[CML 028399] 「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。」 ――「澤藤統一郎の憲法日記」(2013年12月21日)より

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2013年 12月 22日 (日) 12:04:27 JST


昨年の東京都知事選で革新・リベラル勢力の「統一候補」として出馬した宇都宮健児陣営の選対本部の顧問的存在として活躍された
弁護士の澤藤統一郎さんが一昨日の12月20日夜にあった「人にやさしい東京をつくる会」(前回の東京都知事選での宇都宮陣営の
選挙母体)の会合で同会の運営委員を解任された(ありていにいって「追い出された」)という報告が澤藤弁護士ご本人からありました。
その解任劇の委細については下記の澤藤弁護士のブログ記事をご参照いただきたいのですが、私は、澤藤弁護士の「弁明」と「怒り」
の方に「理」と「正当性」を見ますし、したがって当然澤藤弁護士の「弁明」と「怒り」の方を支持します。

下記では主に宇都宮氏とともに前回宇都宮陣営選対の本部長であった上原公子氏(元国立市市長)と事務局長(ジャーナリスト)であ
った熊谷伸一郎氏が批判されていますが、澤藤弁護士はこの「解任劇」以前から宇都宮氏と上原氏に対する批判記事も1、2本ほど
書かれていましたのでその批判記事記事(抜粋)も参考として下記に添付しておきます。今回の「解任劇」の背景のひとつとなっている
と見てよいでしょう。

ここまで当事者から批判されている以上もう宇都宮氏の目はありません。「人にやさしい東京をつくる会」や「東京を。プロデュース」な
どの前回の宇都宮陣営の選挙母体は体制を改め直して宇都宮氏以外の革新・リベラル候補を探し出し、説得することに全力をあげ
るべきでしょう。私はそう思います。時間はもうそれほどありません。

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■宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。(澤藤統一郎の憲法日記 2013年12月21日) 

http://article9.jp/wordpress/?p=1742

私は、当ブログで、「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」に「宣戦布告」をします。今日はその第1弾。

念のために申し上げれば、開戦は私の方から仕掛けたものではありません。宇都宮君側から、だまし討ちで開始されました。だから、
正確には私の立ち場は「応戦」なのです。しかし、改めて私の覚悟を明確にするための「宣戦布告」です。

昨夜、私は「数の暴力」というべき「強行採決」によって、「人にやさしい東京をつくる会」の運営委員から解任されました。「追い出され
た」というのが正確なところです。さすがに、「お・も・て・な・し」を期待はしていませんでしたが、まさか「だ・ま・し・う・ち」に遭うとは思っ
てもいませんでした。もちろん、ここまでにはいろんな経過があります。当然、宇都宮君側にも、それなりの言い分はあろうというもの。
詳細は、おいおい当ブログでご説明します。

外野からは、誰にも、つまらぬ「内ゲバ」と見えることでしょう。「相互に相手の弱点を暴露し合って双方とも得るものはない」「それこそ
利敵行為ではないか」などというご批判は当然に予想されるところです。私も、そのように思って1年の我慢の期間を、自浄作用が働
くことを期待して忍耐強く待ちました。その結果が「だまし討ち解任」です。よほどうるさいと疎まれたのでしょう。私は岐路に立ちました。
この仕打ちを甘受して物わかりよく何も言わず黙って身を退くべきか、それとも不合理に声を上げ敢然と闘うべきか。迷いがなかった
わけではありませんが、熟慮の末に後者を選択しました。

「宣戦布告」の動機の半分は私憤です。一寸の虫にも五分の魂。私の五分の魂が叫ばずはおられません。その五分のうち三分ほど
は、これまでの自分の言動との整合性を貫徹したいとの思いです。私は、「少数者の人権」や「個の尊厳」をこの上なく大切なものと思
い、これを圧殺する国家や社会、あるいは企業や集団の多数派と闘うべしと言ってきました。その集団が、政党や民主団体あるいは
選挙対策本部であっても原則に変わりはありません。誰かの代理人としてのことではなく、いま、私自身が闘わねばならない立ち場に
あることを自覚しています。改めて、たった1人で、組織や社会と闘っている人の気持ちを理解できたように思います。私も、公益のた
めにホイッスルを吹き鳴らす覚悟です。

五分の魂の残りの二分ほどは、私のプライドの叫びです。感情的に屈辱を受け容れがたいとと言ってもよいし、汚いやり方への怒りと
言っても良い。これはこれで、きわめて強固な動機になっています。

「宣戦布告」の動機のもう半分は、私憤とは無縁の公憤です。冷静に客観的に見れば、「惨敗」と「泡沫」の烙印を押された魅力のない
候補者、そして無為無策の取り巻き連では、選挙に勝てるはずもない。また、勝敗は別としても、せめてリベラル・民主派陣営の団結
や力量を高める選挙であって欲しいと思いますが、前回の教訓からはこれも無理。目前に迫っている都知事選を、「急なことで他の適
切な候補者の選定が間に合わないから、やむを得ず再度宇都宮候補で」として、前車の轍を踏み、あの屈辱的な惨敗の愚を繰り返す
ことのないように願っています。

私を解任した宇都宮君とその取り巻きは、問答無用の数の力を誇示しています。彼らの論理は、明らかに、「多数決が民主々義で正
義だ」というもの。その考えこそ、私が忌避し続けてきた体制側の論理なのです。しかし、数で劣る者、力のない者は実力で対抗すべ
き術をもちません。できることは、言論で対抗すること。多数派の横暴・不当を、広く社会に訴えるしか方法がありません。

幸い、私にはブログというツールがあります。「貧者のツール」でもあり、「弱者のツール」としても機能します。また幸い、この社会には、
真摯な見解に耳を傾けてくれる人々もいると信じています。そのような思いで、当ブログを手段として、「宇都宮健児君」「宇都宮選対」
「人にやさしい東京をつくる会」の非を明らかにして、皆様の公正な判断を仰ぎたいと思います。

私の目的は、宇都宮君は2014年都知事戦候補者としてふさわしくないことを明確にして、立候補を断念してもらうこと。少なくとも、社
会に十分な警告を発して、彼を支援するには、それなりのリスクを引き受ける覚悟が必要であることを心得ていただくことです。

私は、昨年の選挙では、宇都宮君の同期の友人弁護士として、彼を積極的に支持し、柄にもなく選対委員にもなって、同君を素晴らし
い候補者だと率先して説いてまわったのですから、今回は豹変したことになります。昨年、私の話しに耳を傾けていただいた多くの皆
様には、たいへん申し訳ないと謝るしかありません。自分の不明を恥じいるばかりです。それだからこそ、今は、宇都宮君の候補者不
適格を敢えて発言しなければならない責任を痛感しています。私は、信頼すべきでないものを信頼し、もっと強く発言すべきときに躊躇
してきました。自分の迂闊さと、人を見る目のなさ、判断力の欠如と優柔不断に、いまさらながら臍を噛んでいます。

経過は込みいっており、問題の根は深く、考えねばならない問題点は多々あります。私は、宇都宮君が立候補を断念するまで、順次
丁寧に一つ一つ問題点を明らかにして行くつもりです。ぜひ、今日からの私のブログに、ご注目ください。そしてぜひとも、ご理解をお
願いします。

「宣戦布告」第1弾の今日、お知らせし、お考えもいただきたい最初の問題は、前回宇都宮陣営選対(上原公子選対本部長・熊谷伸一
郎事務局長)がした複数の選挙違反容疑の一端についてです。私は、公職選挙法上のつまらぬ手続規定の形式違反や、弾圧立法と
しての選挙運動の自由制限規定の違反などを言挙げするつもりは毛頭ありません。市民選挙と銘打った宇都宮選挙が、そのような市
民主体の選挙にふさわしいものであったかを問題にしたいのです。民主々義の根幹に関わる選挙のあり方についての問題だけを取り
あげます。

いうまでもなく、公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています。選挙の主体は、主権者国民で
す。一人ひとりの国民が、自分の支持する候補者を当選させるため、あるいは支持しない候補者を当選させないように、有権者に働き
かける行為が選挙運動です。その選挙運動は、原理的に金をもらってやることではありません。また、選挙の公正が金の力でゆがめ
られてはなりません。金がものを言うこの世の中ですが、選挙運動が金で動かされるようなことがあってはなりません。経済的な力の格
差を、投票結果に反映させてはならないのです。

市民選挙においてこそ、そのような健全な民主主義的常識が生かされるのだと思います。そのような思いを一つにする多くの人々が、
前回宇都宮選挙にボランティアとして参加しました。私も知っている方々が、あの選対事務所に長時間張り付いて、黙々と証紙張りをし
たり、ビラ折りをしたり、宛名書きをしたり、選対事務局員の指示に従って労務を提供しました。また、多くの人が、都内各地でポスティン
グやビラ配りも分担しました。そのようなボランティア参加者は当然のこととして、交通費自弁、手弁当で無償でした。ところが、これに指
示をする側の選対事務局員の多くは有償、交通費支弁、弁当支給でした。これは、健全な市民的常識からおかしいことではありません
か。同じ部屋で、同じ仕事を同一時間して、どうして有償と無償の区別が出て来るのでしょうか。これは健全な市民感覚にてらして合理
的なことでしょうか。

極めつけは、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者が、報酬を受領していたことです。支出の目的は二人とも「労務者報酬」と明
記されています。私は、選挙が終わって約半年後の6月17日付で東京都選管から選挙運動報告書の写しをもらって、初めてこのこと
を知りました。さすがに、これには驚きました。多くの無償(ただ働き)ボランティアを募集し運動をお願いする立ち場の人が、ちゃっかり
自分は報酬をもらっているのです。お手盛りと言われても、返す言葉はないでしょう。 


「おまえも選対の一員でありながら、どうしてそんな不正を許したのか」という、お叱りはもっともなことと甘受せざるを得ません。こんな
ことになっているとは夢にも知りませんでした。おそらくは、このことを知っていたのは、選対本部長と事務局長、出納責任者、その他
のごく少数者だけだったと思われます。情報も会計も極めて透明性の低い選対の体質でしたから。

私に印象が深いのは、「日の丸・君が代」強制に服従できないとして訴訟を継続中の退職教員の方が大挙して選対事務所に詰めて、
黙々と労務の提供をしていたことです。もちろん、交通費自弁、手弁当、無報酬です。それだけではありません。たとえば、Fさんは、定
期収入のない身で10万円の選挙カンパをしています。都政の転換を願ってのことです。同じ事務所で、上原公子選対本部長や服部泉
出納責任者が、隣り合わせで働いていました。Fさんのカンパは、一度選挙会計をくぐって、「労務者」として届けられた上原公子選対本
部長の懐にそっくり移転したのです。

市民選挙における選挙カンパとは、選対事務局員への報酬のカンパではないはずと思うのです。少なくとも、選挙カーでマイクを握る選
対本部長への報酬のカンパであろうはずはありません。そもそも市民選挙の選挙運動は皆無償、皆同じ資格で運動に参加しているは
ずではありませんか。

どなたでも、東京都選挙管理委員会で選挙運動費用収支報告書が閲覧できます。都庁第第一本庁舎N39階。担当職員は親切で、嫌
がる顔などしません。少し時間がかかりますが、コピーもとれます。ついでに、猪瀬や石原宏高(総選挙東京3区)の報告書も入手でき
ます。ぜひ、選対本部長(上原公子)・出納責任者(服部泉)が「労務者」として報酬の支払いを受けていた旨の報告届出と、添付の領
収証をご確認ください。

上原公子選対本部長に限ってお話しを進めます。選対本部長がマイクを握って選挙演説をしていたことは誰でも知っていることですし、
たくさんの写真も残っています。明らかに選挙運動者にあたります。けっして「労務者」ではありません。この人に金銭が支払われたの
ですから、選挙運動無償の原則に反し、公職選挙法上の犯罪に当たります。この報酬を支払った者が買収罪、支払いを受けた者が
被買収罪にあたります。報酬を支払った者は、選挙運動収支報告書には直接の記載はありません。その実質において、おそらくは選
対事務局長ということになるでしょう。報酬を受けとったのは、上原公子選対本部長と明記されています。

公選法上の買収には、「投票買収」と「運動(者)買収」との2種類があります。「投票買収」は直接に金で票を買うという古典的な形態
ですが、いまどきそんな事案はありえません。摘発されているのは、もっぱら「運動買収」の方です。これは、「人に金を渡して選挙運
動をさせる」ということ。あるいは、同じことですが、「選挙運動員に金を渡す」ということです。これを許せば、選挙運動無償の原則は
崩れて、金のある者が、金にものを言わせて、経済的な格差を選挙結果に反映することができるようになります。

なによりも、市民がカンパした浄財の一部を、金額の大小にかかわらず選挙対策本部長が報酬として受けとるということは、市民選
挙に参集したボランティアや、カンパ提供者の感覚から見て批判さるべきことではないでしょうか。

当不当の議論は別として法律上は、車上運動員(ウグイス嬢)・手話通訳者と、ポスター貼り・封筒の宛名書きなど純粋に単純労務
を提供する者には、所定の日当を支払っても良いことになっています。この人たちの氏名と日当額とは事前に選管に届出ることに
なっています。選対本部長も、出納責任者もこのような名目で「労務者」として届け出て、「労務者報酬」を受領したのです。明白な脱
法行為です。もし、「労務者」として届けられた人が、単純労務の範囲を超えて、少しの時間でも人に働きかける実質的な選挙運動
に携わっていれば、運動買収(日当買収ともいう)罪が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動
員も、ともに刑事罰の対象となります。総括主催者が有罪となれば、場合によっては、連座制の適用もあるのです。

適用条文を引用すれば、公選法221条1項1号の「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をした」に当たり、
買収罪として最高刑は懲役3年の犯罪です。選挙運動の総括主宰者または出納責任者の実質がある者が行った場合は公選法
221条1項1号(運動買収)だけでなく、3項(加重要件)にも該当して、最高刑は懲役4年の犯罪に当たります。多数回の行為があ
ったとされれば、さらに加重されて5年となります(222条1項)。仮に、候補者自身が関与していれば同罪です。

以上のとおり、宇都宮選挙を支えた選対には、選対本部長が「労務者」として届出て貴重なカンパから金をもらうという市民感覚に
反した不当な金銭の扱いがあっただけでなく、明らかな公職選挙法違反の犯罪もあるのです。宇都宮君も、自分自身の陣営の違
法については、政治的道義的な責任を免れません。しかも、弁護士であり、元弁護士会長ではありませんか。みっともなく、「ボクは
知らなかった」「選対本部長か事務局長に聞いてくれ」などという、猪瀬のような弁明は通用しません。

だから、宇都宮君に忠告します。再度の立候補はおやめになることが賢明ですよ。
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・「澤藤統一郎の憲法日記」2013年7月18日付け記事より:
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「宇都宮君は、上原公子さんと並んで「緑茶会」という脱原発市民運動団体の結成呼びかけ人となっている。この「和製ティーパーティ
ー」は、参院選で脱原発の候補者を選別し調整して、当選可能性の高い候補者を支援することが目的だという。

この会のホームページで、上原さんは、設立呼びかけのメッセージとして、「国民の不幸は2つある。国民を守るべき政府が、国民を
置き去りにしていること。選ぶべき信頼(に)堪えうる政党がないことである」と言い放っている。この人、社民党から参院選に立候補
して落選した経験があるはずだが、社民だけでなく、共産・みどり・生活・緑の党まで含めて、すべての政党を「信頼に堪えうる」もので
ないというのだ。この人の頭の中では、「政党」と「市民」とは水と油のごとく親和せざるものとなっているのだろう。

もちろん、政治信条は人それぞれに自由、表現も自由だ。上原さんの言動を怪しからんというつもりはない。しかし、言論には責任が
伴う。この人は革新陣営の共同行動を呼び掛けるにふさわしい人ではなく、この人の呼びかけによる運動に信を措くことはできない。
「信頼に堪えうる」政党がないという人の呼び掛けに、のこのこ応じる政党人の見識も問われることになるだろう。

緑茶会は「脱原発候補が複数立候補する選挙区においては、当選確率がより高いと客観的に判断できる候補を推薦する」として、東
京選挙区では、大河原まさこ候補(無所属)だけを推薦している。吉良よし子候補はもちろん、その他の「脱原発・原発ゼロ」を掲げる
候補の推薦はない。端的に言えば、有権者の脱原発票を大河原候補に集中しようとしているのだから、排他性の高い運動となってい
る。大河原候補を推薦したければ、その実績や政策を訴えればよいこと。同候補を「当選確率がより高いと客観的に判断できる」など
とまで根拠のないことを言って、脱原発志向の有権者を惑わせるのは罪が深い。

宇都宮健児君も緑茶会設立呼びかけ人の一人である。東京選挙区では、「当選確率がより高いと客観的に判断できる」大河原候補
に脱原発票を集中するように呼び掛けている立ち場にある。この排他性の高い運動の呼びかけは、吉良候補への応援とは両立しな
い。敢えて吉良候補への支援の弁を赤旗に掲載したことを評価するとして、緑茶会呼びかけ人としての立ち場は放棄したのか、そう
でないのか気にかかるところ。革新共闘の要に位置した人として、排他性の高い運動に加担してはならない。その辺のケジメを大切
にしていただきたい。」(「参院選・投票日まであと3日ー脱原発を願う有権者の皆様に」澤藤統一郎の憲法日記 2013年7月18日)
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・「澤藤統一郎の憲法日記」2013年12月17日付け記事より:
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「私は柄にもなく昨年の都知事選挙で、宇都宮陣営の選対に加わった。これまで経験のないことで、右往左往するばかりだったが、
「惨敗」の結果は驚愕だった。ダブルスコア、トリプルスコアという語彙は知っていたが、4倍を遙かに超える票差をどう表現するのか
を知らない。なぜ、こんなに大差で負けたのか。選対の公式総括には納得が出来ず、何人もの人に尋ねてきた。最も多くの人の意
見は、「知名度の差」だ。「最初から勝負にはならないことは分かっていたでしょう」「勝敗よりは、共闘の形だけが欲しかったのでしょ
う」などと、私には衝撃の言葉を聞かされた。続いての意見は「石原都政が批判に値するほど悪いと思われていなかったから」という、
これはとても不愉快なもの。

惨敗の原因が「知名度の不足」だとすれば、候補者選択の時点で既に勝負あったということになる。猪瀬退陣が現実味を帯びてき
た今、リベラル派の候補者を模索しなければならないが、前回選挙と同じ候補者では同じ轍を踏むことにならざるを得ない。本気で
勝つためには、知名度の高い、有権者に魅力のある候補者を擁立しなければならない。本気で勝つ気はないと思われる候補者選
びや、共闘の形づくり、惨敗の反省がないなどと言われる恐れのある選挙母体であってはならない。前回選挙とは総入れ替えした
清新な選挙母体で、勝てる候補者の人選をしなければならない。当然のことながら、昨年の惨敗の責任の一端を負わねばならない
私などは、新たな選挙に関わらない方が良いと思っている。」
                      (「2012年総選挙・都知事選-あの敗北から1年」澤藤統一郎の憲法日記 2013年12月17日)
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東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
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