。
「路上で寝ると襲われるのが怖い」から、難波駅近くまで30分歩き、新古書店ブックオフで時間をつぶす。
24時間営業のスーパー「玉出」で、朝食と夕食用に安売り弁当を二つ買って、午前5時ごろ駅に戻る。

 疲れがたまるので、週に2日は個室ビデオ店に泊まる。稼ぎの中から、1日1500円(11時間)出し、シャワーを浴びてソファベッドで寝る。
1杯100円のコーヒーで毎晩を過ごす「マクド難民」よりも、少しは楽だという。

 もとは大阪の町工場のめっき職人で、正社員だった。
90年代からのグローバル化で中小企業がつぶれ、生き残ろうとする会社は中国などに工場を移し始めた。
職を失い、三洋電機の製品を倉庫から出し入れする仕事にありついた。

 それからずっと、派遣の仕事で転々としている。
収入が急減し、アパートを出て駅で寝るようになった。これだけ節約しても、お金は一向にたまらない。
「この生活をいつまで続けられるか」。不安だけが募る。

 ◆技能や待遇、低いまま

 非正規社員たちの希望がみえないのは、低賃金だけが理由ではない。

 「いまの仕事は来月で終わります」

 東日本大震災直後の2011年3月末、群馬県内で大手電機メーカー子会社の自動車部品工場で働いていた男性(47)は、派遣会社から電話で「クビ」を告げられた。
震災で自動車メーカーの生産が止まったあおりで、人件費を削るために派遣社員130人をすべて解雇するという。

 それまで9カ月働いていたが、契約は1カ月ごとに更新されていた。
不測の事態で人減らしをしなければならなくなった時のために、いつでも切り捨てられる「雇用の調整弁」としてつかわれていた。

 いま働いている愛知県の自動車部品工場でも契約期間は5カ月だった。
いつまた首を切られるか、不安が尽きない。
安定した職につきたいが「派遣から抜け出すのは難しい」と訴える。

 正社員への壁は高い。
非正規の仕事は単純作業が多く、経験や技能が身につかない。
将来のステップアップにもつなげられない。

 仙台市の非正規社員の男性(49)もそうだ。
地元の専門学校を出て派遣会社の正社員になり、日立製作所の子会社で93年まで7年間働いたが、事業の縮小にともなう人減らしにあった。
それから約20年、正社員の働き口はなく、東京や仙台で8カ所、非正規社員として働いてきた。

 コダックやニチレイ、日本郵船の子会社、明治学院大学など名の通った職場は多かったが、与えられたのは、郵便物の社内配達やコピー取りなどの単純な仕事が大半だった。
50歳が近づくいまも、勤め先の評価は新卒の若者とほとんど変わらない。
「クビにならないことを祈るだけ。非正規社員ならだれでも、マクド難民になる心配がある」


 ◆格差生んだ規制緩和

 非正規社員が広がる契機は、90年代後半の「派遣の原則自由化」だった。

 正社員の終身雇用を柱にした「日本型経営」の限界が叫ばれていた。
日本経営者団体連盟(いまの経団連)が95年、報告書「新時代の『日本的経営』」で非正規社員の活用を提案すると、規制緩和を求める声が強まった。
専門職に限定されていた派遣が99年、原則自由化され、小泉政権時代の04年には製造業にも解禁された。

 当時は、「雇用の流動化」や「ライフスタイルにあった働き方」といった規制緩和の利点ばかりが強調された。
だが次第に問題点が浮き彫りになってきた。

 小泉政権で厚生労働相を務めた坂口力氏は「戦後最悪の水準の失業率が続くなかで、どんな形でもいいから働く場を、と考えた。
業績が戻れば、企業はまた正社員を増やすと期待した」と、後に誤算を認めた。

 民主党政権は規制緩和の流れを変えようとしたが、目立った成果は上げられなかった。 

政権が自民党に戻り、厚労省幹部は「規制強化から規制緩和へと間違いなく転換する」とみる。

 95年の報告書をまとめた元日経連労政部長の小柳勝二郎氏は「グローバル競争の激化や65歳までの雇用義務化など企業の経営環境が大きく変わり、
雇用の枠組みを抜本的に見直す時期に来ている」という。
ただ、「失業者らが新たな技能を学んで再び雇用市場に戻れるようなセーフティーネットを同時に整備しないと、(格差拡大を生んだ)前回と同じことを
繰り返しかねない」と指摘する。

 (中川仁樹、編集委員・西井泰之)

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 次回は、社内失業者を集めた「追い出し部屋」について、法的な問題点などを現場の事例をもとに検証する。

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