[CML 022702] 「ゴジラ」の話

泥憲和 n.doro at himesou.jp
2013年 2月 18日 (月) 18:44:39 JST


「日本特撮映画大全」というDVDシリーズで、「ゴジラ」第一作をみました。
すごい名作です、これは。
核実験で生まれたとされているゴジラですが、
むしろ空襲のオマージュなんだと気づきました。
そう思ってネットで献策すると、そういった情報がたくさんありました。
自分が知らんかっただけです。

1954年、敗戦から9年後の作品ですから、なんと言ってもリアリティが違います。
ゴジラが上陸して町を破壊し、焼き尽くすのは、必ず夜です。
観客は、B29の夜間空襲の記憶を生々しく喚起されたでしょう。
家財道具を積み込んで避難する群衆がごった返す光景や、踏みしだかれて死んでいく親子の情景は、空襲を実体験したスタッフだからこそ作れた映像だと息を呑みました。
ゴジラに焼かれた街の遠景シーンは、ペラペラ燃えるセットではありません。
轟々と燃える炎から立ち上る幾条もの黒煙が、空を染めています。

焼け出された人々が集まる病院の光景も描かれており、とてもリアルです。
炎のなかを逃げ惑ってようやくたどり着いたのであろう、煤だらけの薄汚れた人々が、 

停電で薄暗い建物の床にひしめき合って、傷つき疲れはてて、力なくへたりこんでいます。
子どもはゴジラの放射能に被ばくしています。

後代の特撮映画は、あれだけ巨大な怪獣が暴れるのに、死者も負傷者も描かないし、家財を失った人々の絶望も描きません。
ただ群衆がキャーと逃げているだけで、緊迫感や生活感がまったくありません。
てか、そういうコンセプトじゃないからね。

戦争の悲惨な記憶を呼び覚ますリアリティが目障りだった方面から圧力でもかかったのか、
二作目ゴジラからは民衆の悲哀が姿を消し、単なる怪獣プロレス映画になってしまいました。
それゆえ同時にゴジラの恐怖を伴った圧倒的パワーも描きようがなくなって、お子さま路線に退化していきます。
強いゴジラを復権させるために東宝スタッフが選択したのは、ゴジラの巨大化という安直な手段。
身長50mから100mに大きくされたゴジラは、ますますリアリティを喪失してしまいました。

圧倒的な災厄だった第一作目のゴジラ。
核実験から生まれたというその悪魔は、核のおぞましさ、その恐ろしさの象徴でもありました。
ところが後代には、ゴジラは人類の味方、ついには人類救済の最後の砦にまで昇格していきました。
どんな敵にも負けないその力強さの源に、核エネルギーがあるという描かれ方です。
「核は人類を救う!」
なんじゃそれは。

まことに残念なことですが、このようにして私たちの社会は戦争の継承記憶を失い、
核に対する本源的な嫌悪も希薄化し、
その結果として、いま軽薄な憲法改悪の目論見に流されつつあるのかも知れません。
ゴジラ映画の退廃は、そういった日本社会の変わり様を写す鏡だったのかも知れないなあと思いながらテレビ画面を眺めていたことでした。 



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