[CML 022473] 追記2: Re: 「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2013年 2月 5日 (火) 14:06:58 JST


前田さん

「森美術館問題を考える討論集会」はいよいよ本日の開催ですね。実りある議論の応酬を期待しています。

はじめにこの問題の当事者の会田誠さんがツイッターで前田さんにエール?を送っていますので、そのエールをまずご紹介して
おきます(すでにご存じかもしれませんが)。

     「前田朗さんは僕の展覧会見てくれてないんだろうなあ。なんならタダ券あげるけど。一緒に会場回るのも吝かじゃない
     よ。18禁部屋、あんなモンほんの一部だから、サラリとでいいよ。戦争画リターンズとか、現代社会扱った作品のところで
     じっくり話し合おうか。もしかしたら意気投合…ないだろうけど。」
     https://twitter.com/makotoaida/status/298308071371968512

また、以下は、先ほどジェンダー関係のメーリングリストに発信した私の意見です(ある人の投稿への反論のスタイルをとっていま
す)。ご参考までに本日の集会の問題提起者のおひとりとしての前田さん宛としても掲げておきます。

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Hさん

前便のあなたのメールの主旨が何度も読んでみましたが私にはよく掴みきれませんので質問させていただきます。

あなたは前便メールでポール・ニザンの「文学とは読者を『不快にする』ものだ」という言葉を引用した上で次のように書いていま
す。

「だれを「不快にさせる」のか?/きのうそうであったようなおだやかでなにごともおこらない生活が/きょうもあすもつづいていく
のだとつゆうたがわず、/その安穏にくびまでどっぷりつかっている/そういうひとびとを、でした」、と。

この「安穏にくびまでどっぷりつかっている/そういうひとびと」とは「『会田某展』という言い方はいかがなものでしょう?」という問
題提起をされたI氏ほかの人たちのことを指してそう言っているのでしょうか?(I氏のメールへの返信としての「だれを『不快にさせ
る』のか?」発言ですからそのように受けとめるほかないのですが)

だとすれば、Hさんのご認識には同意できません。

「会田誠」という氏名がはっきりわかっている人のことをあえて「会田某」と言う。そこに会田氏に対する批判の意思が働いている
ことは明らかです。もちろん批判は自由です。しかし、その批判は、一般に理路のあるものでなければ他者(ひと)の共感は得ら
れません。それをあえて「会田某」と言う。その言い方には「批判」以前の問題として会田氏をはじめから「貶めよう」とする意志が
働いています。

そういう「批判」のありようは「マズイ」のではないか、というのがI氏の問題提起でした。そうした問題提起者を指して、仮に「安穏
にくびまでどっぷりつかっている」人の例示としてあげているのならば、そうした評価は正しい評価とはいえないだろう、と私は思
います。

なお、ポール・ニザンはサルトルなどの評論を通じて私も名前だけは知っている作家ですが、彼の著作を直接読んだことはあり
ません。「文学とは読者を『不快にする』ものだ」という彼の評言はなんという著作の中での評言でしょうか? ご教示いただけれ
ば幸いです。

なおさらに私は昨日、会田誠氏の「犬」シリーズ問題の二伸として「「犬」シリーズの評価をめぐって(2) 報道と参考記事(重要な
指摘)」という記事を書きました。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-515.html

その中で、私は、フランスでの事例をあげて「カナダ、EU諸国、オーストラリアなどの主要先進国においてはすべて、これらは違
法な児童ポルノとして処罰の対象になっています」とするポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)の主張の誤りを実証的に指摘
しているサイトの論を紹介しています。これもご参照いただければ幸いです。

なおまた、同記事の中で、会田誠氏のお連れ合いの岡田裕子さんのこの問題についての意見も紹介しています(岡田裕子さん
の意見がある、という事実だけはすでに紹介ずみですが)。

その岡田裕子さんの意見は次のようなものでした。

「はい、わたしはこんな展覧会に呼ばれる作家です。 
http://www.brooklynmuseum.org/exhibitions/global_feminisms/ ちなみに
ブルックリンミュージアムのグローバリズムフェミニズム展は、それはそれで過激な表現が多く見られ、ヌード、流血、自傷等。
目玉はジュディシカゴのディナーパーティ、女性器を模した皿が巨大な三角のテーブルに並べられているというもの。性的な表
現はむしろフェミニストアートに多いのです。しかしフェミニストアートはポルノを彷彿とさせる表現であっても作者が女性であるこ
と、主題の内容などの関係でフェミニスト団体からのクレームはあまり無いように思います。では作者が男性であっても主題によ
ってはそれが単なるポルノか否か、単純な否定では無く論議すべき作品であるべきでしょう。そのためには実際に作者の展覧会
を観る事、画集、著書等熟読したのち議論の場に立つべきで、そうでないと水掛け論で終わってしまい、断絶が深くなる一方かと
思われます。そもそも議論のきっかけと成り得るのが美術作品の存在意義のひとつであるでしょうし。以上、会田誠妻つぶやき
でした。「妻」と言われると痒いんですが…。美術を志すパートナーだと思ってます。今後も表現の上では、劇団★死期など協力
体制を取るものもありますが、個人としては全く主題が対立したものも制作する事もあるでしょうし、お互いにそういう理解のもと
で付き合ってます。」
https://twitter.com/hirokook/status/296271990468255746
https://twitter.com/hirokook/status/296275168769228800
https://twitter.com/hirokook/status/296277333965426689
https://twitter.com/hirokook/status/296278460635176961
https://twitter.com/hirokook/status/296280587768061952

上記の岡田さんのご意見のうち「性的な表現はむしろフェミニストアートに多いのです。しかしフェミニストアートはポルノを彷彿と
させる表現であっても作者が女性であること、主題の内容などの関係でフェミニスト団体からのクレームはあまり無いように思い
ます。では作者が男性であっても主題によってはそれが単なるポルノか否か、単純な否定では無く論議すべき作品であるべきで
しょう」という指摘は、いまある多くのフェニミズム団体の思想の欠陥の本質を衝いたとりわけ重要な指摘であるだろう、と私は思
っています(実は私も岡田さんのご意見とほぼ同様の思いを長い間抱き続けています)。 

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東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/ 



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